飛鳥４〈７月２５日（日）⑤〉

　　五

　まぁ、しかしな話だ。話を聞こうと試みるものの、実際花火を一番近くで見られるところでそんなことをするのは至難な業で、軽く移動することにした。
　北から丘を下って、道路沿いに右手に折れる。このまままっすぐ行ったところが川沿いだが、あそこもあそこでうるさいので、この辺で落ち着くことにする。丁度よかったのがバスの停留所のベンチだ。バスについては、これも花火が関係してか、今日の夕方からバスの運行はしないと時刻表に書かれていた。ここならコの字型に簡素なプラスチックに覆われているため、声が聞き取りやすい。花火の音もうるさいが、それでも充分話ができそうだ。
　しかし何を警戒してか、真琴はなかなかそこに入ろうとしなかったが、俺が奥に行くことでしぶしぶ付いてきた。それにしても俺が角まで詰めているにも関わらず、真琴自身は入り口のすぐ内側に小さく座った。その距離ざっと三メートル。なめてんのかコイツ。
「それで、お前今まで散々知らないフリしといて、結局俺を騙してたってことか」
　強めに聞くと、その身体が強張るのが分かった。それでも腹をくくったらしく、しっかりと答える。
「違います。知らないのは事実です。でももしかしたら、という可能性があるんです」
　その声は、頑張ってはいるがやはり震える。俺は言っていることが理解できない。
「どういうことだ？」
　そうして促すと、真琴は太ももの辺りの生地を掴んで、おそるおそる口を開いた。
　花火はその姿を背後から照らす。
「私の父は警察官です。正義感が強くて、当時取り締まりのスペシャリストでした」
　でした？
「でも私が中学生の時、父の目の前で襲われたことがあったんです。逆恨みした犯人が警察官の家族を狙う事はあり得ることですが、まさか実際に起こるとは思いませんでした」
　どうしても花火の音が邪魔をする。俺は全身を耳にした。
「その頃私は父にもらった防犯ブザーをお守り代わりに持ち歩いていました。後ろから腕で首を絞め上げられていましたが、そのボタン自体は押そうと思えば押せたんです。ただその前に、一瞬ひるんだ隙をついて父は犯人と私を引き剥がしました」
　青ぶちのフレーム。その目の表面が大きく揺れた。
「瞬時に危ない、と思ったんです。相手はすでに凶器を振りかざしていました。しかし私の身を案じたがために父の反応は遅れました。そうして」
　花火の、音。振動して消えると帰って静けさが際立つ。青白い頬は心許ない。
「切りつけられました。何度も。たくさん血が出て、足下に水たまりができ、一部が私にもかかりました。でもあまりに衝撃的な光景に、全く動けなかったんです。偶然通りがかった人数名が取り押さえるまで、少なくとも三度は刺されていました。致命傷こそ避けられましたが、ひどい大けがでした。あの時の後悔は一生消えません」
「後悔？」
　真琴は頷いた。相変わらず青白い頬。けれどもその目の表面の揺らぎ方は今までとは違っていた。静かに燃えている。
「あの時ブザーを押せていれば。相手を突き飛ばせば。私が身代わりになっていれば。何もできなかった自分が悔しくて、だってきっと犯人は捕まっても相応の罰は受けない。時期が来れば出所して、何事もなかったように生きていくんです。あの時、例え非力でも父を守れたのは私だけだったんです」
　その手が握りしめられる。
「ふがいない自分が許せなくて、本当に許せなくて、だからあの時、あたしはあなただろうと思われますその人を、見て見ぬフリが出来なかったんです。その人を助けられたら、この罪悪感も消えると思ったんです」
　ドン、と花火が腹の底を揺さぶった。
「ただ、死んでもいいから、と思った瞬間、自分が自分でなくなったような気がしました。その後は思い出せないんです。どうしても」
　ドン、と。
「･･････なんでだ？」
「分かりません。次に気が付いた時には、対峙していたはずの男性方は、足元に横になっていました」
　やり場のない感情が渦巻く。
「本当に、分からないんです」
　真琴はそうして念を押し、右側に置いていた食いもんの入ったビニール袋に目を落とす。
　俺は何と声をかけたらいいのか分からない。