第112話 紅蓮の宝物8

文字数 4,932文字

 周りの黒い鎧の兵士達とメルディウスのHPが回復したのを確認すると、マスターはバロンの顔から手を放した。
 戦意を喪失して意気消沈しているバロンを横目に、地面に膝を突いたままのメルディウスが、ほっと息を吐くと傷の残っている脇腹を擦りながら紅蓮の方に向く。

 白雪の手によって助けられた紅蓮だったが。まだ痛むのか、傷口を押さえながら申し訳なさそうに、マスターの元へとやって来た。

「……マスター。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。私の軽率な行動で、マスターの作戦を台無しにしてしまって……」
「もう良い。それよりも、その傷を治すことを考えなければな。ホテルに戻ったら、少し長めに風呂に入るといい」

 今回の件を気にしていないというように優しく微笑みながら、そう告げるマスター。

 その言葉に紅蓮はほっとしたように安堵したのか、固かった表情を和らげる。
 そして、地面に膝を突いたまま、紅蓮の方を見て微笑んでいるメルディウスの元へと向かう――。

 お互いの顔をしばらく見つめ合っていると、メルディウスはぎこちなく笑みを浮かべ。

「――おう。思ったより大丈夫そうだな。紅蓮……」

 笑みを浮かべながらそう呟くメルディウスに、不機嫌そうに眉間にしわを寄せながら紅蓮が叫んだ。

「大丈夫そうじゃありません! あなたはボロボロじゃないですか!」
「……紅蓮」

 メルディウスは滅多に声を荒らげることのない紅蓮のその声に驚いたのか、目を丸くさせる。

 紅蓮の華奢な体が怒りで、小刻みに震えている。

「貴方の作戦は作戦じゃありません! 今回の事は私の独断で起きたことです。見捨てられても文句は言えません! 本来なら、貴方は私など捨て置いてバロンを捕えるべきでした! それを貴方は……なんでそうしないんですか!!」

 彼女の怒りはメルディウスにではなく。おそらく、油断してバロンに捕まってしまった自分に対してのものなのだろう。

 それはメルディウスも感じ取っているのか、困った顔をして眉をひそめ。

「でもな。俺はお前の事が心配で――」
「――でもじゃありません! 助けて頂いたことは感謝します。ですが、それは結果論でしかありません! メルディウスはマスター達と、もっと策を練ってからここに来るべきでした! 私は死なないのですから!」

 声を大にして叫ぶ紅蓮を、メルディウスは困り果てただただ見つめるしかなかった。

「貴方はいいかもしれません。助けにきて死ねれば、それはそれで本望でしょう! でも私は……助けられる側は目の前で……大切な仲間を……傷つけられるのを……ただ見てるしかないんですよ……?」 

 小刻みに肩を震わせそう言い放つと、紅蓮の頬を一筋の涙が伝う。

「紅蓮様……」
「――紅蓮。お前……涙が……」

 白雪とメルディウスは驚いたように口をぽっかりと開けて、紅蓮を見つめている。
 それもそのはずだ。紅蓮が涙を流すのを見るのは、付き合いの長いメルディウスでもそれは数年ぶりのことだった。

 マスターと別れて長い間、紅蓮が泣くところを目にしたことはない。それどころか、感情表現も殆ど見せなくなったくらいだったのだ。

「もうそのぐらいで許してやれ。紅蓮よ……」
「マスター。ですが……はっ! マスター!!」

 こちらにゆっくりと向かって来るマスターの背後から、バロンが突如として大剣を持って走り出した。
 しかし、バロンは咄嗟に振り向いて拳を構えたマスターを素通りして、そのままメルディウスに向かって突撃してくる。

 メルディウスのHPは回復しているものの、肉体的な疲労が消えたわけではない。

「――お前だけは……お前だけは許さない! 朽ち果てろメルディウス!!」
「……なっ!?」

 虚地面に膝を突いたまま動けないメルディウスに向かって、バロンは雄叫びと共に大剣を振り上げ、そのまま勢い良く振り下ろす。
  
「させません!」

 メルディウスとバロンの間に割り込むと、紅蓮は懐に仕舞っていた短刀を抜き、咄嗟にバロンの攻撃を防いだ。

 その直後、紅蓮の大切にしていた短刀はまるでガラスが割れるように、粒子となって空中で掻き消えた。だが、その衝撃に耐えられず、紅蓮の華奢な体は勢い良く吹き飛ばされた。

「きゃあああああああああッ!!」

 悲鳴を上げながら宙を舞った紅蓮を気力で動いたメルディウスが空中でその体を受け止め、一緒に後方へと飛ばされた。

「――なにッ!? そこまでだッ!!」

 マスターは腰に巻いてていた黒帯を外すと、バロンに向かって放つ――。

 帯はみるみるうちに体に巻きつき、バロンを縛り上げる。
 身動きの取れなくなったバロンは、悔しそうに歯を食いしばりながら、地面に横たわった。

 吹き飛ばされたメルディウス達は地面を転がり、近くの木にぶつかって止まった。

「……痛った~。だ、大丈夫か? 紅蓮……」
「…………」

 メルディウスの呼び掛けに答えることなく、紅蓮はメルディウスの胸の中でピクリとも動かない。 
 顔を青ざめながら、メルディウスは彼女の体を揺らし何度も名前を叫び続ける。

 マスターはそんなメルディウスの元に急いで駆け寄ると、紅蓮の安否を確認してほっと胸を撫で下ろした。

「大丈夫。気を失っているだけだ。じきに目を覚ますだろう」
「そ、そうか……良かった……」

 それを聞いて、メルディウスも安心したのか深く息を吐いた。

 そこに遅れて、少女を抱きかかえた小虎が到着した。 

「……姉さん! 兄貴、姉さんは無事なの!?」
「……紅蓮ちゃん!?」

 少女は小虎の腕の中から地面に降りると、2人は血相を変えてメルディウスの元へと駆け寄っていく。

 遅れてきた2人は紅蓮の姿を確認すると、気が抜けたのか「良かった」と安堵したようにその場に座り込んだ。   
 その時、マスターに縛り上げられていたバロンが、目を見開き驚いた様子で叫ぶ。

「どうして咲がここに居るんだ!?」
「……あれ? お兄ちゃん!? なんでお兄ちゃんがここに居るのよ!!」

 2人はお互いの顔を見合って目を丸くさせている。

 少女は帯で縛られているバロンと、メルディウスの腕に抱きかかえられた紅蓮を交互に見て、大体の状況を察したのか眉間にしわを寄せて叫んだ。

「――お兄ちゃん!!」
「……あ、いや。これには深い理由が……あってだな……」

 高圧的な声音に怯えたように、自分の前で腕を組む少女を見上げるバロン。

 言い訳を口にするバロンに冷たい視線を浴びせると、少女はそんな彼にどこから取り出したのか縄を手に告げる。

「問答無用!」 
「……いやあああああああああああ~!!」

 その直後、辺りにバロンの悲鳴がこだました――。


 事を終えた少女は、兄のしでかした不祥事を皆に深々と頭を下げて謝罪する。

「……皆様。この度は不出来な兄が多大なるご迷惑をお掛けして申し分かりませんでした。今後はこのような事がないように、きつくきつ~く言い聞かせます! ほら、お兄ちゃんも!」
「……すまなかった。許してくれ……」

 少女の視線の先には、無残にもミノムシの如く木に吊るされたバロンが渋々頭を下げていた。もう兄としての威厳も、日本で4人しかいないテスターとしての風格もあったものではない。

 ぐるぐる巻きにされ、木の枝から吊るされたその姿は惨めで、哀れみしか沸いてこなかった。

 それを聞いた少女の鋭い視線がバロンに突き刺さる。

「許してくれじゃなくて、許してくださいでしょ!」
「……はい、すいませんでした。許してください……」
   
 少女が怒鳴るとバロンはしょんぼりしながら、もう一度項垂れるように頭を下げた。

 反省した様子のバロンを見て、少女は頷くと皆の方を向いてもう一度深く頭を下げる。

 そんな少女に、申し訳なさそうにメルディウスが告げた。

「まあ、なんだ……あんまり気にするなよ。お前が悪いわけじゃないんだし」
「……メルディウスさん。ありがとうございます!」

 瞳に潤ませながら、メルディウスの顔を見上げて少女がその手を取った。

 メルディウスは照れくさそうに、少女から目を逸らすと思い出したように尋ねた。

「そ、そういえば。お前の名前をまだ聞いてなかったよな?」 
「さすが兄貴! 僕も気になっていたんだ。お姉さんの名前!」
 
 小虎は興味津々な様子で、身を乗り出しながら微笑む。
 メルディウスも興味があるのか。彼女の口元を見つめながら、その答えを待っている様だった。

 そんな2人に向かって、少女は首を傾げながら。

「あ、あれ? 私の名前。知りませんでしたっけ……?」
「「…………」」

 とぼけるような彼女の言葉に、まるで時間が止まったかのように、2人は固まっている。

 ぽかんとした様子でその場に立ち尽くしている2人を見て、少女は慌てて口を開いた。

「あ、ごめんなさい。名前って普通に何かの拍子に表示されるものだと思ってて……どうして、皆に名前で呼んでもらえないんだろうって!」

 身振り手振りを交えながら、少女がそう言って慌てふためく。

 どうやら、彼女は自分の真上に名前が表示されるものだと思っていたらしい。本来ならばPTに加入した時にプレイヤーネームが表示されるのだが、彼女はここまで一度もメルディウスのPTに加入していなかった。

 いや、加入する必要がなかったと言った方がいいかもしれない。

 常にゲームバランスを壊していると言っても過言でもない2人と、ゲーム内のバランスを壊してるとまでは言えないにしても。それに匹敵する力を持った3人と旅をしていたのだ。本来ならば命に関わるような敵でも、後ろに控えていれば皆が秒で倒してくれていた為、わざわざコマンド操作を用いるPT加入画面を出す必要はなかったのだ――。

 また、彼女の言い方から察するに、VRではないにしてもMMORPGの経験はあるらしい。それも、自分の名前が表示されているだろうと察する原因になっていたのかもしれない……。

「ああ、このゲームでは同じPTに入るか、フレンド登録するかしないと、名前やレベルは把握できないんだ。色々な輩が横行してるからな。気の許した相手にだけ、そういう情報を教えられるっていうシステムになってるんだよ」

 メルディウスがそう説明すると、少女は納得したように「なるほど」と頷いた。

 少女はコホンッと軽く咳払いをすると、少しかしこまったような声で自己紹介を始める。
   
「今更な気もしますが、私は明澤 咲。キャラ名はフィリスと言います。フィリスと呼んで下さい! これからも、よろしくお願いします!」

 少女はペコリと頭を下げると、その場に居た全員が近くの者と顔を合わせながら、少し気まずい雰囲気を醸し出している。

 彼女は気付かぬうちに、オンラインゲームで最もやってはいけない禁忌に触れてしまったのだ――。

 その雰囲気の中、メルディウスが言い難そうに口を開いた。

「いや、実名は伏せといた方がいいぞ? ここはゲーム世界なんだからよ」
「……は、はい。今度からは気をつけます……」

 フィリスは恥ずかしさから顔を赤く染めると俯き加減に頷く。

 その直後、吊るされたまま放置されていたバロンが声を上げる。
 
「――お前ら! 俺様の事を忘れるなぁー!」

 徐に兄の方を向き返し、フィリスが思い出したように手を叩くと。

「……ああ、そういえば」

 思い出したようにバロンの方を向いてにっこりと微笑んだフィリスに、バロンは希望に満ちた瞳を向けている。

「おう! さすがは我が妹!」
「口を塞ぐのを忘れていましたね……ごめんね。お兄ちゃん♪」
「……えっ?」

 にっこりと微笑みながらそう言ったフィリスの手に握られている布を見つめ、バロンは顔を青ざめさせる。

 フィリスはバロンの口に布を巻き付け、口を防ぐと身を翻した。

「それじゃ、お兄ちゃん。また明日ね~♪」
「ふっふぉふぁへー!! ほふしへほうはうー!!」

 バロンのその叫びに耳を傾けながら、フィリスが頷いた。

「ふむふむ……ちょっと待て、どうしてそうなるのかって? ……それはお兄ちゃんが悪い事したからでしょ? 少しそうして反省しなさい!」

 フィリスはビシッとバロンを指差すと、縛ったバロンを木から吊り下げた状態のまま、メルディウス達とその場から去っていった。
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