第212話 星とミレイニの真剣勝負

文字数 3,509文字

 あの宣戦布告放送が終わり。それから2日後、今まで眠っていた星がやっと目を覚ました。
 重い瞼を開いてぼんやりとしている視界の中、星の顔の目の前にはレイニールの顔がデカデカと現れ、思わず星が「ひっ!」と小さな悲鳴を上げた。

「おぉ~、主。2日も寝たままで心配したぞ~」
「……2日?」

 レイニールの言葉を聞いた星が首を傾げる。

 それもそうだろう。彼女には2日寝ていたという感覚がない。
 まあ、寝ていたのだから当たり前だが、どうして自分が寝ていたのかすら今の星には理解できていなかった。

 それどころか記憶も曖昧で、その時のことはぼんやりとしか思い出せない。
 星が少しでも状況を掴もうと静まり返った寝室を見渡すと、小窓から微かに光が差し込んでいた。そのことから推測すると、どうやら夜ではないらしい。

 星は枕の横で口の周りに残っていた涎を拭いているレイニールに尋ねた。

「レイ。エミルさん達はどうしたの? 私、戦ってたはずなのに……」
「ああ、皆無事に帰ってきたぞ! 主が倒れた後、すぐに騒ぎは収まったのじゃ! きっと、我輩と主の活躍に恐れおののいて逃げたのじゃな! はっはっはっはっ!」

 腕を腰に当てて高笑いを浮かべながら適当なことを言っているレイニールだが、星にはレイニールが活躍したのかその真相は分からない。

 あの村正事件で星が分かっているのは、プレイヤーを助けに入った時に頭の中が真っ白になって、今まで以上に物事が冷静に見られたことと、その後、何者かの声が聞こえた直後に意識のある間に全身を何者かに乗っ取られた。

 だが、星は不思議とそのことに関して、悪意は一切感じられなかったのだ。
 それがなんでなのかは分からず『あの懐かしいような感覚は一体何なのか』そのことだけが、未だに理解できなかった。

 星は徐に立ち上がると、部屋の角に置いてある姿見の前に立って自分の顔を確認する。
 まだ頭の中が混乱しているのもあるが、少しでも不安そうな顔をしていたらエミル達を心配させかねないという仲間達への配慮からくる行動だった。   
 
 案の定、鏡に映った自分の顔は普段とはかけ離れていた。それは正体が分からない感覚からくる不安と焦り。そのせいで何時になく表情が歪んでいた。こんな顔をしていたら、絶対にエミル達に余計な心配を掛けてしまう……。

 星はそんな自分の顔を両手でムニムニと解すように動かすと、鏡に向かってにっこりと微笑んだ。

「よし!」

 姿見に映った自分の普段通りの顔を見て、星は満足そうに頷く。
 
「――主はたまに、我輩には理解できない行動を取るな。何か理由があるのか?」

 空中でパタパタと翼を動かしながら、顔の側にいたレイニールが不思議そうに首を傾げて聞く。

 その質問に、星も少し困った顔をしながら、もう一度鏡を見つめてゆっくりと答えた。
 
「……だって、いつでも笑ってないと、誰でも私のことなんて嫌いになるでしょ?」

 口籠もりながら小さく呟いた星の言葉を聞いて、レイニールはいまいち納得できないと言った表情で頭の上に大きな『?』マークを浮かべていた。

 今までもそうだが、星にとって人付き合いというのは経験がないと言ってもいいほどに疎い部分だ。
 そのせいか、人と必要以上に付き合うことに対しての『相手に嫌われるのではないか?』という恐怖心が、日に日に大きくなってくるのを自分自信でも強く感じていたのだ。

 毎日が捨てられるのではないか、という恐怖でしかない『必要にされなければ、ひとりぼっちになってしまう』常にそう考えて不安になってしまう。それを表すかのように、今も星は両腕の服の布をぎゅっと握り締めた。

 星は姿見と向かい合って、再び湧き上がる不安に曇った表情を無理に笑顔に戻す。自分の顔が笑顔になっているのを確認し、星はゆっくりと扉へと向かって歩き出した。

 ゆっくりと扉を開くと、いつも誰か居るはずのリビングには珍しく誰もいなかった。それにはレイニールも驚いたのか、星の顔の付近を飛びながら仕切りに頭を動かしてキョロキョロと辺りを見渡している。

 星がリビングの中に入ると、誰も居ないはずの静まり返った部屋の中で、微かに何者かの息遣いを感じた。どうやら、その息遣いは窓際のソファーの方から聞こえてくるようで……。

 物怖じしながらも怖いもの見たさから、そーっと星とレイニールがソファーを覗くと、そこには猫の様に丸まって寝ているミレイニの姿があった。

 おそらく。今回の件では役に立たないということで、エリエにでも置いていかれたのだろう。
 本人はそんなことなど露知らず。何の迷いもないような幸せそうな顔で涎を垂らしながら、気持ち良さそうに眠っている。

「ぷぷっ、こやつ、涎を垂らしながら間抜け面をして寝ているのじゃ。主とは大違いだな」

 そんな彼女の顔付近に舞い降りたレイニールが、口を押さえ少し馬鹿にしたような感じで言った。

 自分も先程まで涎を垂らして寝ていたレイニールの言葉とは思えない。でも、星はその発言に眉をひそめると。

「レイ。そんなこと言っちゃだめだよ」

 っと言葉を返すと、レイニールは少ししゅんとなって項垂れてしまう。
 その時、突然寝ているミレイニの服が盛り上がり、モゾモゾと何かが蠢く。星が驚いた様子で身を仰け反らせると、ミレイニの服の胸元からひょっこりとイタチが顔を出した。

 白い毛並みの珍しいイタチは彼女の使役するモンスターで、英雄の名を取って名付けられた『ギルガメシュ』だ――。

 ミレイニの体によじ登り、ギルガメシュがキュキュ!とレイニールに向かって鳴く。体全体を使って何かを訴えるその姿は、何か怒っている様にも見えた。

「キュキュ! キュ! キュキュキュ!」
「なに!? 我輩に喧嘩を売っているのか!!」
「キュキュー! キュー!!」
「いい度胸じゃ! 我輩の前で主を侮辱するとは……本当にいい度胸過ぎるのじゃー!!」
「キュ! キュキュキュー!!」

 ギルガメシュが何を言っているのか分からないものの、レイニールの反応を見ていると星のことで揉めているのは明らかだった。

 互いにいがみ合うギルガメシュとレイニールを、あたふたしながら慌てて止めに入る。その時、扉が開く音が聞こえエリエの声が聞こえてきた。

「ただいま~。ミレイニ、お菓子の材料を買ってきたわよ~」

 すると、寝ていたはずのミレイニの耳がピクピクと動いたかと思うと、のっそりと起き上がる。

「……お菓子……お菓子だし!」

 寝ぼけ眼でぼーっとしていたミレイニが、エリエの『お菓子』と言う言葉を聞いて、突如その目を見開く。

 突如飛び起きて、星の横を猛スピードで駆け抜けエリエの元に急ぐミレイニ。

 星はそんなミレイニの様子に驚き、きょとんとしていた。しかし、それも無理はない。本来人とは寝起き直後で走るなんて芸当は普通はできないからだ――それだけ、ミレイニのお菓子にかける情熱の表れなのだろう。

 しばらくして、エリエの腕を掴みながらミレイニとエリエがリビングに入ってくる。
 ミレイニに張り付かれ困り顔で眉をひそめていると、星の姿を見たエリエがミレイニの腕を振り払い星の方へと慌てて駆け寄ってきた。

 星の肩を掴んだエリエが「大丈夫? おかしなところがあったらちゃんと言いなさいよ?」と問い掛け、星はそんな彼女に何事もないかの様に微笑み返した。しかし、その横で不満を爆発させていたのがミレイニだ。

 ミレイニは頬を大きく膨らませながら、ドスドスと音を上げて星の元に来ると、右手の人差し指を星の顔の前に突き出す。

「……できれば穏便に事をすませたかった。でも! 星。こうなったら決闘だし!」
「――え!?」

 突然のミレイニの宣言に、完全に思考が置いてけぼりになった星は、驚きながら身を仰け反らせる。  

 星の反応は最もだが、それ以上にエリエの突き刺すような視線がミレイニを威圧している。まあ、今まで数日間も寝たままだった人間に突然勝負を挑んだのだから無理もないだろうが……。

 ミレイニは一瞬だけエリエを見て、慌てて視線を逸らすと再び星に向かって宣言する。

「星勝負だし! 勝負内容は真剣に真剣で勝――」
「――真剣で……なんだって?」

 途中まで言葉を告げたミレイニに向かって、更に圧力をかけるようなエリエの低い声音に、さすがに恐れおののいたのか、ミレイニは震える声で言葉を続けた。

「あっ……し、し、しん、神経衰弱で勝負だし!」

 咄嗟に『真剣』を『神経衰弱』に変えて、力強く指差したミレイニは星に勝負を挑む。
 何とか言葉をすり替えることに成功したことにより、エリエの体から滲み出ていた怒りのオーラは消えていた。
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