第395話 夢の国へ4

文字数 3,988文字

 名残惜しそうにパレードで去っていったキャラクター達の後ろ姿を見つめていた星にエミルが声を掛ける。

「さて、パレードも終わったし次のアトラクションに乗りに行きましょうか!」
「――はい!」

 大きく頷いた星はエミルの後に続いて行く。

 次に向かったのは大きな本の様なオブジェのある建物だった。そこにはハチミツ好きなクマが描かれていて、どうやらそのクマが木の上のハチミツを取りに行くと言う内容らしい……。

 アトラクションの中に入ると、目の前にハチミツの入った瓶を模した乗り物が止まっていて、それに乗る様にと従業員に指示された。

 だが、星はあまり乗り気ではなかった。その理由は薄暗い館内にあった――さっきは外で視界が開けた状態だったが、今回のアトラクションは違う。薄暗い中、行き先が分からない上に乗り物に乗ってしまえば、もうなされるがままになってしまう。

 今日が初めての遊園地の星にとって、なにも分からない状態で乗り物に乗るのはさすがに怖い。
 乗った行き先もそうだが、今から乗ろうとしているこの乗り物がどれくらいの速度が出るのかさえ分からないのだ。

 乗ることに躊躇して後退る星の体を後ろにいたエミルが受け止め、星の腰に手を当てたエミルの顔を見上げた星の紫色の瞳は慣れない雰囲気に怯えている様子で、その体は微かに震えていた。

「大丈夫。そんなに怖がらなくても、私も乗った事あるけど大したことないわ。もし怖かったら私の手を握ってていいから」
「……はい」

 その言葉を聞いた星は静かに頷くと、エミルが腰に手を当てたまま星を乗り物へと導いていく。
 乗り物に乗った直後、目の前の扉が開いてアトラクションが動き出すと、咄嗟に星がエミルの手を握る。薄暗い部屋から突然広がる明るいファンタジーの世界が星の目の前に広がっていた。

 進んでいく中で繰り広げられるクマのキャラクターがハチミツを取りに行く物語を疑似体験できるファンタジーな世界観を、星は瞳をキラキラと輝かせながら見ていた。目に入る全ての物が星には新鮮で、とても大事なものに映っているのかもしれない……。

 アトラクションは数分の間に終了し、乗り物から降りた星は興奮気味にエミルの顔を見上げながら言った。

「最後の方にハチミツの瓶からボアって煙が出てきましたよ!」
「そうね。あれはびっくりしたわね」
「また乗りましょう! 私、また乗りたいです!」

 相当あのアトラクションを気に入ったのか、星はエミルの手を引っ張っている。そんな普段は見れない星の子供らしい一面に、エミルも満足そうに笑みを浮かべながら「はいはい」と言われるがままに同じアトラクションに繰り返し乗った。

 結局、3回も同じアトラクションに乗った。星は満足そうだが、エミルはさすがに飽きたのかその表情は硬かった。だが、星の興奮は収まっていないようでエミルの手を引いて走り出す。

「次はあれに乗ってみたいです!」
「え? どれ――――って、あれに乗るのッ!?」

 驚いたエミルが星の指差す先にあったのは綺麗に装飾された大きなティーカップ型の乗り物がたくさんある場所だった。

 一目散にその場所に向かって走っていく星に連れられて走るエミルは何故か楽しそうに見える。

 それは星が楽しそうにしているからに他ならない。エミルの所に来た星は、まるで魂の抜け殻のようで暗くどんよりとした雰囲気が漂っていた。そんな彼女が、今は心から嬉しそうに駆け回っているのだ。それがエミルには嬉しかったし、この場所に星を連れて来て良かったと感じていた。

 ティーカップの形をした乗り物に向かい合って乗った星とエミルは、中央に付いたハンドルを掴んで笑う。星もアトラクションに乗るのに慣れて余裕ができてきたのか、さっきまでの不安な表情を見せることはなくなっていた。

 乗っていたティーカップが動き出し、エミルが中央のハンドルを回すとティーカップがさっきよりも激しく回り出す。笑い声を上げながらハンドルを回しているエミルに負けじと星もハンドルを回転させ乗り物の回転を加速させている。

 そしてアトラクションが終わりティーカップがゆっくりと止まると、先程まで軽快にハンドルを回して加速させていたエミルの顔が真っ青になったまま、よたよたと覚束ない足取りでアトラクションの外へと出た。

 心配そうな顔でエミルの側を歩いて近くのベンチへと腰掛けた。

「大丈夫ですか?」
「……ええ、ちょっと気持ち悪くなっただけだから、少し休めば治るわ……」

 ベンチに腰掛けて俯き加減にハンカチで口を押さえているエミルに星が素朴な疑問をぶつけてみた。

「エミルさんってドラゴンに乗って戦うから、乗り物酔いとかしないと思ってました」
「――まあ、ゲーム世界では肉体だけじゃなくて神経なんかも強化されてるから。現実の肉体や感覚だけじゃ、モンスター相手に数秒ともたないもの……」
「なるほど……」
 
 星は納得したのか深く頷いた。

 それから数分間にわたって無言の時が流れた。エミルはまだ具合が悪いのだろう、口にハンカチを押し当てながらベンチの背凭れに体を委ねて目を瞑っている。

 星もそれが分かっているからか、彼女に声を掛けず俯いていた。いや、理由はそれだけではない……。

 エミルの隣に座っていた星はコクッ、コクッと今にも寝そうに首を動かしていた。

 しかし、それも無理はないだろう。初めての遊園地ではしゃぎ過ぎて完全に体力の限界は超えていた。ただ、興奮状態だったから今までは睡魔を抑え込めていただけで、こうしたゆっくりとできる時間があれば体は睡眠欲を優先して酷使した体を休めようとするのは生命として当たり前のことだ。
 
 エミルの調子が良くなって隣に座っている星に話し掛けようと横を見ると、スヤスヤと寝息を立てている姿が目に入った。
 眠っている星の顔を見てエミルは微笑むと、徐に立ち上がって電話を掛けた。それから数分後、スーツを着た白髪の男性が星のことを抱きかかえて運んでいく。

 気持ち良さそうに眠っている星の顔を見下ろしてスーツ姿の白髪の男性が言う。

「お疲れになったのでしょう。それだけ、お嬢様と遊園地に来られたのが楽しかったという事でしょうね」
「そうだといいのだけれど……」

 少し表情を曇らせたエミルの顔を見て、スーツ姿の白髪の男性が優しい声で尋ねる。

「何かありましたか?」
「――ええ、アトラクションに乗って気分が悪くなってしまって、せっかくのこの子の遊ぶ時間を取ってしまったの……」
「はっはっ、なら訂正しなければならないですね。本日はお嬢様も相当楽しまれておられたようで何よりです」
「………………」

 微笑みながらそう言ったスーツ姿の白髪の男性から顔を逸らして頬を赤く染めるエミル。

 彼女にとっては彼に笑われたことが相当恥ずかしかったらしく。しばらくの沈黙の後、ため息を漏らしながらエミルが呟いた。

「はぁ……また近いうちにこの子を連れてこなきゃね」
「いえ、それなら心配いりません。もうこの施設内で近くのホテルを予約しておきましたから」
「本当!? でも、この時期でもホテルの予約は満室じゃないの?」
「はい。ですが、あの方なら……」
「――ッ!?」
  
 エミルは一度は驚いた表情を見せたが、すぐに頷いて表情を曇らせた。

「……そう。なるほどね」
「はい。お嬢様達がこちらの遊園地に来ていると旦那様にお話ししたところ。明日、こちらに来られるとの事でした」
「まあ、お父様なら当然ね。後で連絡を入れるとお父様に伝えて頂戴」
「はい。かしこまりました」

 硬い表情のまま予約したホテルまで徒歩で向かう。

 星がエミルの家にいるということをエミルの父親に知らせていた。ゲームから現実世界に戻ってエミルが星の事情を調べていた時、星の父親が事故で死亡、母親はゲームに閉じ込められてしばらくしてから飛行機事故で亡くなっていることを知った。そのことはエミルの父親も知っている。何故なら、その情報を仕入れる上でエミルの父親が一枚噛んでいたからだ。

 エミルの父親はその時に星の意思次第では養子にすることを提案してきた。それはエミルがゲーム世界で星に助けられたことを話したからで、娘の命の恩人ならばという配慮もその心中にはあったのだろう……。

 ホテルに着いたエミルは星をベッドに寝かせると、執事のスーツ姿の白髪の男性に星を任せてホテルのエントランスに行って父親に電話を掛けた。

「もしもし。お父様?」
『おぉ愛海か。小林から聞いたと思うが。明日、あの子に会いに行こうと思ってね。そこで提案なんだが、あの子には私の事を父親だと紹介しないでほしいんだ』
「どうしてですか?」
『その方が後でサプライズになっていいじゃないか!』
「…………」

 父親のその言葉にエミルが無言になると、通話先の父親が慌てた様子で言った。

『冗談だよ! 冗談!』
「はぁ……」
『まあ、新しい娘の顔を見たいのもあるけど、愛海の顔も見たいからね! ……それに、彼女が本当に愛海の言っていた子かどうか確かめないとね』
「…………はい」

 不安そうな表情を見せるエミル。

 そんな彼女の声色からその心境を察したのか、父親は優しく諭すように告げる。

『心配はいらない。別にこれであの子を養子にする話を白紙にしようとしているわけではないよ。ただ、会って直接話を交わしてみなければ、分からない事が多いと言うだけのことだ……おっと、飛行機の準備が整ったようだ。愛海、明日の昼にはそっちに着けると思うけど、その時は私の事は父親ではなく親戚の叔父と彼女に紹介してくれ、それじゃ頼んだよ!』

 そう言った父親は一方的に通話を切った。

「……お父様も相変わらずね。でも、星ちゃんにとっては明日は大変な一日になりそうね……」

 大きなため息を漏らしたエミルは、ホテルの外に出て夜空に浮かぶ月を見上げながらボソッと呟く。
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