第52話 お風呂

文字数 6,206文字

 しばらくの間、湖の岸辺で泣いていた星も少し落ち着きを取り戻したのか服の袖で涙を拭った。
 しかし、服がびしょびしょに濡れているこの状態ではあまり意味がない。

 結構な時間泣いていたが、泳げないにも拘わらず湖に落ちた恐怖から来るもので、本人は死ぬと本気で思ったからに他ならない。
 涙でぐしょぐしょになった顔が今度は服が吸い込んだ水でびしょびしょに濡れる。

「うぅ……ひぐっ……もう、中までびしょびしょ……」

 星は濡れた体に張り付く服を伸ばしながら、小さな声でぼそっと呟く。
 その時、ふと視界に地面に転がっている苔と草に覆われた剣が入ってきた。

 星はその剣を掴むと突然剣全体が輝き出し、苔と草のない綺麗なロングソードが目の前に現れた。
 黄金の剣に見るからに高価な装飾が施され、柄の先には赤い宝石が埋まっている。

「ほう、良い剣だな。主!」
「むぅ~」

 横からひょっこりと視界に入ってきたレイニールを、星が睨みつける。
 その様子から、星は何も言わずに突然小さな石の上に落とされ、湖に落ちたことを根に持っているのだろう。

 だが、泳げない星にとって、あのレイニールの行動はいささか軽率だったのも事実。
 星としては、こればかりは意地でも許したくない。まあ、最悪の場合は死んでいた可能性もあるわけだから無理もない。

「いきなり放して悪かったのじゃ……」

 レイニールは申し訳なさそうにしゅんとすると、ゆっくりと地面に着地した。

 重い足取りでペタペタと地面を歩くと、明後日の方向を向いて呟く。

「……今から言うのは独り言だから聞きたくなかったら、聞き流してくれていい。剣を装備してコマンドの装備から、武器ステータスを確認できる。その後、良い物だったら装備すればいい。主の体に合うように調整されるから、今の剣のない鞘で大丈夫なはずじゃ……」
「……そうなんだ」

 星はレイニールの独り言を聞いて、手に握られた剣を見つめた。
 レイニールの言った通りにコマンドから剣のステータスを確認してみると、全てのステータスが【?】と表示されている。

 装備した剣は星の身長に合わせて縮み。先程までは【?】表示だった名前とステータスは、何もかもが数字の羅列で表示されていて、どういう武器なのかさえ分からなかった。だが、不思議なことに名前の横には【使用者 星】とだけ表示されている。

 星はそれを不思議に思い。レイニールに聞こうと向き返ると、レイニールはそのままトコトコと離れた場所に歩いていくと、その体が突如金色に光り輝いた。

 すると、レイニールの体は見る見るうちに巨大化し、がしゃどくろと戦った時の姿に戻る。

「主、我輩の背中に乗れ。そうなったのは我輩のせいだ――城まで送ろう……」
「うん。ありがとう……レイ」

 そう言うと星を頭に乗せたレイニールは、大きな翼を羽ばたかせながら空へと飛び上がった。

 星は手に握られた謎の武器に視線を落とし。

(きっと、そのうちにちゃんと表示されるようになるよね……)

 自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、レイニールの背中にしっかりと座った。
 空に舞い上がったレイニールはできるだけゆっくり地上付近を飛んでいく。

 それは服が濡れた星が少しでも体を冷やさないようにというレイニールなりの配慮だったのかもしれない。
 案外、城の近くまで来ていたようで少し飛ぶと、城がレイニールの視界に入ってきた。

「主、城が見えたぞ!」
「……うん。ちょっと寒い……レイ、もう少しゆっくり……」
「すまんがこれ以上は無理じゃ、落っこちてしまう……」
「……そう、分かった……がまんする」

 星はそう呟くと、震える体を丸めると両手で冷えた体を擦った。

 レイニールは城の前に着陸すると、頭を地面に着け星を地面に下ろし、いつもの小さい姿に戻る。
 目の前で震えている星を見て、心配そうに口を開いた。

「――大丈夫か? 主、すまなかった。我輩のせいで……」
「……ううん。レイは悪くない。石の上で暴れた私が悪いの……ごめんね?」

 そう星が謝ると、レイニールは手の平を返したように急に強気になる。
 
「そうだな。主が替えの服を持ってなかったのが悪い!」

 レイニールはそう言うと、星はしょんぼりとして「ごめんなさい」と謝る。

 その後、星の服を手で掴むと、レイニールは星を宙に持ち上げた。

「えっ!? レイ、なにをするの?」
「なにって、このまま城の中に主を運んで行くに決まってるのじゃ。他にこうやって持ち上げる意味などないだろう?」

 レイニールは有無を言わさずに星を運んで城の中へと入った。

 星達が部屋の前に着くと、レイニールは星を地面に下ろし部屋の扉を開いた。すると、中から聞いたことのない声が返ってくる。

「は~い。エミルおかえりなさい。ご飯にしはる? お風呂にしはる? それとも……う・ち?」
「「…………」」

 小走りで目の前に突然現れた見知らぬ少女の言葉に、星とレイニールは無言のままどう反応すればいいのか分からず、その場に立ち尽くしている。

 少女は薄い紫色の長い髪をしていて、エミルと同じ綺麗な青い瞳。そして髪には桜の髪飾りを付けていた。
 雰囲気としては、柔らかい感じの優しそうな印象を受けたが、そんなことはこの際どうでも良かった。

 一番の問題は彼女の身に着けていた服だ。星達は顔を真っ赤にしながら彼女を見つめていた。

 いや、もはや服と呼べる代物ではない。何故なら、彼女は裸に白いエプロン姿という星が今まで生きてきて、一度も見たことのないような刺激的な格好で、ドアノブを掴んで顔面蒼白のままで固まっている。

「あ……あの……その格好……は?」
「あっ……あ、あかん!」

 星が指差しながらそう尋ねると我に返った少女は今度は顔を真っ赤に染めて、慌てた様子で素早くコマンドを操作し服を着替えた。

 今までのあられもない姿が嘘のような、桜の花びらがあしらわれた美しい紫色の着物姿に、星は思わず見惚れてしまった。
 その後、すぐに落ち着きを取り戻した彼女は、星の体を下から舐めるように見ると、星の顔を見てにっこりと微笑んだ。

「う~ん。まずはお風呂やね。ほな、行こうか~」

 少女は星の手を掴むと、強引にお風呂場へと向かって歩き出す。

「――えっ? でも……あの……」
「ええんよ? お風呂は沸かしとったから遠慮せんでも」
「いえ……あの……服が……服がぁ~」

 星は必死に替えの服がないことを言おうとしたのだが、それが彼女に伝わっていたかは謎だ。いや、絶対に伝わっていなかったと思う……。

 脱衣所に着いた星は困惑した様子で、上機嫌な様子で微笑んでいる少女の様子を窺っていた。すると、正面を向いた少女が、星の顔を真っ直ぐに見つめ。

「ほな、濡れた服は脱いで脱いで。はよ着替えんと風邪ひいてまうよ? ばんざいして、はい。ばんざ~い♪」
「えっ? あっ、は、はい。ば、ばんざ~い?」

 星はイシェルに言われるがままに、首を傾げながらも両手を上げる。その直後、少女は素早く星の上着を脱がし、今度はスカートを脱がすと、パンツを地面近くまで一気に下ろす。

 正直。その手際が良すぎて、状況を理解しようと思考していた星には全く抵抗すらできなかった。
 羞恥心から顔を真っ赤に染めて恥ずかしがる星を尻目に、その少女が星の顔を見上げた。

「ほら、足上げんと脱がせられへんよ?」
「……えっ? は、はい」
「うん。ええ子やねぇ~。ほな、服は乾かしとくから、上がったら言うてなぁ~」
「――えっ!? あ、あの……」

 彼女の手際の良さに抵抗する暇もなく。一糸まとわぬ姿にされ、少女は強引に星の背中を押すと浴室に押し込んで、笑顔で手を振ると浴室の扉を閉めた。

 もう。なんと言うか、まさに一瞬の出来事だった……。

 星は閉ざされた扉を見つめ途方に暮れると、その後、諦めたように浴室で大きなため息をつく。

「はぁ~。着替え持ってないのに……服を持って行かれちゃった」 
 
 湯気の立ち昇る浴槽を見つめ立ち尽くしていると、再び少女の声が聞こえた時、思わずびくっと体が無意識に反応してしまう。

「着替えはここに置いておくから、上がったらこれ着てなぁ~」

 星は「はい!」と返事をすると、なんだか少し嬉しくなって笑みを浮かべた。
 それは星がエミル達と出会ってから少しだけ、人とのコミュニケーションを取るのが上手くなったと感じていたからだろう。

 自慢じゃないが、星は他の人よりも対人スキルが低い。それはリアルのことが影響しているのも大きいが、本人も人と関わらなければコミュニケーション能力が必要ないと考えていたところも大きいだろう。

 現実的に言ってしまえば、対人スキルがなくても生活はできるのは事実だ。コミュニケーションは最低限の返答ができれば、後は相手が必要な時に話し掛けてきてくれるのを待っていればいい。

 その時も頷くか短い返事で殆どが解決するし。何より、相手もこちらが言葉が少ないと分かってくれば、対話を諦めて一方的に要件を告げるだけになるからだ――後は言われたことをそつなくこなしていれば、仕事でも日常でも何も支障はでないだろう。

 自慢ではないが、星は同い年の子供の中では比較的できる部類に属していた。協力しなければいけないことでも、効率よく行うことで時間は掛かるがこなせるのを知っていた。今までも、大抵のことはそうやってなんでも乗り切ってきた……。

 だが、この世界に来て人とコミュニケーションを取る楽しみを、少しずつだが分かってきた気がする。
 今回見ず知らずの少女とのコミュニケーションのやり取りができたということは、星にとって相当な自信に繋がっていた。
 
 シャワーと浴槽を交互に見ると、星は迷うことなくシャワーを手に取った。

「せっかく沸かしてあるけど……水に浸かるのはいいかな……私が入ると、お湯が汚れちゃうし……」

 何か嫌なことを思い出したのか、星は表情を曇らせると俯き加減に小さく呟いた。

 星は体の隅々まで洗い。最後にシャワーで体に付いた泡を落とすと、すぐに浴室を出る。

「確か……着替えを置いておくってあの人が……着替えって……まさかこれ!?」

 星は彼女の用意した服を見て驚愕した。
 そこには少し大きめのワイシャツ一枚が置かれているだけで、パンツなど下着の類はどこにも見当たらない。

 だが、これを着るのを拒んで、ずっと裸のままで居るわけにもいかない。

『背に腹はかえられない!』

 戸惑いながらも、星は置いてあったワイシャツを羽織ると脱衣室を出た。

 星はワイシャツの下に何も身に着けていないという恥ずかしさから、頬を真っ赤に染めながら、星に背中を向けてキッチンに立っている少女に向かって声にならない声を上げた。

「あ……あの……」

 少女はそれに気が付き振り返ると、彼女はにっこりと微笑み両手を前で合わせると歓喜の声を上げる。

「まぁ、まぁ、まぁ。すっごく似合ってるよ! もう想像以上やね!」
「……うぅ。ありがとうございます」

 咄嗟に返事をしてしまったが、もちろん抗議をしようとして口を開いたんだが、彼女のペースに完全に乗せられてしまったようで……。

 星は褒められたことでさらに顔を赤く染める。

 だが、すぐに首を横に振ると決心したように口を開いた。

「あの! ど、どうして……その……ワイシャツだけなのでしょうか……し、下着とかは……その……」

 星は更に顔を赤く染めながらそう尋ねて口をつぐむと、少女は満面の笑みで答える。

「――ええ? 女の子は男性もののワイシャツを着る時は、下着を着けないっていうんが法律で決まっとるんよ? 知らんの?」

 っと人差し指を立て言い放つ少女に、星は苦笑で返す。だが、そんなことを今まで一度も聞いたことがない。

 しかし、そこで星は思った『男性ものの』というその言葉が、おそらくキーポイントになっているに違いない……普段から女性が男性の服を着ることはないだろう。

 っと言うことは、星が知らないだけでそう法律で決まっているのかもしれない。目の前の少女はどう見ても星よりも年上で、普段着としての着物を着るくらい清楚な女性だ。一般常識も星とは比べ物にならないほど熟知しているのは年齢だけ見ても間違いはない。そして何より、星は『男性もの』という言葉が引っ掛かって強く否定できなかった。

 リアルでの星は母子家庭で、父親や男の兄弟も居ない――っということは、男性が居ないということになる。そのこともあってか、星は自分が世間の常識からずれているのだと感じて、ただただ頷くしかなかった。

「そ……そうですよね……」

 星はおかしいと思いつつも、その自信満々な彼女の表情に何も言えなくなり、俯きながらぶかぶかのワイシャツの裾を握りしめている。

「……ほんまはエミルに着てもらうはずやったんやけどな……」

 彼女は残念そうに小さく呟く。

「……えっ?」
「ああ、なんでもないわ! こっちの話やから気にしなくてええよ~。それよりココア飲むか? 持ってくるわ~」

 星が聞き返すと、少女は慌てて手を左右に激しく振って微笑むと、キッチンへと消えていく。そんな彼女の様子を見て、星は不思議そうに首を傾げた。

 しばらくして、扉の開く音とともにエミルが駆けて部屋の中に飛び込んできた。

「――イシェ! ごめんなさい。ちょっと狩りに時間がかかって……って星ちゃん!? あなた。なんて格好してるの!!」

 エミルはテーブルに少女と向かい合って座り、カップを持っている星の裸にワイシャツだけというとんでもない格好を見て唖然としている。

 状況が理解できず、星は不思議そうに驚いているエミルの顔を見つめ、きょとんとした表情で小首を傾げた。

 呆れるエミルに出来事の一部始終事情を説明した星は、自分の格好に恥ずかしくなり、頬を赤く染めながら、いたたまれずに俯いて指をいじっている。
 そんな星を見て、全く反省の色の見えない様子でにこにこと微笑んでいる少女を見て、エミルが大きなため息をついた。

「はぁ~。なるほどね……まったく。これは全部イシェのいたずらね……」
「ふふっ。いたずらなんてひどいわ~。うちはこの子は綺麗な黒髪やから裸エプロンよりも裸ワイシャツの方が似合いそうやと思っただけなんよ?」
「――えぇ!? でも、さっきはこれが法律で決まってるって……」

 微笑みながら手を合わせてそう告げた少女に、騙されたことに気付いた星は驚いた様子で彼女の顔を見た。
 だが、彼女は悪びれるどころか、自分がそんな発言をしたことすらすっかり忘れているのか、終始笑みを浮かべている。

 正反対の反応を見せている星達を見て、エミルはまた大きなため息を漏らす。

「はぁ……。要するに、星ちゃんはイシェに遊ばれてただけって事ね……」
「そ、そんなぁ~」

 エミルの話を聞いた星はしょんぼりしていると、少女はそんな星の顔を覗き込んできた。

「うちはイシェルってゆうん。これから仲良うしような~。星ちゃん」
「は、はい……こちらこそ仲良くしてくださいね?」

 にこにこ微笑んでいるイシェルに、少し怯えたように聞き返すと、イシェルは「もちろんやん」と星の頭を撫で回した。

 だが、星はそのイシェルの笑顔に不信感を抱く。

(なにを考えてるのか分からない人だ。私、この人苦手かも……)

 っと自分に向けて微笑みを浮かべているイシェルの顔を見つめ、星は心の中でそう呟いた。
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