聖６〈８月１５日（日）④〉

　　四

　潮騒。塩分を含んだ熱気が首元にまとわりつく。それはいくら拭ったところで拭いきれない。不穏、という音の正体はこの感覚に似ている。変な方向に脈打った心臓。僕は戸惑いを隠しきれない。
「な、何で･･････」
「だってよ、見るからにそうじゃねぇか」
　僕は会長をよく見ているはずだ。多分他の誰より。
「だろうな。だからかえって自分都合の相手しか見えなくなっちまってんだって」
　自分都合の相手？
「相手にこうあって欲しいっつう理想像を押しつけたようなもんだ。もういっぺん聞くぜ。話しかけたか？　相手がどんな考え方をして、何を中心に生きてるかなんて、直接聞かなくても全部言葉尻に出ちまう。お前はそれをちゃんと知ってるか？」
　痛いところを突かれる。全身で暴れ狂う心臓の音を聞く。
〈余計なお世話よ〉
　拒絶の目。ただ目の前の問題だけを解決すればいいって訳じゃない。例えば会長が一人で戦っているとして、責任ある仕事を何の信用もない僕に渡すはずがない。僕が会長を自分都合で見ている以上、会長だって僕を己の防衛本能のままに外敵とみなしているのだ。
　黙ってしまった僕に、高崎先輩は少しだけ声のトーンを変えた。
「何も焦ることはない。まずはきちんと向かい合うことから始めればいいと思うぜ。じきに心も開いて来るだろう」
「でも、それじゃあ･･････」
　用途不明金。あれは前期のものだ。きっと長い間放置しておけない。それに
　笑い声がした。人波の間から丁度その姿がのぞく。鮫島先輩は会長とハイタッチすると、ビーチボールを持って後ろのラインまで下がった。無意識に奥歯が鳴った。
　これは完全に僕都合なのだが、のんびりしていたらあの人にとられてしまう気がしたからだ。例え〈火州しか見ない〉としても、考え方なんていつどう変わったっておかしくない。
「基礎が出来てないのに技術教えるかよ。あーでも相手の話引き出すっつーなら、得意なのは火州だからなー」
　振り向く。何の話だ？
「いや、あいつ相手にするのいつも年上なんだけどな、なんかいつも頼りにされてんだよ。はじめは興味本位で近づいてくるのに、きっと聴くのがうまいんだろうな。いつの間にかこっちが主導権を握ってる。お前が求めてんのはそういうんだろ？」
　そう言う高崎先輩はニィ、と笑った。
「雅ちゃんがいいなら、火州をよく見ておくんだな」
　うつむく。劣等感による拒否反応。しかし一方でその通りだとも思う。僕はまだ火州先輩の外見しか知らない。話したのはあの花火の夜、鈴汝さんと草進さんが話をしに行ったときに交わした一言だけだ。それだけでは分からない。やはり僕は自分都合で相手を見ている。

「･･････火州先輩は、彼女いるんですか？」
　興味で発した一言に高崎先輩は苦笑いする。それでも見える歯は惜しげもなく白い。
「たぶん、お前の考えるような関係の相手はいないと思うぜ。最低限、その時その時割り切るから、女は常に一人ではあるけど」
　浮気はしないけど、とっかえひっかえ。その事を鈴汝さんは知っているのか？
「今は･･････？」
「さぁ、どうだろ？　最近あんまり聞いてないからなー」
　豪快にあくびをしながら言う。口に丸々りんごが入りそうだ。
「でもいろんなヤツと付き合うのは悪いことじゃないぜ？　そうやって自分に本当に合う人間を見つけてんだ」
　僕の表情から何かを察したのか、高崎先輩はさりげなく友人を弁護した。
「かえってそういう奴の方が、一旦落ち着けば、ふらふら遊びまわることはしないと思うしな。期待だけが一人歩きすることはなくなるから」
　不意打ちを食らったように感じるのは、自分のことをつつかれた気がしたからか。
「はぁ」と曖昧な返事をする。
「でも最近あいつちょっと変わったからなー。そろそろ落ち着いてくれるといんだけど」
　やっぱり保護者か？　鮫島先輩だけに限らず、火州先輩の保護者でもあるのか？
　そう思って聞いてみたら「あいつらだって俺のこと同じように言うはずだぜ？」と笑った。何だかうらやましいと思う。それだけの理解者が身近にいてくれたら、どれだけ心強いだろう。「いいですね」と口をついで出ていた。高崎先輩はこの上なくうれしそうに笑うと、僕の頭をポンポンとなでた。