第381話 テディベア2

文字数 3,883文字

「いくらなんでも対応が早すぎる……くッ、はめられたか……」

 苦虫を噛み潰したような表情を見せた九條がビルを背に微かに外の様子を窺うと、数多くの警察官が困惑する民衆を誘導しカラーコーンを置いているのが見えた。

 そして後から到着した黒いバンから迷彩柄の軍服を身に纏った者達がアサルトライフルを手に続々と降りてきている。

 その光景を見ていた九條は敵が自分の組織の刺客ではなかったことに初めて気が付く。

「いくらなんでも対応が早いとは思っていたけれど、なるほどね……まんまと誘い込まれてたって事ね。どうやら、敵の指揮官は相当に頭の回る人物のようね……」

 ホルダーに入っている代えのマガジンを確認してため息を漏らす。

 体に巻いたガンホルダーに付いている予備のマガジンの数は二つ。ハンドガン相手ならこれで足りるが、アサルトライフル相手だとこれでは少し頼りない。ハンドガンのマガジン一本に入る弾数は15発。対してアサルトライフルの一本のマガジンに入る弾数は30発。

 一人だけなら戦闘技術の高い九條なら負けることはない。しかし、たとえ烏合の衆であっても数の有利はちょっとやそっとじゃ覆せない。それが訓練を受けた人間であり、なおかつアサルトライフルという一回のマガジン装填で30発もの弾丸を打ち出せる武器であればもう彼女に勝ち目はない。

 残る手立ては逃げるしかないが、発砲音を聞きつけ周囲を警官隊が取り囲んでいるこの状況ではそれも難しいだろう。もしも、上手く一般人に紛れられたとしても取り調べを受けることは避けられない。偽装した免許証はアメリカを出る前に星の叔父の男から受け取ってはいるが、取り調べを受けるということは家に帰れないということであり、その間に一人きりで家で待っている星を放置しておくことになる。

 料理もできない星は外出して食料を調達するしかなく、その最中に何者かに拉致される可能性も高い。いや、武装した兵士に囲まれている今の自分の状況を考えれば、最悪は星の命を奪われてもおかしくはないだろう。

「――やっぱり、この状況をなんとか打開するしかないわね。応援も呼べないし、残る弾数は予備のマガジン二つで30発と銃に残っている14発だけ……厳しいわね」

 壁越しに兵士達が数人の部隊に分かれて散るのを確認してから九條は彼等から距離を取るようにすぐに走り出す。
 彼女が走り出すと意外に早く死んでいる2人の男性が発見され、騒々しく闇に紛れる九條を探す兵士達の足音が大きく辺りに響く。

 九條は十字路になっている場所に陣取って息を殺して向かってくる兵士達を待つ。

「……さあ、来なさい」

 壁に背中を付けて銃を構え、鋭い視線を建物の隙間から微かに見える暗闇を見据えている。
 すると、そこに兵士の一人が現れ素早くライフルを構える。だが、それよりも早く九條の銃弾が彼の肩を撃ち抜いて兵士が苦痛な叫び声を上げて地面に伏せた。

 ほっとするのも束の間、その後ろからきた2人が持っていたライフルを同時には発泡する。
 すぐに九條は別の通路に移動して激しい銃弾の嵐をやり過ごすと、しばらくして銃撃音が収まった。

 そっと壁から覗き込むと、彼等は何もせずに銃を構えたまま立っているのが見えた。九條は素早く自分の後ろの通路の方に銃口を構えて待ち伏せる。すると、その狙い通り今度はその通路の方に回り込んで来ようと兵士達が銃を構えたと同時に彼等の銃を持つ方の肩だけを的確に撃ち抜いて、今度はただ銃を構えて九條を待ち伏せている方の兵士達の方に無差別に二発だけ発泡した。

 直後。一人のうめき声が九條の耳に届いたと思うと、再び激しい銃撃音が辺りに響く。そして弾切れになった瞬間を突いて九條が飛び出してその場を素早く離れる。

 常に建物の裏を通り移動する九條は、少しずつ駅の方へと向かっている。

 相手の方が圧倒的に数で劣る九條は狭い路地から出ることがリスクになる。路地の外に出て戦えば相手は人数を生かして横に展開するだろう、そうなれば連射された銃弾が一斉に彼女を襲うことになる。

 だが、九條が狭い路地を陣取っている以上。相手は数の利を活かすことができない上に、九條の方は攻撃してくる位置を正確に予測することができる。しかも、相手は路地に入ってくることを嫌うのは軽量で比較的に扱いやすいハンドガンと違い相手が使うアサルトライフルではそこそこの重量があり、銃全体が長い上に連射する分しっかりと固定して撃つ必要がある。

 またそれだけではなく。路地に入れば女性で軽装備で身軽な九條と違い大部分が男性であり、しかも重装備の兵士達では身動きが取りにくい。そして、狭い上に連射による銃弾の反射によって負傷のリスクが大幅に上がる。

 本来ならば反動が大きいハンドガンの精度はそれほど高くはないにも関わらず、一撃で的確に狙った箇所を撃ち抜けるほどの腕を持つ九條に、扱い難いアサルトライフルの単発で挑むのは死にに行くことに等しい。
 
 走り抜けていた九條が追っ手が来ないのを不審がって後ろを振り返ったその時、突然曲がり角からサバイバルナイフを持った兵士の男が飛び出してきた。

「――なッ!?」

 驚いた九條が透かさず振り向くが狭い路地な上に対応が遅れ、彼女が銃を構えた時にはもう男が懐に飛び込んでいる状態だった。
 銃を持つ九條の右手を兵士の男の左手が押し上げ、その右手に持っていたサバイバルナイフが九條の右脇腹に深々と突き刺さる。

「……ふふっ、いくら銃の腕が良くとも。近距離戦なら女に俺が負けるわけないぜ!」

 兵士の男は口元に微かな笑みを浮かべ、得意げにそう呟くと九條の脇腹に刺さったサバイバルナイフの柄を持って左右に捻って傷口を抉る。

 苦痛に顔を歪めた九條だったが、素早く密着していたその体を勢い良く蹴り飛ばして強引に距離を取って持っていた銃を再び構え。

「くッ……よくも!!」

 そう叫んだ直後、鋭く睨む彼女の構えた銃の銃口から弾丸が飛び出し男の右肩を貫きその後、銃の中に残っている数発の弾丸を惜しげもなく彼の体に打ち込み兵士の男は絶命した。

 体に風穴を開けられた見るも無残な姿になった兵士の男が地面に倒れ、九條は持っていた銃を投げ捨てて刺された箇所を右手で押さえて壁に凭れ掛かると、彼女の体が徐々に下がり力無く地面に座り込んだ。

 地面に座り込みながら、右手で強く押さえても泉の様に漏れ出してくる血液に九條は諦めたように微笑を浮かべた。

「……まったく。こんな結末なんて……神様も酷いわよね……私から二度も娘を奪うなんて……」

 九條は自分の左腕に抱えられた星にプレゼントするはずのテディベアの入った真っ白な袋を見下ろした。

 本当なら今頃、星にこのプレゼントを渡して喜ぶ彼女の姿を見て微笑んでいたはずなのだ。それがまさかこんなことになるなんて夢にも思わなかった……いや、本当はどこかでこうなると分かっていたからこそ、今日という日に出掛けたのかもしれない。

 不意に空を見上げた九條は夜空に輝く星々を見つめてため息混じりに呟いた。

「……あの子と星を見に行く約束も守れそうにないわね……ごめんね」

 そう口にした九條の瞳からは涙が溢れ出し頬を伝って血に染まる地面に溶けていく。

 するとその時、目の前に突如として黒いマントを頭から被った人物が現れた。

「――いつの間にッ!?」

 驚く九條の前に現れたのは、背丈が低く小学生の子供くらいの大きさしかない。

「……安心しろ。私は少なくともあなたの敵じゃない」

 黒いマントを着た人物が頭まで覆い隠していたマントをめくって九條に顔を見せた。

 その顔を見た九條は目を見開いてその顔を食い入るように見つめていた。だが、それも無理はない。その顔はもう見ることができないと思っていた星にそっくりだったからだ――。

「……星ちゃん? ど、どうして……」
「――良く見ろ。私はあの子じゃない」
「……えっ?」
 
 九條はもうろうとする意識の中、しっかりとその顔を見直す。

 すると、長い黒髪と幼い顔つきは同じだが瞳の色が星は紫だが、目の前にいる彼女は青かった。しかし、その顔には微かに星の面影もある。そして、九條は彼女のことを知っていた。

「貴女確かは星ちゃんの……でも死んだはずじゃ――」
「――その通り。だから、今の私は亡霊だ……」

 そう言った彼女の表情はどこか悲しそうに見えた。

 そんな彼女に向かって九條が告げた。

「早くここから離れなさい……すぐに私を探して兵士達が来る」
「……それはない。邪魔な奴等は私が片付けておいた」
「…………そう。それはありがたいわ……」
 
 不思議と目の前にいる彼女の言葉が嘘だとは感じなかった……それどころか今までの出来事に合点がいった。
 
 っと急に咳き込んだ九條の口から血が流れ、それと同時に呼吸が荒くなった九條が震える手で持ったピンク色のリボンの付いている白い袋を目の前の彼女に差し出す。

「…………これを、家で待ってる星ちゃんに……」
「……コクッ」

 無言で小さく頷く彼女を見て九條はほっとした表情で頷いて「お願いね……」と呟くとにっこりと微笑んだ。

「――――リサ……今、ママもそっちに行くから……ね」

 そう告げた直後、九條はゆっくりと瞼を閉じた……。

 そんな彼女を見下ろしながら眉をひそめて少し悲しそうな目をしたマントの少女は「お疲れ様……」と短く告げ、九條から渡されたラッピングされている白い袋をマントの頭の帽子の部分にしまうと、壁に凭れ掛かったまま安らかな顔をしている九條の体を軽々と持ち上げてスッとその場から姿を消した。
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