飛鳥2〈5月26日(水)③〉
文字数 1,527文字
三
五限目の後、すぐさま立ち上がると一階のフロアまで下りる。その後十二の前で立ち止まると、俺は室内を覗き込んだ。ほとんど全部と言っていい目が一斉にこっちを向く。
「真琴ちゃんは図書室の掃除担当なんで、まだ帰って来てないですよ」
その中に目的の姿が見えないと思った所、近くにいた人間がそう言った。
短い前髪の女。また何か聞くことがあるかもしれないと思い、一応名を尋ねておく。草進真琴とは、一緒にバレー部に入ったのだと言う。
「あ、真琴ちゃん」
そう言うとその寺岡と名乗った女は、俺の背後に向かって手を振った。振り返ると、そこには全身を強張らせた草進真琴の姿があった。
「あ、えと、すいません・・・・・・遅くなって」
やっとの事でそう口にすると、その頭を下げる。
「じゃああたしもう帰るんで」
寺岡サンはそう言ってバッグを取り、後ろのドアから出ていった。
草進真琴は困ったように不審な動きをしている。何だと思ったら、俺がドアをふさいでいるためだった。よけると一礼してそそくさと教室に入っていった。
水曜は部活がない。だから着替える奴もいない。早々と教室内の人間がいなくなっていく。一人だけ「真琴帰ろ」と寄ってきた女がいたが、
「うん、ごめん。今日ちょっと話してくから」
草進真琴がそう言うと、女は「分かった」と笑顔のままこっちを見た。そうしてやけに強い一瞥を残して去った。
俺は一つ前のいすを引いて、後ろ向きに座る。その後俺は教室に誰もいなくなったことを確認して尋ねる。
「もう一度聞く。お前、本当に俺と会ってないか?」
風の鳴る音がした。いや、正確には「ようやく活動を始めた風によってあおられてしなる木の音」だ。自然豊かなだけに、鳴るに事欠かない。橙。ガラスを叩くような音。外の気配を感じないここは完全に切り離された空間。草進真琴は間を置かず、やはり激しく左右に首を振った。
「じゃあ聞くが、お前そのバッグの傷どうやってつけた」
はっとして草進真琴は自分のバッグを机の上に出し、表を見た。その中央のポケットには、朝見た傷がくっきりと付いている。しかしその後、首をかしげる。
「その傷だよ! どうやってつけたか聞いてんだよ!」
つい声を荒げてしまう。驚いた拍子にいすの上で跳ね上がったが、その後もただただ左右に首を振る。
「それはお前・・・・・・」
しまった。ともすればそのまま泣き出してしまうかもしれない。そうなると吐かせるのが難しくなる。こいつが口を閉じてしまえばそれまでなのだ。俺は咳払いすると、大きく息を吸って言った。
「それはな、お前、あれじゃねぇのか?」
これ以上おびえさせないように、ゆっくり話す。
「俺が知る限りでは、それは海高の奴らに付けられた傷だ」
『あの時』の事を白状するのは嫌だったが、この際仕方ない。
「俺がまだ一回だった頃、海高の奴らに目をつけられたことがあった。その時、お前に助けられた」
その目が丸くなる。
「やつらの一人が刃物を持っていて、それを防ぐために盾にして付いた傷がそれだ」
草進真琴はつられるようにして傷に目を移した。だがまるで他人事だ。
「あ、でもこれ少し穴は開いていますけど、そんなに切れてはないんですが」
「向こうの刃物の切れ味が悪かったか、その中に何か硬いもんでも入っていたか」
草進真琴はそのポケットからシルバーの二つ折りの鏡を取り出した。その表面にも同じ形の傷がついている。
「で、でも何で・・・・・・」
「『何で』は俺のほうが聞きたい」
俺は背筋を伸ばすと、肩を回した。そうして口にする。
「どっちにしても俺、お前のこと倒さなきゃなんねぇから」