第304話 フィリスの覚悟4

文字数 2,842文字

「――ならば、勝負するしかありませんね」

 返ってきたその言葉に、フィリスも星も言葉を失う。

 当然だ。今の疲労しきっている彼女と戦うなどできるはずもなく、第一に戦える状態にないのは彼女の方が良く分かっているはずなのだ。
 しかし、紅蓮の方は本気らしく。体を支えていたフィリスを引き離し、フラフラしながらも近くの壁に手を突き倒れそうになる体を支え、真面目な表情でフィリスの目を見つめていた。

 すると、フィリスもその紅の瞳から彼女の決意を感じとったのか、無言のまま深く頷き返す。
 フィリスのその反応に一番驚いたのは星だった。戦う前からすでにボロボロと言った感じの紅蓮を見たら間違いなく断ると思っていたからだ。
 
「戦うけど、今はまだそうじゃないから」

 そう言ってフィリスは壁に凭れている紅蓮の体を支える。紅蓮は驚いた様子で彼女を見ると、彼女は笑みを浮かべた。

 紅蓮はそんな彼女を見て、俯き加減で小さく呟いた。

「……甘いですね」

 紅蓮の体を支えゆっくりとエレベーターの方へ歩いていくフィリスに、星も続いて歩き出した。

 ギルドホールを出た3人は人気のない場所へとやってきた。
 紅蓮が着いた直後、フィリスから離れると白く美しい刀を取り出して構える。しかし、その手には力がなく、今にも刀を放しそうなほどその腕には力がこもっていない。

 だが、その瞳には闘志が漲り。彼女はまるで負けるとは思っていない様である。
 フィリスも一応鞘から剣は抜いたものの、その手には力がない。いや、未だに彼女の中で覚悟が決まらないと言った方が正しいかもしれない。

 正直。もう虫の息と言った紅蓮に斬り掛かるには良心的な面でも、仲間としての面での特別意識がそうさせた。
 
「……どうして攻撃をしてこないんですか? 私の状態に遠慮しているのですか? もしそうなら、貴女に戦う資格はありませんよ?」
「でも……そんな状態で戦うなんて……」
 
 まだ躊躇しているフィリスに、紅蓮は着物の袖に隠していたナイフを投げた。

 頬を掠めるナイフに、フィリスも驚いた様子で目を丸くさせている。

「――紅蓮ちゃん。本気なんだね……けど、私も今回は引けない! もしここで戦わなければ、殻に閉じ籠もったままのずっと弱い自分のままだから!」

 剣の柄を握る手に力を込めて、紅蓮に向かって斬り掛かる。

 フィリスが振り抜いた剣が紅蓮の刀の刃に阻まれた。いや、阻まれる程度の力で彼女が振り抜いたと言った方が正しい。
 直後。紅蓮の体が動きフィリスの体に凭れ掛かる様に倒れたかと思うと、素早く彼女の腕を引きそのかかとに足を引っ掛ける。

 体制が崩れたフィリスが気付いた時には、細いその首筋に紅蓮の持っていた刀の刃が押し付けられていた。

「…………ッ!?」

 ありえないと言いたげな顔で驚き声を失っているフィリス。

 っと次の瞬間、紅蓮は彼女の首筋に突き付けていた刀を引いて、重そうな体をゆっくりと起こす。
 何が起きたのかまだ分かっていない様子で、驚いているフィリスを見下ろして紅蓮が淡々と告げる。

「これが戦闘経験の差というやつです。貴女の心には私を本気で斬り伏せるだけの覚悟がなかった……それがこの結果を招いたのです。これが敵なら、貴女は今生きていません。分かりましたか? 私はどんなにダメージを受けていても敵の倒し方が体に染み付いています。もし貴女が敵ならば、私は何の躊躇もなく殺しています――勝負ありです。約束通り、私の言葉に従って下さい」
「……くッ!!」

 紅蓮の勝利宣言と取れるその言葉に、やっと自分の負けを自覚した彼女が小刻みに震える唇を噛み締める。

「――ですが、これは今の状態の話です。貴女がこれから努力し研鑽を積めば、すぐに私達など勝てないほどに強くなるでしょう……ただ今は、命を無駄にする時ではありません」

 その直後、上空からマントをなびかせた漆黒の鎧の男性が降ってきた。
 
 咄嗟にその気配を察していた紅蓮が地面を転がるようにして彼の攻撃をかわして立ち上がると、鬼の様な形相のバロンが有無を言わさず周囲に漆黒の兵士達を召喚させた。それに反応するように、紅蓮も下ろしていた刀を構えてその切っ先をバロンに向ける。

 完全に臨戦態勢に入っている2人から放たれている殺気は、素人の星が見ていても明らかだった。
 しかし、バロンはともかく。今の紅蓮では戦闘は不可能に近い状態であり、先程の戦闘も戦闘経験の違いで敵意の薄いフィリスの心の隙を突いて倒しただけだ。

 だが、彼は違う。まるで仲間に向けるものではないほどの殺気を全身から滲ませている。
 空気が震える様なピリピリとした感覚が、星の肌をチクチクと刺す。離れていてもこれだ、きっと目の前で対峙している2人はそれ以上に感じていることだろう。
 
「紅蓮。俺様の妹に手を出したな……? 俺様のことを味方だと勘違いして調子に乗ったな!」
「……私はそんなつもりはありませんが。そう疑われても仕方がありませんね」

 そこまで口にして、互いに動きを窺うように睨み合っている。
 本来、紅蓮もバロンも四天王と呼ばれる最上位のプレイヤーであり、お互いに自分が誰よりも優れていると自負している。

 しかし、どんなに最強の能力であれ弱点とも言える泣き所が必ずある。
 紅蓮にとって痛覚が遮断できない不死の力が仇となるのが彼であり。彼からしたら、紅蓮は自分の兵を持ってしてもHPを削りきれない厄介な存在ではあるが、決して怖いものではない。
 
 睨み合っていたバロンが手を前に出して、紅蓮の周囲を囲む兵士達が一斉に動く。
 今にもバロンの漆黒の兵士達が紅蓮に襲い掛かろうとしている時、周囲にフィリスの声が響いてバロンが止める。

「止めてよ。お兄ちゃん!!」

 漆黒の兵士達が止まったのを確認すると、バロンは妹の方に視線を移す。そこには瞳を潤ませたフィリスの姿があった。

 バロンはその顔に完全に戦意を喪失したのか、構えていた剣を鞘に収めて召喚していた無数の兵士達も消し去った。その後、紅蓮も刀を自分の体長ほどの鞘に収めると、その場を離れる様にゆっくりと歩き出す。

 その場に泣き崩れるフィリスにバロンが優しく手を差し伸べて部屋へと戻っていく。彼等の後ろ姿を見つめ、その一部始終を目撃していた星もまるで他人事ではない感覚に襲われていた。

 星の瞳にはあの時のフィリスの姿が完全に自分と重なって見えていた。自分を客観的に見ているという経験はそうそうできるものではく。星にしてみれば、新鮮なものだったに違いない。
 
 だが、そんなことより。星からしてみたらフィリスは正しく、紅蓮は間違っているようにしか見えなかったのだ――。

 結果的には負けたのだろうが、傷付いた紅蓮を本気で攻撃できるはずがない。しかし、紅蓮の方は彼女のその優しさに漬け込んだように感じた。

「……こんなの間違っている」

 星は感情を押し殺しながら腰に差した剣の柄を握り締め小さく呟くと、ゆっくりとフィリス達の後を追って歩き始めた。
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