真琴1〈4月8日(木)③〉
文字数 1,355文字
三
SYOU、BU。
予想の斜め上を行く言動に、変換をしくじる。
改めて「勝負」の意味を検索にかけたところで、今置かれた状況に一致するものは見当たらない。その間にも制服のワイシャツの裾をまくりあげるその人の姿は現在進行形で映っている。
ちょっとよくわからない。ちょーっとよくわからない。
あれですよ。不測の事態に頭がついていかず「冴えない女子とちょい悪男子の学園ものラブストーリー」なんてありがちなを妄想したことは事実ですよ。でもごめんなさい。真剣に謝るんで許して下さい。神サマ仏サマ。
ガッ。
顔のすぐ傍から漆喰壁の粉が落ちた。叩きつけられた拳。息をのむ。その腕の長さがイコールその人との距離。どうあがいたところで、逃げも隠れもできない。
どうして。
視界の端にさっきまで教室から眺めていた緑が映る。青臭さ。どうしたって現実だ。でも恐怖が先行して全く受け入れられない。
私が何をしたというのだろう。仮に「何らかの基準を定め、その優劣を決めるもの」が「勝負」だとして、例えばこの場で腕っぷしの優劣を決めたいというのであれば、
お門違いでしょう。選ぶ相手を完全に間違ってる。
もうブルブル震えながら見上げると、その人は眉間にしわを寄せて私を見下ろした。
「おい、手加減するんじゃねぇぞ」
検索ワード追加。「手加減」それは元々ある力を制限する時に使う。勿論私に限ってそんな秘めたる力など持ち合わせていない。
首を振る。声が出ない代わりに目で訴える。その人は目をすがめた。
「お前、草進真琴だよな?」
その後ろ髪が風にあおられて揺れる。一つ、うなずく。
「西中出身か?」
何故この人が私の出身中学校を知っているか分からないが、もう一度うなずく。
「俺、見たことないか?」
いや、何度見直したところでこんな怖そうな人と関わりを持った覚えはない。しっかりとうなずく。
芽吹いたばかりの緑の青さ。揺れる葉。まだひんやりする空気。
ゆっくり五数えたところで、その人は大きなため息とともに手を下ろした。再びパラパラと音がする。一歩下がっても尚、その目は私を放そうとはしない。
ひとまずの危機は去った・・・・・・のか?
やっとまともに呼吸ができるようになる。その後永遠に続くかと思われた均衡は、別の声によって突如打ち壊された。
「先生、こっちです!」
早かった。その人はスッと壁に張り付くと、声のした方を覗く。慣れた動作だった。その後舌打ち一つ「前田かよ」とつぶやくと、声のした方とは逆方向に向かって去って行った。
丁度入れ替わりに先生がやってくる。整髪料のにおい。単独の生き物のような太い眉が印象的だ。何かあったのかと聞かれるが、首をふる。一歩左に身体をずらすことで、つい先ほど校舎の一部が削られたという事実は隠蔽した。
「そうか。ならいいんだが」
肩で息をついたその人の後ろ、遅れて慶子が顔を出した。
「真琴ごめん。職員室探し回って遅くなっちゃった」
限られた空間とはいえ、慶子にとって初日の校舎は無限の広さに思えたに違いない。
日時計。足下に重なっていた影が少しだけ長くなっていた。
十三時の能天気な青空。振り返ると、慶子に「ありがとう」と言った。