真琴4〈7月25日(日)④〉
文字数 1,556文字
四
「あたしは、飛鳥様が好きなの」
「・・・・・・えっ?」
突然の告白に心臓が跳ねる。おそるおそる顔を向ける。その張り詰めた頬には、先ほどと打って変わって、少しでも衝撃を受けたら壊れてしまいそうな脆さがにじみ出ていた。
どきどきする。先輩は、女の子の顔をしていた。
「飛鳥様が、好きなの」
その目が光を取り込んで、まばたきする度に少しずつそれを跳ね返していく。引き結んだ唇。念のため聞いてみる。
「飛鳥様って・・・・・・火州先輩のことですか?」
先輩は一度だけうなずいた。あたしは、言葉が続かない。
「よく、男は星の数ほどいるんだから、なんて言うけれど、」
息を呑む。
「あたしは男の人が大嫌いなの。あたしには」
ゆがんだ眉山。女のあたしでもどきどきするほど、何というか、
「飛鳥様しかいないの。飛鳥様だけなの」
私はその声に動けなくなる。あぁ、そういえばこの人の声は、私を金縛りにする力があったんだと、ふと思い出す。
「どうして・・・・・・飛・・・・・・火州先輩だけはいいんですか?」
それでもそうして思ったことを聞いてみる。先輩は目を細めると、もう一度開いて、流し目で私を見た。
ドン。
花火は残り数発。その一つ一つが余韻を残すかのように、重くお腹に響く。
風が流れる。先輩から微かな甘い匂いが漂ってくる。いつの間にかその目には、水っぽいものが溜まっていた。男の人ならたぶん、ひとたまりもないだろう。その唇が動いた。
「目が、違うのよ」
ドン。
私は食い入るように先輩を見つめる。
「あたしを見る目が」
ドン。
屋台の橙がまた一つ、その姿を消す。先輩は浴衣の全面が張るほど大きく息を吸い込み、同じように息を吐いた。
「男の人は怖いわ。どんなにいい人だって、表の皮一枚はがせば皆同じよ。結局みんなヤりたいだけなのよ」
私はぼうっとこの夢のような非日常の空間で考える。水島君もそうなのだろうか。先輩はその帯と浴衣の間に両手の親指を入れると、左右にずらした。
「でも」
声に反応して、私は再び顔を上げる。
「飛鳥様だけは違うわ。あの人のまなざしはいつだって慈愛に満ちてる」
火州先輩が? じあいにみちて?
私は先輩が目をつむったのをいいことに、首を傾げる。
「あの人だけは、他の男と違うの」
もう一度そう言うと、その目をゆっくりと開ける。そうして薄く下唇を噛み、手のひらを握り締める。先輩を包む空気が、再び一瞬の内に張り詰める。
「だから」
私はその指先に目を落とす。ここからだと握った手の親指の爪だけが見える。桜色のかわいらしいネイル。それは少なくなった橙の光を最大限に受けて、キラキラと輝く。
ドン。
私は緑に照らされたその横顔を見る。赤い頬。包む緑。そうしてやっぱりりんご飴が食べたかったなぁ、とぼんやり思う。出来れば色違いの方の。
「・・・・・・この間は、その・・・・・・ごめんなさい」
首筋の辺りから、昏い感情が溢れるのが見えた気がした。私は例の通り「いえ、いいですよ」と首を振る。勿論、一度出来てしまったしこりはそれだけで消える訳ではない。
「でも」
先輩の目が強い光を帯びる。その視線は私を貫く。
「飛鳥様は渡さないわ。絶対」
ドン。
最後の花火が上がる。それと同時に、人々の歓声が上がる。それは、その歓声は、私にはその強い覚悟に向けられたものに思えた。ここまではっきりと自分の思いを主張できる人間もいるのだ。私はそんな先輩をうらやましく思った。
夜空は、再びその静けさを取り戻す。代わりに耳に入ってくるのはざわめきと、微かな虫の音だけだ。
「戻りましょう」
先輩の声が響く。鈴虫がそれに反応するかのように「リン」と鳴いた。