聖10〈9月22日(水)〉

文字数 4,486文字

 一

 思わず二度見してしまった。あまりにその人と背景がマッチしていなかったからだ。
 放課後、時刻は十六時十分。日焼けした蔵書の敷き詰められた空間。煙った西日の差し込む図書室は物憂げな雰囲気をしていた。不自然な動きが視界に入ったのだろう。火州先輩は顔を上げると眉間にシワを寄せた。目を引いた明るい髪色は、飼い慣らせない野生。まるで墓地の真ん中に生命力の塊が現れたかのようだった。どうした所でその気配は隠せない。僕は軽く会釈すると、そのまま教室を出ようとした。
 ガタッ。
 ・・・・・・え?
  響く足音。静かな場所だから余計に耳が敏感になる。無言で近づいてくる圧に耐えきれず声をかける。
「何ですか?」
「出ろ」
 いや、今出ようとしていた所なんですけど。
 ドアをくぐるのはほぼ同時だった。その後火州先輩が先に立って階段を上がる。
 え。
 この上は屋上だ。生徒の立ち入りは禁止されている。しかし「早くしろ」と言われると従うしかなかった。鋭い眼光。やはり一般的には関わりたくない相手だ。最悪見つかったら、強制されたと主張しよう。
 階段を上りきった所は踊り場になっていた。丁度左手にえぐれたコの字型になっており、そこに入ってしまえば階下からは完全に死角になる。屋外に続く磨りガラスから淡い光が差し込んでいた。はっきりとした境のない、グラデーションの灰色。その真ん中に立つと、火州先輩はようやく振り返った。
「お前」
「火州ー」
 突然の大声に心臓が飛び出しそうになる。
 ダン! ダン! ダン! と必要以上の音を鳴らしながら現れたのは鮫島先輩だった。ここにいる事自体後ろめたいのだ。見つからず済むのならそれに越したことはない、のに、この人は
「静かにしてください!」
「あれ? 何で水島君?」
 全く気にとめることなくきょとんと目を丸くした。遅れてその後ろから高崎先輩が現れる。
「おお水島。久しぶりだな」
 焼けた肌はきちんと黒くなじみ、より一層歯の白さを際立たせる。この人の大きな笑顔は無条件で安心感を与えるようだ。僕は頭を下げると、早々座り込んだ鮫島先輩を見下ろした。
「座んないの?」
「・・・・・・」
「鮫、今日お前そこでいいのか?」
「ん。たまには下民のキモチを知るのも大切だからね」
「下民って誰のことですか」
「基本コイツ上座ゆずらねぇんだ。まぁいいならいいけど」
「座んないの?」
 その細い目に差し込む光の、明るい部分だけが反射した。下民である僕に向かって「面をあげい」と言っているのだ。
  階段を上がった所。確かにここが下座だった。


  二

 また一つ、空のチャイムが鳴った。普段なら部活始めろよの合図だ。
 ため息一つ、火州先輩が腰を下ろす。僕の右隣だ。笑いながら腰を下ろしたのは高崎先輩だ。火州先輩の向こう、丁度僕の向かいに当たる。そうして僕の左隣に鮫島先輩。僕は観念して腰を下ろした。
「何で水島君?」
 その後、さっきと同じように尋ねる。火州先輩は「聞きたい事があった」と言うと携帯を取り出した。正面から取り合う気はなさそうだ。鮫島先輩は「ふーん」と言うと、意地悪そうに口の右端をつり上げた。
「リカちゃんは? 今日はいいの?」
 リカちゃん?
 携帯の画面から目が上がる。
「いや、聞いてみただけ。前に『今はリカだけ』っつってたから、さぞかし大事にしてんだろうと思ってね」
「関係ないだろ」
「お人形遊びも大概にしないと、後で痛い目見るんだからね。ま、どうでもいいけど」
「あ?」
 その腰が浮く。今にも飛びかからんばかりだ。高崎先輩が割って入る。
「やめろって。鮫、突っかかるな。どうしてそう血の気が多いかな。お前も鮫がそういう言い方されんのが我慢ならないっての知ってるだろ。話せる事があるなら話せ」
「お前は鮫島に甘いんだよ」
 過保護か、と言うと再び携帯に目を落とす。高崎先輩は鼻でため息をつくと、目で僕に謝った。
「リカさん・・・・・・っていうのは」
「ああ。コイツの女」
 本人は顔を上げない。いておかしくないけど、実際にいたんだ彼女。まじまじと見るとガン飛ばされた。下手に立ち入らない方がよさそうだ。反対側を見ると、鮫島先輩が分かりやすくすねていた。火州先輩に背を向けて丸くなっている。一人だけ円の外を向いているため、非常に気になって仕方ない。それこそがこの人が求める反応なのだと思うと、
「・・・・・・子供ですか」
「聞こえてるからね。ばっちり聞こえちゃってるんだからね。何か文句ある?」
「ないですよ」
 言った所で再び階下から足音がした。控えめなステップ。ステップと称するからには軽い足取りだった。現れたのは
「・・・・・・」
 鈴汝さんだった。思いも寄らぬ相手に驚いたのだろう。眉間にしわを寄せて口を開けたまま僕を見つめている。
「あ、雅ちゃん」
 構ってくれそうな相手の出現に尻尾を振るようにして喜ぶ。鮫島先輩は素早く向き直ると、僕と自分の間にスペースをつくって手招きした。
 そうか。「ここ」だったんだな。
 火州先輩、高崎先輩、鮫島先輩。それに加えて鈴汝さんが現れることで、その関係の出所を掴む事が出来た気がした。
〈友達前後ってとこ?〉
「ここ」にその拠点はあったんだ。
 鈴汝さんが僕と鮫島先輩の間に腰を下ろすと、四角形が円になった。皆が皆等間隔に並んでいるという訳ではないけれど、寄合なんかはこんな風に行われたに違いない。


  三

「どしたの? なんか疲れてる?」
「いえ、五限が数学で・・・・・・苦手なんです。もう頭がパンクしそうで・・・・・・」
 鮫島先輩は目を丸くすると「パンクなんてしないよ」と言った。いつの間にか円の内側を向き直っているとこ、さすがだ。
「要は根っこにある式を見つけ出せるかどうかでしょ? 見つけ方は経験則だからパターンを覚えなきゃいけないけど、パンクする程じゃない」
「うーん、そうなんですよね・・・・・・でも見つけ出せなくてうろうろしてる内にパンクしそうになるんです。どうも数字とは相性が悪いみたいで・・・・・・」
「そう? 分かんなきゃ聞いてくれてもいいよ。いっぱい漢字覚えるよか全然ラクだと思うし。何とか天皇とか何とかのゴセイモンみたいに。そんなの覚えて一体何になるんだか」
「鮫」
 高崎先輩の声に鮫島先輩は舌を出した。相変わらず火州先輩と目を合わそうとしない。僕は再びすね始める前に左隣に声をかけた。
「国語なら僕が」
「結構よ。あなた一回じゃない」
 火州先輩の前だからか、ツンとした物言いの角が丸く切り取られている。それがまた胸をざわつかせた。その時だった。
「国語いけんのか? 火州、お前水島に教えてもらったらいいじゃねぇか」
 高崎先輩がうれしそうにする横で火州先輩は顔をしかめた。
「一回じゃねぇか」
「何言ってんだよ。お前五段活用でつまづいてたじゃねぇか。点数の四分の一抱えてる古文の入口だぜ? 四の五の言ってられる立場かよ」
 ぐ、と言葉に詰まる。本気のダメ出しに、何故だかこっちの身が縮む。
「水島」
「はい」
「平安時代、お前何で道長が力を持ったか知ってるか?」
 藤原道長。娘を次々と天皇に輿入れさせて大成させた人だ。その内容を答えると、
「何で」
「え?」
「何で道長はそれが出来た? 誰だって出来た訳じゃないだろ」
「それは・・・・・・」
 口ごもる。確かに思いつきで出来る事じゃない。背後に何らかの力が働いていたに違いないが、それが何なのか分からない。
「火州」
 高崎先輩は自分の左隣に視線を移した。
 眉間のしわはとれない。鮫島先輩が「何、分かんないの?」とあおる。そう言う自分だって絶対分かってない。鈴汝さんはじっと見つめている。その横顔に不安そうな様子は見られない。まっすぐ「飛鳥様」を信じている。
 しぶしぶ口を開いたのは、挑発に乗るというよりかは、自分に託された沈黙に耐えきれなかったという印象だった。

「・・・・・・寺だ」
「え?」
「興福寺。厳しい税に耐えかねた村の人間が、身分の高い相手に土地を預けた。元々興福寺は藤原の氏寺で、この時代の土地は人とイコール。そうやって今で言う奈良の土地をほとんど支配化に置いた。預けられた土地があるって事はほっといても金が入る。力を持つ」
 息を呑む。この人は
「・・・・・・だから無視出来なかった。無理にでも押し通して、天皇を身内に引き込む事が出来た」
「同じようにして成功したのが平家だったか?」
「・・・・・・平家は西の土地をおさめてた。だから神戸で外と貿易を始めた。そん時船の通り道を作るのに関わった奴らを動かすことで支配権を持った。・・・・・・でも結局続かなかった。それが」
 ただ春の夜の夢のごとし。
「平家物語」
 思わず口をついで出ていた。しまった、と思った時には遅かった。静まりかえる中ただ一人、高崎先輩だけが満足そうに笑う。
「ほらな。国語と社会は似たようなもんなんだよ。それが合わさって初めて見えるもんってあると思わねぇか?」
 その言葉は、それだけでなく別の何かを指しているようにも思えた。
「火と水が合わさったら消えちまうんじゃねぇの?」
 例の通り口の右端を吊り上げて鮫島先輩が言う。確かに。ってコラ。何だよ合わさってって。嫌だよ。
「違ぇよ」
 高崎先輩は背筋を伸ばして伸びをすると、その手を下ろすと同時に言った。
「上がるんだよ。いろんな制約から解放されてな」


  四

 音を立てず日が傾く。薄い雲の間をくぐって赤い光が届く。
 暖色。それは周りが暗くなる程にまぶしい。時刻は十七時を回っていた。
「あの、すいません。僕はそろそろ」
 日が落ちる前に家に帰りたかった。外にあるバスケット用のゴールは夜になってしまうと見えないし危ない。ヘッドライト。一度車が来たタイミングでボールを取り損ない、激しくクラクションを鳴らされたのを覚えている。
「そうなの? それは残念」
 全く残念そうに見えない顔でそう言うと、鮫島先輩が笑った。その向こうで鈴汝さんがうつむいている。決して目を合わそうとしない。それでも
「・・・・・・僕はもう負けませんから」
 声は、届く。そう信じて。
 振り返るともう頭はバスケのことで一杯になっていた。
 その後階段を降りきった所で、足音が一つついて来る。デジャヴ。嫌な予感がする。
「おい」
 火州先輩は相変わらず難しい顔をしながら僕を見ていた。いい加減表情筋が疲れそうだ。声をかけたにも関わらず言いよどむ。聞きたいこととは一体何なのだろう。
「・・・・・・お前・・・・・・ちょっと焦った方がいいぞ」
 何のことか分からず棒立ちになる。その大きな手が自らの頭をかきむしった。
「と、それと・・・・・・その、・・・・・・真琴は・・・・・・」
 草進さん?
 その後火州先輩は「いや、何でもない」と言って向き直り、図書室のドアを開けた。
 僕は続くはずだった言葉を推測してみるが、どれもどうもしっくりこない。
 ただ、草進さんは本が好きでよく図書室に足を運んでいたな、という記憶だけが不自然に脈打って、何故だか限りなく「しっくり」に近いものを指し示しているように思えた。


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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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