第371話 九條の想い2

文字数 3,409文字

 家を出た星と九條はしばらく歩くと、タクシーを拾って近くの駅へと向かった。
 駅に着くときっぷを買ってホームで電車を待っている星は、落ち着かない様子で周囲をちらちらと見て妙にそわそわしていた。

 まあ、それも無理もない話だ。星は今までの人生で電車なんて数えるくらいしか乗ったことがない。学校も徒歩で通える距離だし、買い物でよく行くスーパーも歩いていける距離だ。その為、わざわざ電車に乗るような必要がなかったのだ。

 そんな彼女にとって、駅のホームというのは物珍しいものでいっぱいに見えているのだろう。目に付く全ての物が興味を引く異世界のものに見えていたのかもしれない。

 昼間で人の少ないホームに電車が到着する時に流れるアナウンスが響き、遠目にホームに向かって走ってくる電車が目に入ってきた。

 それを見ていた星のワクワクは更に大きくなり、無意識の内に前に傾く体が小刻みに動いてしまっていた。
 電車の到着と共に車両のドアと連動して開く機械的な塀の扉。その直後、逸早く列車に乗ろうとした星の肩を掴んで九條が止める。不思議そうに九條の方を向いた星に彼女は小さな声で告げる。

「……電車はね。降りる人が優先なのよ?」

 彼女の言葉に無言のまま静かに頷くと、電車から降りてくる人を待って車両に乗り込んだ。

 椅子に腰掛けて電車の発車を待っている間。星は膝の上に置いていた手がそわそわと頻りに動いていた。星からしたら、まるで宇宙船にでも乗り込んだような心境だったのだろう。

 発車を告げる電子音の直後、ゆっくりと電車が動き出して星は緊張した面持ちで膝の上に置いていた手の平をギュッと握り締めている。

 電車が動き出すと星は外を向いて次々に流れていく景色をキラキラと輝く瞳で見つめていた。
 自分が動いているはずなのに、景色の方が高速で移動している様な錯覚に陥る。だが、そんな感覚も星には日常で経験できないことだ。物珍しさと好奇心から、星には珍しく周囲の目を気にすることなく椅子に膝を突いて食い入るように外の風景を見据えていた。

 星が外の風景に夢中になっている間に、電車が目的の駅に着いて九條が星の肩を叩いて忙しなく降りる。

 電車を降りると、星達の乗っていた駅とは比べ物にならない人でごった返している。九條が星の手を繋いで人混みを掻き分けながら前を歩きながら駅を出た。
 駅を出てから歩いて徒歩10分くらいの位置に大型のショッピングモールがあった。その巨大な建物を見た星が驚きのあまり声を上げた。

「うわぁ~、すごい! こんな大きなスーパー見たことないです!」
「ふふっ、それは良かった。でも、ここはスーパーじゃなくて正確にはショッピングモールよ。簡単に言うと、スーパーマーケットの上のスーパーマーケットって感じかしらね」
「……ショッピングモール」

 目の前のショッピングモールを見上げながら小声で呟く星を見て微笑むと、九條は星の耳元で小さくささやく。

「――ここでは星ちゃんの事をゆうじって呼ぶからね。そしてもう一つ、私の前を歩いて決して側から離れない事。それを守ってもらえるなら、好きな所に行っていいわ」
「はい!」

 嬉しそうに頷く星の瞳は巨大ショッピングモールの中を自由に散策できるという希望でいっぱいだった。
 中に入ると綺麗な服の陳列されたアパレルショップなどが数多くあり、それが星にはとても目新しく思えた。まあ、スーパーではアパレルなどの専門店が入っている所は殆どないと言ってもいい。

 そんな彼女にとって目の前に広がる専門店のテナントが入っているのを見ているだけで、わくわくしてきてしまう。

 九條と星はショッピングモール内の案内図を確認する。

「どこか行きたい場所はある?」

 そう尋ねた九條に星も案内図を食い入るように見つめる。

 正直。今までにこんな大きな場所で買い物をする機会がなかった星には、案内図にびっしりと書かれた店舗名を見ているだけで目が回りそうになる。

 しばらく案内図とにらめっこしていた星だったが、大きなため息を漏らして案内図に向けられていた視線を逸して周囲を大きく見渡した。

「せっかくなので、色々見て回りたい……な」

 咄嗟に「です」と言いそうになったのを呑み込んで、ぎこちなく言い換えた星が九條の顔を見上げる。
 外でいる間は親子に見られるように敬語は使わないというのを事前に言われていたのだが、どうしてもいつもの癖で敬語が出てしまいそうになる。

 だがそれは九條も分かっているらしく、優しい微笑みを浮かべると深く頷いた。

 2人は巨大ショッピングモールの中をゆっくりと見て回ってから昼食を取る為にフードコートにやってきた。

「なにか食べたいものはある?」
「――なら、あれを食べてみたいです!」

 少し考えた星が指差した先にはファーストフードのハンバーガーショップがあった。それを見た九條は頷いて星の手を取ってハンバーガーショップの前でメニューを見ながらどれにするか考え込んでいる。

 以前にもハンバーガーを口にしたことがある。しかし、それはゲームの中での話で――しかも、星はレイニールに殆ど渡して自分は余ったパンの部分しか食べていない。
 それでもその時の味はしっかりと覚えていた。その時のハンバーガーの味と現実のハンバーガーの味がどれほど違うのか興味があった。星からしてみたら、こんなチャンスは後にも先にもこの時しかないかもしれない……。

 しばらく考えた末にオーソドックスで値段の安いハンバーガーを頼もうとしたのだが、九條がそれを止める。

「本当にそれでいいの? もっと高いのでもいいのよ?」
「う、うん。せ、せっかくだから普通のを食べたい」

 最初よりはいくらか自然になった口調だが、それでもまだ最初の方では言葉の引っ掛かりが出ていた。
 
「なら、せっかくだから色々頼もうか!」

 九條はそう告げると店員さんに向かって注文を始める。彼女は慣れた様子で注文している。

 注文し終えると番号札を渡され、九條はそれを受け取ると席へと向かって歩き出す。

 壁際の席に腰を下ろした九條と向かい合うようにして星も椅子に座る。さっき店員に渡された番号札をテーブルに置いて十分程度待つと、店員がお盆を持ってやってきて、そのお盆をテーブルに置いて「ごゆっくりどうぞ」と言い残して去っていった。

 目の前には星が注文したハンバーガーの他も多くの種類のハンバーガーが置かれており、それ以外にもフライドポテトやチキンナゲット、アップルパイなんかのサイドメニューも数多く置かれていた。
 
 だが、その量はどう考えても星と九條だけで食べ切れる量ではない。それを不思議に思った星は九條に尋ねた。

「こんなにたくさん……食べきれないですよ」
「それなら心配いらないわ。残ったら持ち帰りように袋をもらうから」
「なるほど……」

 短く言葉を返した星はハンバーガーの包み紙を開けた。
 袋に包まれていたハンバーガーをまじまじと見つめると、どうやら中身は以前ゲーム世界で見たものとほぼ同じだ。しかし、見た目が同じだからと言って味まで同じかは分からない……。

 生唾を呑み込んだ星は持っていたハンバーガーに噛み付いた。直後、星は不思議そうに首を傾げる。

 味は決して不味くはない。ないのだが、何故か星が以前ゲーム内で食べたハンバーガーの方がジューシーだった気がする。
 いや、正確に言えば星はハンバーグの味の付いたパンしか食べてないのだが、それでも味の違いが分かるほどゲーム世界で食べたハンバーガーは美味しかったのだ。

 それでも今食べているハンバーガーが美味しくないというわけではない。初めて食べるハンバーガーの味を噛み締めるように、星は味わいながらゆっくりと口を動かしていた。

 その後もフライドポテトやチキンナゲット、アップルパイなどを食べた。だが、予想通りその大部分は食べ切れずに残してしまう。

「……もう食べれない」
「そう。ならこれは持ち帰りましょう」

 無言で頷く星の表情はどこか嬉しそうだ。

 星にはこうして外でお昼を食べることも新鮮で、なにより誰かと食べるご飯がいつもの何倍も美味しく、そして楽しかった。
 今思うと事件に巻き込まれる前は買ってきたお弁当か冷蔵庫の中に入っている食事を電子レンジで温めて一人で食べていた。

 静まり返った部屋の中で食べる食事はとても寂しく、温かいはずのご飯が冷たく虚しく感じたものだ――。
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