雅2〈5月19日(水)①〉

文字数 1,207文字


 雅二、五月十九日(水)

  一

〈ねぇ、なんで〉
 なんで、なんで、なんで。
 混沌。切れそうに張り詰めた空気。うかつに呼吸ができない。
〈なんで、って〉
 視界が狭まる。逆光。絶望的な隔たりの向こう側に見えるその人は、振り返ると笑った。
〈お前、俺のもんだろ?〉
 堂々とした物言いに、あたかも自分が間違っているかのように錯覚する。
〈どう扱おうと、俺の勝手だろ〉
 凍るような一瞥。もうあたしにはカケラほどの興味も残っていない。その後その人は静かにここを出て行った。あたしと、大柄の男性三人を残して。これから何が始まるかなんて予想ができなかったし、したくなかった。それを察知した本能がただ全ての防御に回る。
 耳の奥でざくん、ざくん、と波打つ音が聞こえた。一人の男の手が伸びてきた。一歩後ろに下がる。長い腕がかすめる。よける。振り払う。今度は二本の手が伸びてきた。背を向けて走り出す。天井が高く敷地も広い工場の廃墟。けれども三人の男から逃げるには決して広くない。声を上げたって、天井には届いても外には、本当に気づいて欲しい人たちには決して届かない。
〈誰か!〉
 よく響く。壁にぶつかった音が跳ね返される。その中に低い笑い声が混ざる。
〈誰かっ!〉
 笑い声。何よりこの状況を楽しんでいるようだ。時に犬や猫はわざと獲物をいたぶって遊んだりするという。有能である己を確認するための、それは生き物としての本能なのかもしれない。ぐん、と襟首をつかんで引っ張られる。思わず咳込むが、次の瞬間には背中から地面に叩きつけられた。瞬間、本当に息が止まる。頭を打った衝撃でまぶたの裏に無数の星がはじけた。
  制服のリボンが引きちぎられる。おいしそう、と誰かが言うのが聞こえた。必死で腕を突っ張る。無我夢中で蹴り上げる。しかしほんの数秒、大した労力もかけず押さえつけられる。腕は六本あるのだ。四肢を押さえつけても余りある。喉元が引き攣れた。こみ上げる熱。その時、わざと男が顔を寄せた。
〈泣き叫んでもいいよ〉
 目を見開く。激情。全身から噴き出る、焼けるほどの屈辱と憎悪。
 尊厳、とは。その心底楽しそうな両の目。底知れぬ闇。もはや生物学上同じ生き物に分類されようと、言葉が通じるとは思えなかった。意思疎通はかなわない。懇願も拒絶も全て刺激的な調味料になり下がる。絶望とともにこびり付く、錆びた鉄のにおいと、クレーンの金属音。
〈あ〉
 制服の前が開けられた。無駄だと分かった喉が、せめてこれ以上こいつらの望み通りにならぬよう、震えることを放棄する。スカートの裾をまくり上げられる。食いしばった奥歯が一度だけ鳴った。息ができない。意識をなるべく遠くへ追いやる。きつく、目をつぶる。
 
 涙など、流すものか。
 腐った連中。腐った、彼氏。
 鳥肌が立つ。

 腐った、男と名の付く生物。

 絶対に許すものか。



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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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