第240話 覆面の下の企み4

文字数 4,449文字

             * * *


 明かりのない研究室のような部屋の中、巨大なモニターの光だけが不気味に部屋全体をぼんやりと照らし出している。中央に置かれたテーブルには多くの薬品と書類が乱雑に置かれ、溢れた書類は地面に散乱している酷い有様だ。

 そんな部屋の中で、モニターと一体化になった巨大なキーボードを叩いているのは、短い赤髪にメガネを掛けた中肉中背の男だった。

 彼はモニターを見上げ、気色悪く不気味な笑みを浮かべる。

「さすがは武闘大会の覇者……一点を突破してくる戦略は潔く見事だが、ここは現実世界ではない。ゲームである事を、彼はそれを理解していない。この世界ではこんな事もできるんだよ……」

 口元に不気味な笑みを浮かべている彼の耳にブザーの音が飛び込んでくると、彼は慌てて装備欄に表示されている人形の顔の付近に指でアイテム欄に入った装備品を装備した。

 一瞬にして狼の覆面を装着した彼が、落ち着いた手付きでキーボードの端にある扉の開閉ボタンを押す。
 すると、まるで仮面舞踏会にでもいそうな、奇抜なマスクを付けた女性がゆっくりと入ってきた。どうして女性と分かったかというのは、彼女の露出の多い服装のはち切れんばかりにせり出した胸元から、女性だと判断できたからだ。

 無言のまま振り向くことなくキーボードを叩く覆面の男の背後から、ゆっくりと近付いて来た女が覆いかぶさるように彼の首筋に自分の大きな胸を押し付けた。

 その瞬間、覆面の上からでも分かるくらいに目を見開いた覆面の男が突如として腕を振り抜いて、背中に抱き付いてきた女を突き飛ばす。

「――キャッ!」

 不意に出た彼の行動に、仮面を付けた女は何もできないまま地面に倒れる。
 文句を言おうと顔を上げた直後、女は狼の覆面の内側から見える獣の様な血走った瞳に恐怖し思わず口籠もった。

 怒りを抑えきれない覆面の男は、地面に座れ込んだままの仮面の女に向かって言い放つ。

「貴様! 汚らしい女の分際で私に触れるな! 私に触れていいのは大空博士くらいのものだ!!」
「…………」

 さすがに言葉を失ったのか、仮面から見える瞳から動揺というか戸惑う様な色が窺えた。

 しかし、彼女も一筋縄ではいかない性格らしく。徐に立ち上がると、懲りる様子もなく彼に向かって近付いて行ってゆっくりと口を開く。

「……あら、誰のおかげで魔法陣でモンスターが転移出来るようになったのかしら? 少しは感謝してくれてもいいんじゃない?」
「ふん! 本来、私のラボにイヴ意外の女を入れるなんて考えられんのだがね……」

 不機嫌さを滲み出させたような声音で告げた後、覆面の男が再びモニターの方を見据えた。
 どうやら彼は女性が嫌いらしい。まあ、本来なら胸を首筋に押し付けられればゲームだと分かっていても、男であれば誰でも鼻の下が伸びずにはいられないだろうが、彼は終始表情ひとつ変えずにモニターと向かい合っている。

 彼が慣れた手付きでキーボードを叩くと、モニターに表示されていたマスター達の映像が小さく端に追いやられ、今度は剣を構えてモンスターと対峙している星の姿が大きく映し出される。

「ハハッ……さあ、イヴ。どうするのかな? 後ろの人間を犠牲にして逃げるのかい? その羽虫の様なドラゴンが元の姿に戻れば逃げられるはずだが……まあ、どちらにしても君は絶対に殺さない。君の体をモンスターなんかに傷付けさせやしない。君のその小さな体も心も傷付けていいのは私だけなのだからね……」

 まるで子供が蟻の巣を突くような、好奇心と残忍さに満ちたキラキラとした瞳で星の映るモニターを見つめていた。

 すると、そこに仮面の女が首を突っ込んできた。

「ふ~ん。こんな幼気な子にまで手を出すなんて……女嫌いもここまで来ると、感心するわね~。さすがは泣く子も黙るマッドサイエンティスト様ってところかしら? でも、私はそういうところも嫌いじゃないけど……」

 色香を醸し出しながらも、先程のこともあるのか仮面の女も今度は少し距離を置く。

 その直後、彼は彼女の予想通り声を荒らげて叫ぶ。

「イヴをお前達の様な俗物共と一緒にするな! あの子には希代の天才脳科学者。大空 融の娘にして、決して公の場に出なかったが、全ての機械工学の祖とまで呼ばれた先駆者。夜空 光永を曽祖父に持つ、言わば科学会のサラブレッドだ! 偉大なるDMAを受け継いだ存在! 言わば人類の宝! 著名な祖父を持ちながら、博士を取った出来損ないのクソ女とは違う。本物のダイヤの原石なのだ! そして、その原石を磨き上げ、本物のダイヤを完成させた暁には、私の遺伝子が博士と同じ……いや、大空と夜空の血に、僕の血が入った究極の子が生まれる! 言わば神の子だ! そして後世まで、私の名と大空博士の名が永遠と語り継がれる事になるのだ!!」

 興奮した様子で力説する覆面の男が、無意識に仮面の女の両方を掴んだ。

「イヴは今のままでも、他のガキ共とは一線を画している! 私の送り込んだ試練をクリアするあの知性と判断能力は、賞賛に値する! 故に、あの子の思考力だけを残し、心を完全に屈服させねばならないのだよ!」

 我に返った覆面の男が、その勢いに恐れ慄いている仮面の女の体を、慌てて地面に投げるようにして両肩から手を放す。 
 覆面の男は女が地面に倒れ込むのにも興味を示さず。何事もなかったかのように、モニターに映る星を見つめ直した。
  

                * * * 
 

 街の外壁の門を背にして突如現れた、数え切れないほどの無数のモンスターに剣を向ける星。

 だが、その体は彼女の心境を表しているかのように小刻みに震えていた。
 っと突然。目の前にレイニールが現れ、鼻先を押し付けるほどの至近距離で叫ぶ。 

「主、何をしているのじゃ! 今はエミルもエリエ達もいないのだぞ!? 早く街の中に避難するのじゃ!!」
「……で、でも」

 両腕をブンブンと振って、オーバー過ぎるくらいに意思表示しているレイニール。

 もちろん。星も逃げたいのはやまやまだったのだが……。

 門の先で怯えきった瞳でジリジリと迫りくるモンスターの大群を前にして、恐怖と絶望感に身を凍り付かせているプレイヤー達を見ていると、どうしてもその場を動くことができなかった。

 だか、たとえ星がこの場に立ち塞がったとしても、この絶望的な戦況が変わるわけではない。しかし、このまま自分が街の中に戻ってしまえば城門を閉じられ、戻ってくるはずのエミル達を見殺しにすることになってしまう。

 星はエミル達の為にも、街にいる者達の為にもこの場から離れるわけにはいかない。この状況下で信じられるのは、今は亡き父親が残してくれたとライラの言っていたこのエクスカリバーだけだ――。

 恐怖で震える体を落ち着けるように、星はその父親の遺品であるエクスカリバーの柄を強く握りしめる。
 
 その時、街の外壁の上から覗き込んでトールの叫ぶ声が響く。

「何をしているんだ星ちゃん! 早く街の中へ入るんだ!」
「――ッ!!」

 彼の声が耳に飛び込んで来た直後、トールとの2日間の練習の光景と、今までクラスでイジメを受けて逃げてきた自分の姿が脳裏に鮮明に甦る。

 今ここで逃げ出して何もしなければ、状況は悪化するだけで何の変化もない。
 何もしないというのは逃げることだ――問題を先送りにしたって、誰も救いの手を差し伸べてくれることなんかない。でもそれが、今までの人生の中で最も正しいと思ってきたやり方……。

(……そうだ。あんなに練習したのはこの時の為、エミルさんなら絶対に逃げない。それに逃げていいのは……自分が傷付いてもいい時だけ!)

 覚悟を決めたように剣を握り締めると、凛とした表情に変わった。 
  
 星はエクスカリバーを構え、顔の側を飛んでいるレイニールの方を向く。

「――レイ。私、戦う!」
「なっ……何をバカな事を言っている!! 主、よく見るのじゃ! あれだけの敵を相手にどうやって戦うって言うのじゃ!!」

 敵の方を向き直して、少し間を開けて真面目な声音でレイニールに告げる。

 目の前には地を覆うほどのモンスターの大群。どう考えても勝ち目はない。

「――分かってるよ。言いたいことは分かってる。でも、ここで逃げちゃダメなの……怖いからって逃げて、見たくないから目を瞑って、聞きたくないから耳を塞いでたら何も変わらない。誰も幸せになれない……皆、誰かを幸せにする為に生まれて来るの。なにかの本にもそう書いてあった――だから、きっと私も。この時に人を守る為に生まれてきたんだと思うから……」

 そう言って星は一歩、また一歩と前に踏み出す。しかし、それを遮るようにレイニールが割って入った。

「……何を言っているのじゃ!」
「……私のスキルならしばらくの間。ステータスを下げられるし、もし途中でダメになっても、この中で一番時間を稼げる。この後スキルを使ったら、私は敵の中に飛び込む。そこでギリギリまでやってみるから、レイはエミルさんと合流して街の人達を――」

 そこまで言ったところで、突如レイニールが上空に舞い上がり、その体が金色に輝く。そして次の瞬間には、レイニールの体は黄金の巨竜の姿へと変わっていた。

 翼をはためかせながら地面に着地したレイニールは、真っ直ぐに敵の大軍を見据える。
 星も驚きながらレイニールを見上げると、レイニールはその大きな口から炎を吹き出し辺りのモンスターを焼き尽くす。

「レイ!」

 珍しく声を荒らげた星に対して、今度はレイニールが一括するように咆哮を上げた。

 小さな悲鳴を上げた星に向かって、レイニールが睨みつけながら喋り出す。

「主! 我輩を侮辱するのもいい加減にしろ! ここで主を置いて逃げる事などできるはずがないだろう。主は我輩を信用してなさ過ぎる! もっと我輩を頼ってくれて良いのだぞ?」
「…………うん!」

 レイニールが長い首を伸ばして自分に向ける曇りなき眼に、星もレイニールの意志を感じ取ったのか力強く頷いた。

 突然現れた巨竜に仲間を焼き払われ、一気に臨戦態勢に入ったモンスター達が各所で雄叫びを上げている。どうやら、モンスター達には危機感知能力が備わっていないらしい。自分達の数十倍の大きさのある巨竜に全力で戦って勝てるはずがない。

 いや、確かに数で圧倒できたのだろう……ただ一つ誤算があるとすれば、レイニールの主が星だったことだ――。

 星とレイニールはもう一度互いの目を見合うと、モンスターを見据えた。

「レイ、行くよ!」
「うむ。いつでもいいぞ! 主」

 持っていた剣を天に突き上げ、星がスキル名を叫んだ直後、星の掲げたエクスカリバーが神々しいまでの光を放つ。だが、周囲にばら撒く感じではなく。前方のみに光を収束させた感じが強い。

 ちょっと前にはそんな芸当できなかったのだが、この前の村正事件が星の成長を促したのだろう。それか、また別の要因があるのかもしれない……。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み