雅1〈4月28日(水)④〉
文字数 970文字
四
「急いでるんですよね」
はっとして目を見開く。背後から光を受けているためはっきりとは見えなかったが、水島がきまり悪そうに言った。
歯がのぞいた口元。初めてその表情が変化する。能面のように見えた顔にも、たしかに血は通っていたのだ。手を止める。確かに急いでいた。正確に時間計算出来ない仕事量。あたしに「間に合わなかった」は赦されていなかった。
「ごめんなさい」
頭を垂れる。そしてハンドタオルから手を離すと、通りに出ようとしたその時だった。視界の一部が遮られる。
換気扇の音が大きくなる。クラクション。顔を上げる。現れた手首もやはり白かった。
「貸しですよ」
水島が壁に右手をついて通せんぼうしている。その声は頭の中心に響いた。
おさまっていたものが首をもたげる。マグマのように粘度の高い感情。こっちの事情を知らずに絡んできたのは向こうで、あたしを怒らせたのも向こうで、その結果手もとにあった水をぶっかけたのであって、それでチャラになったと思ってはいけなかったのだろうか。口の中に残ったカフェオレがひどく苦い。
その顔は能面に戻っていた。何も言わないでいると、
「次回の生徒会の集まりは六月九日でしたね。その前に一度会ってください」
そう付け加えた。
「・・・・・・急いでるのは分かってくれてるんでしょ?」
「はい。だから一度頷いていただけましたら、この腕をどけます」
肩にかけたバッグの柄を握りなおす。その顔を睨み上げる。
「分かったわ」
そう返事をすると、水島は黙って腕を下ろした。そうして手をはたきながら言う。
「そうですか。では」
「暇じゃないの。あたしに合わせて頂戴」
その声を遮って、さっと取り出した手帳をめくる。
「十五。今月の十五日」
「時間は?」
「お昼」
「場所は?」
「生徒会室」
それだけ言うとその横をすり抜け、表通りに出た。またたく間に喧騒に飲まれる。
五月の十五日。今日は六日だからあと十日近くある。あわよくば忘れてくれることを。そして次回の集まりの時には何事もなかったかのように振舞えばいい。
それでいい。そもそもあの子と関わる必要がないのだ。あと一年、たった一年頑張ればいい。もう折り返し地点まで来ている。
深呼吸して前を見据える。本当の戦いはこれから始まる。