第286話 木の伐採任務3

文字数 2,862文字

「……ルシファー。しかも、あの角は修正前のもの……どうして、あの失敗作がここに……」

 紅蓮が思考を回していると、ルシファーはドスンドスンとその巨体を揺らしながらこちらに迫ってくる。
 しかし、紅蓮も冷静だった。即座にギルドメンバー全員にチェーンでメッセージを送信してルシファーの存在を知らせると、自分は着ていた着物の帯を緩める。

 ルシファーの最も警戒すべき攻撃は、その両手に握られている剣ではない。それは紅蓮が最も分かっていることだ――地上の仲間達の警戒を叫ぶ声に耳を傾けつつ、紅蓮は目を細めながらルシファーに睨みを利かせていた。

 っと、今まで歩いていたその足を止め。前方のルシファーがその畳んでいた大きな翼を左右に広げる。
 それと同時に紅蓮も着物の袖から腕を引き抜くと、着物の内側に腕をすっぽりと隠す。

 直後。ルシファーの巨大な翼から無数の羽根がナイフの様に撃ち出され、地上にいる仲間達へと向かう。

 即座に紅蓮も着物を広げ、無数のナイフを高速で撃ち出す。
 巨大な翼から時間差で撃ち出される羽根を、紅蓮は的確にナイフで落としていく。コンマ数秒でも遅れれば、飛んで来る羽根を撃ち落とすことはできない。それは神業と言ってもいいほどで、彼女にしかできない芸当だろう。
 
 だが、敵の羽根には制限はないが、紅蓮の持っている装備には限界がある。

 紅蓮の攻撃はトレジャーアイテム『インフィニティ・マント』という無限に武器を仕舞い込めるアイテムと、着物という動き難い装備を外して最大まで敏捷性を上げた技『サウザンドナイフ』だ。文字通り千本のナイフを撃ち出す為、千本以上持っていそうなものだが……彼女は性格上きっちり千本を収納している。しかし、その律儀な性格が、このような状況下では裏目に出てしまう……。

 迎撃していた紅蓮のナイフがなくなり。地面にいる仲間達に鋭利な羽根が襲い掛かる。悲鳴と土煙が上がり、一瞬にして視界がなくなる。

 打ち止めになった直後、インフィニティ・マントを裏地に織り込んで作った着物を脱ぎ捨て、肌襦袢(はだじゅばん)だけの姿になると、今度は真っ白な宝刀の様に美しい模様の刻まれた彼女の身長ほどもある刀を握ると、トレジャーアイテムでもある純白の刀『小豆長光』を鞘から引き抜く。

 すると、大胆にも地面に向かって放たれているその真っ只中に、雲に乗ったまま飛び込んでいった。

「――させません!」

 純白の刀を体の前に突き出すと、刀身から真っ白な冷気が一気に噴き出し、即座に固まり周囲に巨大な氷の壁を作り出す。

 紅蓮がルシファーの羽根を氷の壁で受け止めながら、地面にいる仲間達に叫ぶ。

「皆さん撤退して下さい。ここは私が引き受けます! 今後はメルディウスの指示に従って下さい!」

 その言葉を聞いたメルディウスが首を横に振った。

「なにを言ってやがる! そいつは一人でなんとかできるもんじゃねぇー!! お前等は街に向かって全力で撤退だ!! 悪いが仲間達を頼む!」

 メルディウスがベルセルクを構えると、デイビッドとイシェルを決意に満ちた瞳で見た。2人は静かに頷くと、武器を手に紅蓮の氷の壁を突破した羽根を迎撃しつつ、撤退を開始していた彼のギルドメンバー達の後方から撤退を護衛する。

 それはダイロス達メルキュールのメンバー達も同じで、輸送しなが撤退する彼等の文字通り、盾になる様に皆腕に盾を装備して展開する。
 しかし、メルディウスだけはその場に留まり、一向に動く気配がない。そんな彼に、休むこともなく降り注ぐ羽根を受けていた紅蓮が叫ぶ。

「――メルディウス。貴方も撤退して下さい!」
「いや、俺は残る! お前と共に戦って死ぬなら本望だからな!」

 誇らしげな笑みを浮かべるが、紅蓮はすぐに言葉を返した。

「ギルドの長たる者が、たった1人に固執してどうするんですか!!」

 その声が辺りに響き渡り、撤退していた彼女のギルドメンバー達も思わず足を止めた。普段冷静であまり感情を表に出さない彼女が、珍しく大声で律したのだ――それに驚かないはずはない。

 驚きを隠せないと言った表情で、紅蓮の背中を見つめていると、紅蓮はさっきまでとは打って変わって、冷静な口調で諭すように言った。

「……メルディウス。貴方はギルドマスターなんですよ? 私も皆も、貴方を信じてここまで付いてきたんです。それなのに、こんな場所で貴方を失うわけにはいかない。私の代わりは誰でも務まりますが、貴方は違う。人を率いると言うことは、彼等の責任を背負う覚悟が必要です。柱であるギルドマスターの代わりに命を張るのが、サブギルドマスターである私の務め……貴方はもしも私が倒せなかった時に備えて対応を取って下さい。私がルシファーを食い止めている間に、武装を整え迎撃準備を整えるのです。……それに、私は不死です。大丈夫――死にませんよ」

 そう告げた紅蓮が振り返って、にっこりと微笑んだ。

 普段なら絶対に見せない彼女の笑顔に、メルディウスは苦虫を噛み潰したような表情をしながら、歯を強く噛み締めると「了解した」と小さく呟き身を翻して走り出した。

 だが、彼は納得したわけではない。しかし、それ以上言い返せなかった。
 あんな紅蓮の笑顔を見たのは数年ぶりだ。長い付き合いだから分かる……彼女は誰かを安心させる為に笑わない。

 あの笑顔は純粋に嬉しくて出たものだと、メルディウスにはすぐに理解できた。彼女は純粋に仲間達を守ることが、ギルドに貢献していることが嬉しくて笑ったのだ。

 紅蓮の固有スキル『イモータル』は単に撃破されなくなるスキルだ――それは痛覚までは遮断されることはなく、常に痛みや疲労は肉体に蓄積され続ける。

 長い間行動を共にしてきたメルディウスには、そのような状況下に置かれる場面を幾度となく見てきた。
 しかし、どんなに危機的な状況下でも。彼女は常に最善の方法を選択してきたことも、彼は知っている。

 今回も紅蓮を残し撤退することが、彼女に取って最善の方法なのだと、メルディウスは理解していた。だからこそ、ここでこの場に留まるということは、彼女の作戦を狂わせる行為であり、ひいては彼女を侮辱することにも繋がる。

 メルディウスは撤退を躊躇していた小虎を抱えると洞窟の入り口に向かって走り、右手だけで大斧を閉じてしまっていた入り口部分に振り下ろした。

 飛び乗る瓦礫はイシェルが固有スキルで抑え、皆素早く開いた入り口に飛び込んでいく。

 最後にメルディウスが洞窟に入ったのを見送ると、紅蓮は左手で真っ白な鞘を抜き取る。

「――白雪。この鞘をお願いします……」

 紅蓮は鞘に巻き付いた金色の紐の先を口に咥えて引くと、鞘を後方に投げた。その直後、どこからともなく出現した白雪の手の中に白く美しい鞘が落ちていく。

 それを掴むと、白雪は目頭に涙を溜めて「ご武運を……」と小さく呟き、その場からスッと姿を消した。

 しばらくして、その場に白雪の気配がないことを確認すると、展開していた氷の壁を解除して乗っていた雲の上から素早く地面に飛び降りる。
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