多須沙羅〈11月25日(木)〉

文字数 3,908文字

 

 


  一

 それは本当に偶然だった。でもだからこそ貴重な機会を逃すまいと息巻く彼女。
 生徒会室前。人気がなく、見通しの良い廊下の突き当たり、図書室から現れたその子は、こっちを見るなり足早にやってきた。名乗るより先に「あ、の、」と用件を切り出す。
「み、水島君とどういう関係なの?」
 腰まで届く長い髪。切りそろえた前髪の下でメガネのフレームが光った。同じくらいの身長ではあるが、見えない圧に押される。
「どういうって・・・・・・生徒会で一緒だけど・・・・・・」
 午後の授業で使うために持ち出した国語辞典。その目が私の胸元に落ちた。
「・・・・・・そ、それだけ?」
「それだけって?」
 何が言いたいのか分からない。それにどこの誰かも知らない人に自分の人間関係を話したくなかった。
「あ、の、昨日の球技大会のあと、水島君があなたの事呼んだ・・・・・・じゃない」
 たどたどしい口調。きっとこの行動自体、本来彼女の持つ性質に合っていないのだろう。それでもそうせざるを得ないのは
「・・・・・・うん。でも本当に何でも」
「じゃあ・・・・・・何て言ってたの?」
「えっ」
「何でもない事なら・・・・・・教えて」
 息を呑む。突き破るだけの勢いは持たないにも関わらず、何となく尖っている先端を押しつけて、強引に押し空けようとする。そのにじり寄り方が不気味で、ますます不快になる。
 きっとこの子は水島君の事が好きなのだろう。それでも個人間のやりとりを暴かれるいわれはない。抵抗しようとしたその時だった。
「オイ、いい加減にしろよ」
 その子の向こう。細身のシルエットが現れる。切れ長の目。歪んだ口元。その人は歩いて来ると、私とその子の間に割って入った。
「お前、今何やってんのか分かってんの?」
「・・・・・・」
 第三者の出現で冷静になったのか、うつむくと下唇をかんだ。
「何勝手に人のプライベート探ってんだよ。本人知ったらいい気しないよ」
 瞬時にその目に不安がよぎる。顔を上げると声高に叫んだ。
「み、水島君には言わないでっ・・・・・・!」
「だったら言われて困ること、最初からするんじゃねぇよ」
 ここからだとその表情は見えない。見えないけれどある程度想像することはできた。
「ったく・・・・・・あ、雅ちゃん。丁度いいとこ。コイツ連れてってくんない?」
 階段から姿を見せた会長。その目が丸い。突然の事に戸惑っているのだ。無理もない。
「し、ししょ・・・・・・」
「言わねぇよ。でも今お前おかしいからな。それだけは自覚しろよ」
 行け。そう手で追いやると、何か言いたそうな会長もろとも階段に向かわせた。


  二

 十三時のチャイムが鳴る。足音が一定の距離まで遠ざかると、その人もまた歩き出した。
「この場合・・・・・・お礼を言うべきですか?」
 その足が止まる。振り返ることなく返ってくる声。
「必要ない。守備範囲だ」
「・・・・・・妹も保護の対象になるんですね。初めて梨沙姉から恩恵を受けました」
 返事はない。代わりに再び歩き出した背中に声をかける。
「会長、何か用があったんじゃないですか?」
 呼び戻しましょうか、と階段に向かうが止められた。振り返って見上げる。目は合わない。
「どうせ会う顔だ」
「急用かもしれません」
「今はあいつを解放する方が危ない」
 眼前によみがえる、切りそろえた前髪。意思を持った強いまなざし。
「・・・・・・私は、守ってもらわなくてもいいです」
 長い前髪。その間からのぞく目はやはり私を映さない。けだるげな雰囲気。
〈つとむくん〉
 姉が呼んでいたその人は、聞いていたのとは全く違う生き物として目の前にいた。この人が目を背けているのは、だから私だけではない。
「私は、梨沙姉のことをかわいそうだと思っています」
 突き当たり、生徒会室を背にしているのはツトム君だ。だから彼は逃げられない。ようやく目が合う。
「少なくとも私は誰かと自分を比べたりなんかしません。期待に応えようとしたって限界があるし、結局今の自分ができることが全てでしょ? だったらそのままの自分を見せるしかなくないですか?」
「あいつは・・・・・・腹違いの姉ちゃんが優秀だったから、テメェの母親を貶めないように努力したんだろ。少なくともテメェで始まってテメェで終わるような小せぇ考え方はしてなかったんじゃねぇの?」
「それでいておかしくなっちゃったらどうしようもなくないですか? 周りからしたら、とんだとばっちりですよね」
「・・・・・・」
 物言わぬ目は鋭い。私は一呼吸置くと続けた。
「もういいじゃないですか。あれから丸二年です。いい加減前を向きましょうよ」
 今はあなたの方が心配です。そう言うと、ツトム君は余計なお世話だと言った。
「進学するつもりですか? 授業出てますか?」
「ほっとけよ」
「ほっとける訳ないじゃないですか。梨沙姉の大事な人なんですから」
 チャイムが鳴った。授業開始五分前の合図だ。国語辞典を抱き直す。
「知ってるんですよ。わざと先生の目につく所でタバコ吸ったり、授業サボったりして、梨沙姉のことかばおうとしてるの」
「・・・・・・あいつは俺に巻き込まれただけだ」
「ウソつき。そうやって梨沙姉を退学にした先生の判断は間違ってたって認めさせたいだけでしょ。ツトム君が執着してるのは梨沙姉の名誉」
「うるさい!」
 昼休みが終わる。人気のない廊下に怒鳴り声が響いた。


  三

 チャイムの余韻がいつまでも残るようだった。突然の大声に反応できずにいると、ツトム君は舌打ちして頭をかいた。
「もういいだろ。お前も早く教室戻れ」
「だって・・・・・・」
 出す声が震える。
「だって、あんなに楽しそうにバスケするじゃないですか。いいじゃないですか。どうしたって梨沙姉はもうここには戻らない。ならせめて自分だけでも正しいルートを歩めば。その方がよっぽど建設的じゃないですか」
 横顔。再び合わなくなる目。完全に会話を遮断される。これ以上何を話してもムダだろう。
 私は国語辞典を抱き直すと、廊下を振り返った。
「オイ」
「・・・・・・何か」
「それ、」
 指差したのは私の抱えているもの。
「電子ジショとか使わねぇの」
「・・・・・・家にそんな余裕ないので」
 二十歳の時蒸発した長女を捜索するため、父親は後先考えず手元にある現金のほとんどをつぎ込んだ。直接血のつながっていない母と梨沙姉と私は、複雑な思いを抱えながらもそれを止めることができず、ただの会社員が大黒柱である家計はまたたく間に火の車状態に陥った。その後もギリギリ生活できるだけ残して捜索費にあて続けた。そんな生活が四年も続いた「あの時」の鮫島家からの提案は、だからようやく訪れた一つの節目でもあった。
「あの時はお世話になりました」
「俺は関係ない」
 梨沙姉のお腹に宿った命。日の目を浴びることのなかった赤子の存在を、関係のあった二人の根元から断ち切って、完全になかったことにする。
 それは「二度と二人を会わせない」そのことを条件に差し出された金銭だった。
 今まで細々とつぎ込んできた金額とは比べものにならない。これでダメだったらあきらめがつくと言える程の現金を前に、父はうなずいた。互いの子の幸せのために。そう言ったのを覚えている。
「・・・・・・当時に比べて随分生活に余裕ができました。それでもクセみたいなものなんですよね。必需品でない限り欲しいとは思いません」
「そう」
  見つめる先に何も映さない。この人にとって映すべきものは、永遠に奪われてしまったのだ。
「・・・・・・もういいじゃないですか。お互い幸せになることがお互いにとってのいいことですよね。例え今一緒にいなくても、その瞬間一緒にいた事実は消えないじゃないですか」
「消えないよ。犯した罪もね」
「そうですね。でもだからこそ今度いい人に出会った時は本当に大切にして下さい。それでいいじゃないですか」
 知りませんよ。案外姉の方が先進んでるかも。そう言い残すと、今度こそ階段を降りる。降りながら浮かぶ、大きな黒目。それは昨日の事だった。
〈沙羅、教えてくれ〉
 階段を降りきった所でようやく歩を緩める。息が上がっている。いつの間にか駆け足になっていた。
〈お姉さんはどうして学校を辞めたんだ? その事と鮫島先輩の素行は関係があるのか?〉
 あらわになった額。普段見られない姿にとぼけるタイミングを逃してしまう。それでも、これも一つの節目なのかもしれないな、と思った。
〈もう人を好きになる資格はないってどういうことだ?〉
 目をつむる。
 もういいじゃない。
 目を背けてきたのは私も同じ。『子供ができて退学したヤツの妹』そうさげすまれてきた。でも私はどうして梨沙姉がツトム君を選んだのか知ってる。どれだけ大事に思ってたかを知ってる。そうしてそういう相手ができればこそ、想うことの尊さを知る。どれだけ好奇の目を向けられても、信じられるたった一人に出会えれば守られる。まっすぐ、立っている事ができる。
〈本当に好きだったって・・・・・・。お姉さんとの間に何があったんだ?〉
 人は間違いを犯す。でもだからといって立ち止まってはいられない。いつまでも子供ではいられない。だから
 幸せになろうよ。
 梨沙姉から一度だけ見せてもらった写真。その中で二人は笑ってた。この世の光だけを集めたような一枚。こっちまでくすぐったくなるような、無防備な姿。大好きな二人。だから
「授業、出て下さいねー」
 顔を上げて叫ぶ。返事はなかった。別に構わない。
 私は私のするべきことをする。その先で望む場所に辿り着けば良い。
 急いで教室に向かう。腕の中で国語辞典が揺れた。






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登場人物紹介

草進真琴(そうしんまこと)

高一女子。モットーは「私はただの高校生。それ以上でもそれ以下でもない」

6月10日生まれ、A型。


作画、いく。

火州飛鳥(ひしゅうあすか)

女嫌いの高三。美形。

9月2日生まれ、B型。


作画、いく。

鈴汝雅(すずなみやび)

男嫌いの高二。美人。

3月3日生まれ、O型。


作画、いく。

水島聖(みずしまひじり)

病んだ高一。思い込みが激しい。

6月27日生まれ、A型。


作画、いく。

鮫島勤(さめじまつとむ)

高三。飛鳥の友人。

2月2日生まれ、AB型。


作画、いく。

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