聖13〈12月24日(金)〉

文字数 4,848文字




  一

 草進さんはかわいい。ほころぶその頬。
「千嘉ちゃんが『水島君とならお似合い』って言ってて、ほら、今回火州さんと高崎先輩一緒じゃなかったから、そうやってからかったんだと思うんだけど」
 赤い鼻の頭。長い黒髪はニット帽の中に収納されている。厚みのあるジャケット。丸々着こんでしゃがむピンクの生き物は、どこかペットのような愛らしさがある。
「でもうれしいよね。そんな風に言ってもらえると」
 言いながらつくる雪のかたまり。小山の上部を平らにして周りを削ると、できたのは
「星形?」
「えっ、あ、うん」
 それにしては長い腕。不揃いな五本が今にも動き出しそうに見えた。草進さんはそれをくしゃっとつぶすと、再び小山づくりから始めた。それはあくまで上から見て楽しむ「二次元ベースの立体の絵」隣で雪を丸めて重ねる男の子の方が僕の想定したような雪だるまを作っていた。
〈真琴ちゃんと付き合ってるって本当か?〉
 時刻は十三時半をまわる。早くも橙に色づき始める雪の斜面。傾斜の先にあるリフトの降り口は、ここからでは見えない。
〈俺にはもう誰かを好きになる資格なんてねぇんだよ〉
 雪焼け、という言葉がある位だ。これ以上は毒だと、強い光を跳ね返す白から目を背ける。「水島君も一緒につくろう」
 向き直ると、その足元には楕円の古墳のようなものができていた。それにしては縦長で細い。入る棺桶が窮屈な思いをしそうだ。いや違う。このフォルム、どこかで見たことがある。
「普通の雪だるまでも大丈夫?」
 言いながらそんなはずがないと打ち消す。まさか草進さんがわざわざ造形物の題材にイヌのフンを選ぶはずがない。でももう一度見てみても、あれはやっぱり巨大な
「何でもいいよ」
 満面の笑み。何を言っても許される気はするが、やっぱり人のつくったものに対して尋ねるようなことではない。ここはあえて触れない方がいいだろう。
 僕は雪をつかんだ。固めて地面を転がす。また固めて転がす。転がす、はいいが目や鼻や口になるような草木は近くに見当たらない。少し離れた所に取りに行くことになりそうだ。僕は草進さんに一声かけると、その場を離れた。
〈雅ちゃんはもういいのか〉


  二

 色とりどりのスキーウェア。動きづらさから外していたスキー板をつけ直すと、人の間を縫うようにして進む。子供がつくったものに対して最も大きいリアクションをとっているのは、どの家族も父親だった。
 鮫島先輩の家に行った時のことを思い出す。大きなテレビ。ベッド。本棚。何もない中央一帯。肌触りの良い絨毯。
 人の気配のしなかった一室。結局あの日、姿を見せることのなかった両親。
 その時だった。はっとしてつま先の向きを変える。つんのめるようにして目の前に小さな身体が飛び出して来たのだ。
「すいません!」
 あわてて頭を下げ、息子の行動をたしなめる父親は、その首根っこをつかむと元いた場所に戻っていった。つかまった本人はどうして怒られたのか分からない様子で、まだじっとこっちを見続けている。思わず目をすがめる。
〈でも好きだった。本当に〉
 こみ上げる熱いもの。どうしてだろう。ここでは何を見ても鮫島先輩に結びつく。見たこともないその幼少期が浮かぶようだった。さぞかし生意気な子供だったんだろう。そんな彼と向き合う人はちゃんといたんだろうか。
 思い出したのは球技大会。競技終了後鮫島先輩について聞いた時、沙羅が言ったことだった。
〈内緒よ。水島君ならきっとツトム君の背中を押せる〉

 なんとなく使えそうな葉や木の枝を持って戻ると、草進さんは「よさそうなのあった?」と足元の雪を払いながら言った。分厚い手袋。とうとう二次元の立体さえあきらめて地面に絵を描き始めていた。消す前に見えたのは満面の笑顔。顔の丸い女の子だった。それと同じような顔をして僕の手首を指差す。戻ってくる途中、僕は無意識に袖をまくっていた。
「それ、つけてくれてるんだ」
 黒のヘアゴム。付き合うことになった翌日、一緒に帰っているときにもらったものだ。バスケをするとき、前髪が邪魔だったら使ってほしいという。前髪自体、確かに視界に入りはするが、だからといって結ぶ位なら切ってしまった方がマシな気がした。ただそんなこと言えるはずもなく、結局前髪は切らず、ヘアゴムは手首につけることで難を逃れた。
 草進さんは木の枝を受け取ると、再び絵を描き始めた。そのつむじを見下ろす。
 草進さんはかわいい。
〈だから何だ〉
 ドスの利いた声が腹の底に響いた。
〈何だそれは。何の言い訳だ〉
 話を聞きつけた高崎先輩はそう言うと、見えない圧で僕の肩を突き飛ばした。
「水島君」
 白い肌。上気した頬。その様子は寒さなんてこの世に存在しないかのようだ。
 ピンクの手袋。湿った指先。冷たくない所なんてあるはずがないのに。
 草進さんはかわいい。
 一面の銀世界。こんな非日常であるにも関わらず、相応の心拍数を刻まない心臓。だから僕は冷えていく一方だ。退屈とは言わない。けれども今目の前にあるもの全てに意味があるとは思えなかった。
「楽しい?」
〈なぁ水島〉
「うん」
 携帯を取り出す。と、その時足元に鍵が落ちた。すかさず草進さんが拾ってくれる。
「ありがと」
「小さい・・・・・・。何の鍵?」
 日常、あまり見かけない大きさに首をかしげる。
「原付のだから」
「原付?」
「鮫島先輩の。何でも『仲良しの証』なんだって」
 そっか、という声。見なくてもその表情は分かった。ポケットに鍵を突っ込んで時刻を確認すると、山頂を見上げた。
 随分経った。充分リフトが上に着いて滑り降りる位の時間にはなるんじゃないだろうか。
〈なぁ水島。お前そうしてまた身代わりを求めるのか?〉




 その後ようやく二人と合流すると、今度は
「ひじき君、滑り行こっ」
 の一言でペアチェンジがされる。無邪気な先輩は、純粋に休暇を楽しんでいた。もちろんかわいくはない。
「・・・・・・一体どんな手を使ったんですか。普通高校生だけで宿泊できませんよね」
 リフトを待つ間耳打ちすると、鮫島先輩はその流れを見ながら口の端をつり上げた。
「ん、大丈夫。元々宿自体、優待券使ってとってるし、火州や高崎と毎年来てたから。多少メンバーチェンジあった所で問題なし」
「いやいやいやいや、女の子いますよ。それでもチェンジきくんですか」
 お、来た。そうつぶやくと、慣れたようにボードを外す。僕は思ったよりも速い流れに膝カックンされる。
「ぎゃははあっぶな。ちゃんと見てないから」
 普通分かっていたら慣れない人には一声かける「本当にやさしい人」ならなおさらだ。
 宙に足が浮く。随分急な傾斜だった。頭上を走るワイヤーの角度がえげつない。低いエンジン音。重力に逆らって物体を運ぶ労力たるや。
「前科ある分、逆に心配してないんだろうね」
 風にあおられて聞き取れない。聞き返そうとした時にはもう別の方向を向いていた。
「そんなことより今日おフロ部屋つきだよ」
「え、普通どこでも部屋についてますよね?」
「ちがう。露天。荷物置いてすぐ出ちゃったから見てないでしょ」
 泊まるのは各部屋男二女二だ。それ以外問題しかない。それなのに
「・・・・・・なんで男同士なのに」
「だって嫌じゃん。何が悲しくて野郎とお湯シェアしなきゃなんない訳? おフロってキレイにするために入るじゃん」
 おうおうどこに向かってケンカ売り始めた。言うならせめて音量を考えて欲しい。
「そんな訳でひじきくんは安心して楽しんでくれたらいいよ。あとで大富豪やろうね」
「トランプ持って来てるんですか?」
「やんなかった? 修学旅行とかで。旅行と言えば大富豪でしょ」
 当然のように言うが「旅行と言えば大富豪」なんて聞いたことがない。携帯をいじりながら話をするのが普通だと思うが、そんなの面白くないという。
「何でせっかく集まってるのに遊ばないの?」
 純粋な疑問。鮫島先輩は幼子のような目をして言った。その背後に広い部屋がよぎる。
 もっともだった。そもそも普通って何だ。わがままで、気に入らないとだだをこねて、すぐへそを曲げて、でもやっぱり戻ってくるこの人は、自由で勝手で最も人間らしい形をしている気がした。

「・・・・・・バスケ、楽しかったですね」
「俺全然楽しくなかった。あれは時間が足りなかったからね。ちゃんと準備期間があれば、ぶっちぎりで勝ってたんだよ」
 蒸し返すと今でも頭にくると言って鼻を鳴らす。はっきり「楽しくなかった」と言うことは、同じだけの温度で向き合っていることに違いなかった。勝ってさえいれば楽しかったのだ。
「タバコ、やめたんですか?」
「別に。吸いたいと思わないだけ。退屈しなきゃ吸わないよ」
「そうですか。・・・・・・時に鮫島先輩」
 ん? とこっちを向く。その口の端がいじわるそうに歪んだ。
「これって・・・・・・どこまで上がるんですか?」
「あー言ってなかったね。上級者コースは東と西があって、今向かってるの東の方。最大傾斜三十二度。コブ有りだから思いっきり楽しめるよ」
「・・・・・・つまり?」
 涼しい目元。すましていればただの色男だ。その細長い指が天を指した。バスケで一本、と言うときと同じ動作だった。
「てっぺん」




 リフトを照らす日の光が橙を強める。子連れは帰り支度を始める頃かもしれない。ここからでは全く見えないが。
 分かっていた。認識していた痛いほど。
 僕はこの人が嫌いだ。大嫌いだ。なのに時折垣間見る危うさに引きずり回されているのもまた事実。
「おかしいでしょうがぁぁぁぁ! 僕言いましたよね? 雪山二回目ですよ? 頭イカレてるんじゃないですか!」
「イカじゃないよ。鮫だよ。あんな下等生物と一緒にしないでよ。大丈夫だって。ぴょーんって跳べばすぐふもとだよ」
 赤い帽子の配水管工事のおじさんだってそんなのはムリだ。
 僕たちの後ろにいた男性は、リフトに押し出されるような形で降り立つと、あっという間に脇を走り抜けていった。肩の角度、身体の使い方が完全にアスリートだった。
「手つないで一緒に行こうか?」
「あなた跳びますよね? 確実に跳びますよね?」
「当たり前じゃん。何のためにこのコース来たっての」
 垣間見る危うさ? 違う。危ういのはその人に振り回される側だ。引きずり回されると自覚しながら着いてきた僕が、だから悪い。一瞬、ドーベルマンにまんまと食われてたという高崎先輩の姿が脳裏をかすめた。
「・・・・・・ドS」
「ぎゃはは。じゃあひじき君はドMだね。相性バツグン」
 心底楽しそうな無邪気な笑顔。どうしようもないわがままに付き合う人はそれでも必要で、嫌いだけれど、大嫌いだけれど、同時に
 変わらずにこのままの形でいて欲しいと願わずにはいられない。

「鮫島先輩」
 それはコースを三分の二も過ぎた所だった。思わぬ所に出現したコブに翻弄されて、無様に転倒した様を携帯におさめるために傍に佇む姿に声をかける。
 カシャ。
「僕、草進さんと付き合うことにしたんで」
 冷たい風が吹き抜ける。鮫島先輩は「迷惑、早く立って」とコースの脇に誘導すると「何、どゆこと、いつから」と聞いた。
「・・・・・・一ヶ月前からです」
「一ヶ月前から・・・・・・で『付き合うことに』か? 『付き合ってる』じゃなくて?」
 確かに。でも言いながら僕自身違和感を覚えることはなかった。
「なぁそれ、本当に付き合えてるのか?」
 舌打ち。その眉間に寄るシワ。ついさっきまで子供のようにはしゃいでいたのと同じ人物とは思えない。
「・・・・・・何だよ、それ」
 その後、さっさと先に行ってしまったその人は、思いがけず寂しげな表情を残した。
 僕は予想していた反応と現実とのギャップに戸惑う。てっきりあの人だけは祝福してくれると思っていたのに。
 再び滑り始める。前半に比べて傾斜も緩やかで残りは少ないはずなのに、目の前に広がるコースはどこまでも長く、とても一人では滑りきることができない気がした。



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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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