雅1〈4月28日(水)②〉
文字数 1,808文字
二
「何か?」
見知らぬ相手が見下ろしていた。第一ボタンまできっちりしめた学ラン。それと同色の短髪。ゆで卵のような、幼さの残る白い肌。意図的に声を抑える事で気持ちを落ち着ける。
「いえ、緑風祭の書類を抱えて帰られたので、何か手伝えないかと思いまして」
「誰なのあなた。余計なお世話よ」
はっきり言う。長い前髪の奥にある大きな目は、明るい場所にいるにも関わらず光をほとんど反射していない。その底知れぬ昏さ。怯むことなく見返す。あたしも頑として背けなかった。
押問答ではないが、互いに言葉を発することなく時間が流れた。店員さんが様子を伺い始めて、いい加減口を開こうとした時、ようやく相手が動いた。
「足手まといになるつもりは毛頭ありません」
持っていた真新しいカバンを置いて、向かいのソファに腰を下ろす。
「一年の水島聖です。今年から生徒会に入ることになりました」
抑揚のない声。まるで始めからセリフを用意していたかのようだ。言われてみれば昨日の集まりでいた気がしないでもない。
「そう」
でも今はそんなことどうでもいい。とにかく目の前に山積みにされた問題をどうにかしなければならない。あたしには時間がなかった。
「よろしく。でも急いでいるの。また今度にして頂戴」
有無を言わせぬ物言いに強制の力は充分備わっていたはずだ。しかし水島と名乗った男は、テーブルに肘を突くと
「また今度」
あたしの言った事を復唱した。その目の持つ力に圧倒される。それはひたむきに静かで揺れることはない。
「また今度は来ますか?」
「何?」
手に持っていたペンを回す。
「また今度は来ますか、と聞いたんです」
「聞こえてるわよ。どういう意味って聞いたの」
もう一度回す。
「今僕がこのまま帰ったら、また同じようなケースに見舞われても、あなたはきっと同じことを繰り返します。どういった事情でこれだけの資料を抱え込んでいるのか知りませんが、生徒会はあなた一人が運営する組織ではありません」
「だからなんなの? 何か不具合があったら変える必要はあるわ。でも今のところ何の支障もないの。何も知らないくせに余計な口出しをしないで。組織は、その現状を知ってから口にするものよ」
最後に「帰って頂戴」と付け加える。
変わらない表情。その手の甲には青い筋が浮いている。きゃしゃな体型に似合わず大きな手だった。短く息をつく気配がした。それは単なるため息かと思う一方で、鼻で笑ったという風にもとれた。
「それは、傲慢ですよ」
一瞬の出来事だった。その時は気付けない。「頭に血が昇った」というのは、後から自覚するものだ。気付くと目の前の黒髪が雫を落としていた。握りしめたグラスがひどく冷たい。それでも水島は落とした視線をすぐ戻した。
なんてことを。
血の気が引く。つまらない意地どうこうより、目の前に実体として存在する「自分の犯した失態」をどうにかしなければならないと考える方が早かった。
資料をすべてバッグに詰め込み、支払いを済ませると、水浸しになった水島を連れて外に出る。そうしてぐるりと見回し、なるべく人目に付かないところを探す。といっても、ここは駅前の大通り。そう都合のいい適所など見つかるはずもなく、仕方なく今いたファミレスと隣接する店とのわずかな隙間に割って入った。
「ごめんなさい」
整理すれば他にぶつけてやろうと思う言葉がたくさん出てくるはずだが、今用意出来ないため、仕方なく「義務」とされるものだけ口にする。これが言えなきゃ、一人で成り立っていられない。その後急いでバッグのサイドポケットからハンドタオルを取り出すと、水島の顔に押しつけた。
「ひへ」
タオル越しに返された言葉がまぬけに響く。
換気扇が二、三メートル後ろでごうごうと鳴っている。足元は舗装されていないため、履いているローファーの底が段差に合わせて歪んでいる。バランスをとるために右足をほんの少し後ろに引いた。
しかし並んでみて気付いたが、思ったよりもその背は高くない。あたしと同じくらいだ。
額をぬぐう。無言の圧力。唇をかむ。
水島の言葉は、痛いところを突いた。あたし自身、基本的に人を信頼するのは愚かなことだと思っている。ただ同時に、それが正当でないこともまた分かっているつもりだった。
その時ふっ、と意識がめぐった。