第205話 未知なる力の解放

文字数 4,618文字

 影虎の元から、一目散に退散したエミルはその足でマスターの元へと向かう。
 マスターの身を按じているというよりは、彼の側にいた方が安全だからという理由が大きい。いくら強いエミルと言えど、それはゲームの中でだけの話だ――。

 現実世界で執拗につきまとわれている人間に言い寄られたことに恐怖しないほど彼女は強くはない。
 ゲーム世界の彼女は、年二回行われる武闘大会で毎回優勝するほどの腕前だが、その中はただの高校生の少女でしかない。

 そんな彼女が何度断っても、必要にグイグイ交際を持ち掛けて来る男性に恐怖しないわけがない。
  
 エミルがマスターの所に着いた時には、彼はまさに戦闘の真っ最中だった。複数の敵を相手に、体を的確に拳で突いて動きを鈍らせてからの、一撃での武器破壊は最早芸術だ――。

 周りのプレイヤーをある程度片付け、近くに来たエミルに気付いたマスターが微笑みを浮かべ振り返った。

「エミル無事だったか!」
「はいマスター。でも、どうしてこんな状態に?」

 笑顔を向けられほっとしたのか、エミルの口からふと本音が溢れる。

 それを聞いてマスターの表情が、先程とは打って変わって険しいものへと変わり、その重い口を開く。

「実はな。どうやら、この事件を起こした首謀者から街の者限定で、一斉にアイテムが送り付けられたらしいのだ」

 マスターの言ったアイテムというのは『村正』のことだろう。数日前に事件があったとはいえ、それがこの武器が原因だと知っているのはそう多くはないはず。

 事件の翌日に更なる大事件を起こしていることから、現在起きている村正事件の方が本命だったのは火を見るのより明らかだろう。だが、人とは本来一度大きな事件が起きれば、その後すぐに事件が起こるとは思わないものだ。

 警戒はしているつもりでも、心のどこかで一日二日で『もう、こんな事は起きないだろう』と考えてしまうもの。その心の隙を突いてくるやり方は、犯人の方が一枚上手と言わざるを得ないだろう。

 しかし、武器を送り付けられたのであれば本来ならば警戒してそれを手にしようとはしないはず。
 おそらく。メッセージボックス内に、宛先『運営』とでも書いて放り込んだのだろうと容易に想像がつく。

 こんな状況下だ。運営からのメッセージを読まないバカはいない。たとえそれが罠かもしれないと思っていてもだ――。

 マスター達が初動から後手後手に回っているのが、今の防戦一方の構図になってしまっていた。

 深刻そうな顔でマスターが小さくささやくように言った。

「……どちらにしても、このままでは遅かれ早かれここも保たない。前線を守っていた者達も次々に負傷し、その撤退に人員を割いている状態だ。ダークブレットの首領となったデュランとも連絡が取れん。今はバロンの兵でなんとか前線を保たせている」

 辺りを見渡し、エミルもその言葉を納得せざるを得ない。避難してくる者は明らかに減ってはいるものの、それは全てが避難してきたからではなく、大半を切り捨ててきたからに過ぎない。

 建物内に立て籠もっている者も多いのだろう。近くの宿屋でも窓を中から板などで覆っていても、隙間から微かな光が漏れている。
 この事件後始まりの街に居たのは5万人程度。しかし、その中から救出されたのは約2万人がいいところだろう。

 他の者は建物に籠城しているか、残念ながら最悪の妖刀『村正』の餌食となった者達だろう。
 ちなみに、街の総人口は始まりの街の中心にあるドームを模したギルドホールで確認することができる。

 もちろん。他の街にも設置されており、様々なサービスが受けられる。クエストなども受けられる為、その達成率でギルドのランクによって、割り当てられるギルドホールのクラス上がる仕様になっていた。

 本来ならばギルドホールに行けば正確な生存者と死亡者を確認できるのだが、殆ど全てのプレイヤーが出入りできるギルドホールに今近付くのは自殺行為だ。
 何故なら、街には妖刀村正を持ったプレイヤーが他のプレイヤーを狩るために闊歩しており、腕のあるプレイヤーでも今はまとまって行動するのが安全だろう。

 正直。未だ沈静化していないうちに死亡者と生存者を確認しても、意味がないのが理由として大きいのだが……。

 エミルは不安そうな表情でマスターに尋ねた。

「マスター。避難と言っても、この数の人間を街の外に連れ出すのは……」
「……分かっておる。街の外はモンスターの生息域だ、襲われる危険が大きい。しかし、ここは始まりの街だ。幸い生息しているモンスターのレベルも、そう高くはない。少なくとも、武器によって強制的にLv100にされ、凶暴化した者等の中にいるよりは安全だろう」

 そんな話をしていると、マスターの元に慌てた様子でカレンが駆けてきた。

「師匠! 皆が不安から次々と勝手に移動を開始しています!」
「なんだと!? まだ動くのは危険だ! 逃げてきている者達の確保も終わっていないというのに。下手をすれば、奴等が更に寄って来て大変な事になるぞ! すまんがエミル。ここは任せる!」

 知らせを受け、血相を変えたマスターがエミルにそう言い残してカレンと共に走っていく。

 エミルは小さくため息を漏らしながら、夜空を見上げた。
 少し普段と同じ景色を見て落ち着きたいという、人間の本能的な心理かもしれない。

 しかし、そこには見慣れた黄金色のドラゴンが飛んでいるのが視界に飛び込んできた。落ち着くどころか、エミルの顔は真っ青に変わった。
 おそらく。マスターはそのことに気付いていたからエミルをここに残したのだろう。だが、エミルは気が気じゃない。

 それもそのはずだろう。黄金のドラゴンは間違いなくレイニールだし、それに乗っているのは星だ――正直。一度帰した手前、どんな顔をして星に接すればいいか困惑していた。

 先程の影虎のこともある。戻ってきてしまった以上、できれば手元に置いておいた方が安全だろう。しかし、危険な場所に戻って来てしまったことには、エミルとしても厳格な態度を取らざるを得ない。

 地上に降り立ったレイニールを見つめ、エミルは腕を組み眉を吊り上げ、出来る限り不機嫌そうな顔をした。

 レイニールの背中から降りてきた星は少しふらつきながらも、なんとか地面に着地する。
 それを確認したレイニールは小さい姿に戻り、バツが悪そうに怒っている素振りをしているエミルから慌てて目を逸らす。

 っと、星の体がよろけて転びそうになり、エミルが慌てて駆け寄って星の体を支えた。

 見るからに疲れの色が見える星だが、彼女は苦笑いを浮かべながら。

「えへへ、ちょっとつまずいちゃって……」

 そう言って、疲れていることを少しでもごまかそうとしている。だが、立っているだけで足をつまずくなんてことはありえない。

 その様子を見ていてエミルも演技するのがバカらしくなり、星に向かって問い掛けた。

「どうして戻ってきたの? 今は街は安全じゃないのよ?」

 エミルの優しい声に、星はほっと胸を撫で下ろした。
 第一声から怒鳴られると思っていた星にとって、普段と変わらないエミルの声に安心したのだろう。

 星がエミルの体から離れ自分の足でしっかりと地面に立つと、真剣な面持ちでエミルの顔を見つめた。
 その顔には決意に満ちていて、エミルも嫌な予感がしながらも無言のまま、じっと星の目を見据える。

 澄んだ瞳で星が徐に口を開く。

「……私はまだ倒れてません。一度始めたら限界までやり通す――それが、全力を尽くすってことだと思うから……」
「倒れるまでって……星ちゃん。あなた……」

 だが、それ以上エミルは口を開くことはできなかった。

 それもそのはずだ。星の瞳には一切の迷いがなく、その真っ直ぐな瞳に気圧されてしまった。
 まあ、だとしても『倒れるまで頑張る』なんていうのは正直、極端過ぎるというのが本音だろう。

 エミルは半分呆れ顔で大きなため息をついた。

 こうなった星は何を言っても聞く耳を持たないのは、今までの経験で分かっていることだ。
 それに、影虎がまだ近くをうろついている以上。もう、レイニールと一緒に帰らせる方が危ないのは、混乱しているエミルの頭でも分かっていた。

 その後、頭を数回振ったエミルは全てが吹っ切れた様な晴れやかな顔で星の肩に手を置く。

「そうね。もう、思う通りに思い切りやってみなさい!」

 その言葉に星の表情を明るくして、深く頷くとにっこりと微笑んだ。

 すると、突然『フゥー』と星の耳元に息が吹きかけられる感覚の直後、小さく少女の声で何者かがささやいた。

「――いい? 考えるのではなく、感じるの。瞼を閉じて頭の中を空っぽにして、大きく息を吸い込んで……」

 幼さの残るその優しい声音に、不信感よりもなんだか心地良さを感じた。
  
 星はその声の言う通りに、瞼を閉じて息を大きく吸い込んだ。そして剣を前に構え、息を吐きながら肩の力をゆっくりと抜いていく。

 そうしているうちになんだか、体の中からポカポカと暖かい感覚が湧き上がってきて。

「……ソードマスターオーバーロード発動。エクスカリバーエボリューション始動……」

 気が付くと、星の意思とは無意識に口が勝手に動き言葉を発していた。

 瞼をゆっくりと開くと、星の澄んだ紫の瞳がルビーの様に赤く変色していく。それと同時に、手足の感覚が徐々に薄れ、思考も徐々に何者かに侵食されていくのを感じた。

 しかし、不思議とそこに不安はなくあるのは、絶対の安心感だけだった遠い昔に味わったことのあるような感覚に星はただただ身を任せる。

 星の手に握り締めていたエクスカリバーも金色に輝き。その刹那、今度は虹色に輝き出した。
 その形状も徐々に変わり。片手剣でしかなかったエクスカリバーが巨大化し、いつの間にか両手剣へと変わっていた。

 剣全体が虹色に煌めき、その光が薄暗い月明かりに照らし出された街を更に眩しく辺りを照らす。
 虹色に光る剣が天を突き刺す様に伸び、その光が街全体を照らしていくと。ふと、侵食されていた思考が星に戻った。

 そして耳元で「固有スキルを使いなさい」と再びささやかれ、息を吸い込んだ星は大声で叫ぶ。

「――ソードマスターオーバーレイ!!」  

 その声に導かれる様に星の両手に掲げられている巨大な剣の姿をした光が、まるで波紋の様に街全体に散っていく。
 次第に光が収まり剣が元の大きさに戻ると、ライラから貰い胸元に下げていた鳩のネックレスが粉々に砕け散った。  

 星が技を使う前に街中で響いていた悲鳴と怒号がぱったりと止み、街は何事もなかったかの様に静寂に包まれた。その場に立ち尽くしていた星が、全力を使い果たしその場に倒れた。

 突如倒れた星に、エミルが慌てて駆け寄っていく。
 倒れた星を抱き起こすと、星はやりきった様な表情のまま気持ち良さそうに寝息を立てているその顔を見て、エミルは思わず微笑んだ。

「……全く。なんだかんだ言ったってまだまだ子供ね。こんな状況下で寝れるなんて」

 そう呟いたエミルの元にマスターからのメッセージが届く。

 視界に映し出されたメッセージを見て、エミルは首を傾げた。

 マスターからのメッセージの内容は『自分を含めたプレイヤーの能力値が『1』の値を示していて、上下しない。そして街で暴れていたプレイヤーの手にしていた村正が突如砕け散って消えた』ということが書かれていた。
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