第158話 記憶の帰還3

文字数 4,872文字

 一触即発の緊張感の中で、マスター以外の全員が激しい殺気を放っている。
 けれども。そこから『仲間割れを起こす』という危機的状況は、マスターの一言ですぐに無駄な心配だと分かる

「……なにも心配する事はない。ライラはどうか分からんが、もう一人の者はあの娘の身内だ。どんな事があろうと間違いはなかろう」
「……身内!?」

 一瞬にして部屋の空気が変わった。それが彼の口から発せられた『身内』という言葉が原因なのはもはや言うまでもないだろう。

 マスターのその言葉を聞いて、エミルが驚きの声を上げる。
 そして、その周りにいて凄まじい殺気を放っていたはずのカレンとイシェルも、驚いた様子で目を丸くさせている。

 だが、皆が驚くのも無理はない。星の父親が優秀な科学者で、更にライラと一緒に居た……というか科学者の身内というのは、おそらくライラのいたラボのモニターの男で間違いない。

 もしそれが事実となれば、星の身内はこのゲーム【FREEDOM】の開発者ということになる。そこでエミルは、自分がとんでもない思い違いをしていたことに気が付く――。

(……星ちゃんって、もしかすると、このゲームから戻る方法を事前に知っていた? もしそうだとして、今までの事が最初から全て演技だったとしたら……?)

 エミルの心の中に星に対しての不信感が一気に沸き起こってくる。しかし、それも無理のない話だろう。この事件の首謀者である『シルバーウルフ』の狼の覆面の男も星だけを狙ってきた。

 普通に考えれば、ただの小学生の女の子を狙う理由が見つからない。しかも、記憶まで失わせている。これは星自身が、この事件に何らかの関係性があることの証でもある。

 エリエの話を聞く限り、星は全くの迷いもなく敵の元にいったらしい。もしそれが、エリエを助ける為だけではない別の意味があったとしたら……しかも、星の固有スキルの相手のステータスを奪う能力はエミルも体験した。

 あんなとてつもない力をいつどこで星が手に入れたのか?星に聞いた時は、その剣を近くの湖で拾ったと言っていたが、そんなイベントはエミルも聞いたこともない。
 しかも、エミルの拠点である城のすぐ近くでそんなイベントが突発的に発生するはずがない。城を建てる前に、エミルは周囲を散策し生息するモンスターなどのレベルも低く最も少ない場所を選択したのだ。

 それが星個人にだけ発生するイベントだとすると、それもそれで不可解である。何故なら、フリーダムで個人に対して発生するイベントは実装されていないからだ――難易度が凄まじく高いクエストやイベントはあるが、だとしても個人に対して発生するイベントは長くゲームをプレイしてきたエミルも聞いたことはない。
 
 それを踏まえると星の父親とその身内の男も科学者。更に、ライラに襲われた時に発動した星の明らかにゲームバランスを超えている未知の能力。
 突然の星の記憶の消失と、記憶の復活の重要性――普通の小学生の女の子に、今回の事件と関係している人物が皆、必要以上に関心を持つのは異常なことだ。

 そんな少女が本当に何一つ包み隠さずに、自分達と行動を共にしていたのだろうか……という疑問が生まれるのは仕方のないことだろう。現に星は口数も少なく、行動も積極的とは言えない。

 彼女のその性格も何かを隠しているから、それをこちらに勘ぐられない様にする為なのかもしれず、時折外に飛び出していく星の行動も、外部からの誰かと交信の為なのか……ここまでくると、なにもかもが出来過ぎていると言うか、怪しいとまで言えるレベルだ。

 もしも、星と覆面の男が繋がっているとすれば、日本サーバーでも名の知れた高レベルプレイヤーのエミルに、偶然を装って接触して来たのも説明できる。

 エミルの性格を早い段階で情報として得ていれば、街での最初の遭遇も偶然ではないだろう。
 マスターも謎の多い人物ではあるし。何よりここ数年間、連絡一つ取らなかった人物がこの混乱の中、ダンジョンで遭遇する確率を考えると、とても偶然が重なったとは考え難く、むしろ全てが最初から仕組まれていたとしか考えられない。

 混乱する中、星の微笑む顔がエミルの脳裏に浮かぶ。

「……でも、あの子にそんな事ができるわけが……」
(――でも……全てが私にそう思わせる為の演技だとしたら……?)

 自分に言い聞かせようと出した言葉に、直ぐ様自分の困惑する心がそれを否定してしまう。

 疑心暗鬼になっている心が不安を掻き立て、負の連鎖に迷いそうになるエミル。

 その直後、エミルの頭の中に岬との会話が浮かんできた。

『姉様の愛で、あの子の心の氷を溶かしてあげて下さい』

 その言葉が、不信感に満ちていたエミルの心に突き刺さる。たとえ星が裏切っていたとしても、今までのこの生活の中での思い出は消えることはないし揺るがないものだ。万が一に星が敵なのだとしても、こちら側に引き入れればいいのだ――。

 静かに瞼を閉じて再び瞼を開いた時には、エミルの表情は決意に満ちたものへと変わっていた。

(そうよ。あの子が何を考えてるか関係ないわ。私はただ星ちゃんと一緒に居たいだけ……私があの子を信じてあげなくてどうするの! あの子とのこれまでの日々を信じてあげなくてどうするのよ!)
 
 心の中でそう自分に言い聞かせると、目の前にいるマスターに神妙な面持ちで尋ねた。

「マスター。それで、星ちゃんは今どこに居るんですか?」
「……それは教えることはできない」

 表情を曇らせたマスターはそう告げると、エミルに頭を下げた。

 目の前で頭を下げたマスターをじっと見据えていたが、エミルはその返答を予想していたのか、たいして驚きもせずに次の質問をした。

「なら、マスターはその人とどういう関係なんですか? それも教えられない……?」

 彼を試す様な瞳で言い放ったエミルの踏み込んだ質問に、マスターは微かに眉をひそめた。

 向かい合うマスターとエミルの後ろで、殺気を放ちながらなおも睨み合うイシェル達も、その質問には興味があるのか聞き耳を立てている。少しの沈黙の後、マスターは大きくため息を漏らすとその重い口を開いた。

「はぁ……分かった。儂と奴等との関係は全てを話そう……このままでは内部分裂しかねんからな……」
「……そうですか」

 その優しい声色にエミルの表情も少しだが和らぐ。

 マスターは周りのメンバー達にも席に座るように促した。その言葉に皆も素直に席に着く、なんだかんだでその場に居た全員が気になっていた。ということなのだろう。 

 深く椅子に腰掛けたマスターが、ゆったりとした口調で話し出す。

「そう、あれはまだこの事件が発生する前の事だ――どこからともなく儂の噂を聞きつけ、儂のやっている道場にやって来た者がおった。そやつが儂に依頼をしてきたのだ……だが、その男は依頼してきた者の使いだと言っておってな。儂は一度は断ったのだ『自ら姿を表さない者と交渉などできるはずがない。顔を洗って出直してこい』とな……」

 腕を組んだマスターは感慨に耽るように、徐に天井を見上げた。

 しばらくして、再び口を開くマスターが言葉を続ける。

「その数日後……今度は儂の手元に、一通のエアメールが届いた。そこには『先日の無礼を許してもらいたい。だが、海外に居るために、こちら側に出向くことはできない。そこで、ゲーム内での取引を行いたい』という感じの内容が書いてあった。もちろん、儂はゲーム内で会うことを了承した――」
「――どうしてですか? 師匠」

 我慢できなかったのだろう。カレンがマスターの話を遮り、小首を傾げながら尋ねてきた。

 含み笑いを浮かべたマスターが、不思議そうにしている愛弟子の方を向いて。

「ふふっ、それはその男に、いくらか興味があったからだ。待ち合わせ場所の街外れの荒れ果てた崖の上に現れたのは武装もしない。青いパーカーを着た男だった。私服で現れたのは自分が武装していないことを証明する為だったのだろう……だが、その時の行動が、儂は逆に怪しいと感じていたのだ――警戒する儂に奴は微笑みながらこう言った『まずは仕事の話は抜きにして飲みましょう』とな……もちろん最初は変な奴だと思った。盃を持って酒を数回酌み交わす中で、儂は奴がどういう人物なのかを感じ取っていたのかもしれん。ゲーム内とはいえ。いや、ゲーム内だからこそ、奴の人柄が良く分かったのかもしれんな……儂は、その男の依頼を受けた――それが、ダークブレットの日本支部の壊滅または半壊させ、しばらくは再起をかけられないようにするというものだ……手応えのある者はいなかったが、雑魚も数が揃えばそれなりに手応えはある。儂も加減を忘れて敵の拠点にいた殆どの奴を撃破し、一時は再起不能にまで追い込んでやったわ!」

 口を大きく開いて豪快に高笑いするマスターに、周りのメンバー達は全てを悟った。
 そう。ダークブレットのアジトを襲撃した時にマスターが参加しなかったのは、前回の強襲でマスターが主要な敵を撃破し、日本支部の戦力を把握していたからだ。

 だからこそ、エミル達で事足りると見たマスターは今回の戦闘には介入しなかった。
 おそらく。メルディウス達を差し向けたのも、今後の為に彼等もエミル達と顔合わせをしておいた方がいいと考えたからだろう。それは、エミル達の戦力で十分に成し遂げられると確信していたからに他ならない。

 また、彼の圧倒的な強さに、ダークブレット事態を脱退したメンバーも少なからずいたはずであり、今回の作戦の成功には事前に戦力を剥いでくれていた彼の以前の戦闘の功績も少なからず入っているのだ……。

 ふと、エミルがマスターに言葉を投げ掛ける。

「それで、マスターは今までどちらに?」

 そう尋ねたエミルの瞳はどこか、マスターの真意を探るような鋭くそして冷たく思えた。マスターに疑惑の目が向けられていることを察して、隣に座っていたカレンが声を上げる。

「師匠はなにも悪くない! 俺が不覚にもダークブレットとの戦闘で油断して負傷してしまい。近くの宿屋で受けた傷を癒やしていただけです!」

 テーブルを叩き立ち上がったカレンは、真っ直ぐにエミルの目を見た。

 エミルは頷きながらため息を漏らすと、カレンの透き通った瞳を見つめた。彼女のその眼差しは、カレンの心を見透かすかの様に鋭く思わずカレンの額から汗が流れる。

 だが、エミルからは決して視線を逸らそうとしない。今、目を逸らせば間違いなくエミルがマスターを敵視すると分かっていたからだ。

 彼女としてもそれだけは、何としても避けなければならない。
 何とも言えない緊張感の中で微動だにできなかった。そんな時、隣の寝室からエリエとミレイニが何も知らずに出てくる。

 エリエの腕にしっかりと抱き付いているミレイニが、リビングのテーブルで話をしていたエミル達を指差した。
 
「皆で何してるんだし? なにか……んんっ!」

 しゃがんだエリエは咄嗟にミレイニの口を塞いで苦笑いを浮かべた。それは話を聞かなくても、ピリピリとした空気感で大体のことは把握できたからに他ならない。

 空気を読むのが苦手なミレイニに、今好き勝手言われればこの場が更に悪化しかねない。

 エミルは横目でエリエ達を見ると、小さくため息を吐いて肩の力を抜く。

「はぁ……そうね。カレンさんは嘘を言っていないみたいだし、ここでは真意を追求するのは控えましょう」

 エミルはそう言ってはいたが、もちろんその本心は違う。それはカレンとマスターも重々承知していた。

 結局のところ、マスターがエミル達に黙っていたという事実に変わりはない。しかも、元仲間だったライラが星を連れ去った事実が、エミルとマスターの絆に亀裂を入れたのは間違いないだろう。

 おそらく。エミルがこの場での追求を避けたのは、エリエとミレイニの出現が大きく関わっていた。
 いや、それも少し違うのかもしれない――本当はまだ幼さの残るミレイニの顔が、不安で歪むのを見たくなかったのかもしれない。
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