第60話 マスターの真意4

文字数 3,048文字

 幼少期に孤児院で生活していたカレンにとって、母親というものは想像の中の人で、現実では最も縁遠い存在なのだろう。

 急に静まり返った室内の雰囲気を察したカレンが、不安そうな表情を見せた。
 それもそうだろう。あからさまにそんな反応をされれば、どんなに鈍感な人間でも不審に思うに決まっている。

(まずいわ……カレンさんも何か感づいている。ここは話題を変えて……)

 エミルはそう考えパンッと手を合わせると、唐突にカレンに質問する。

「そうだわ、カレンさん! 帰ったら何かやりたい事はないの!?」
「えっ? やりたい事ですか……?」
「そう! ほら、皆もなにかない? やりたい事!」

 エミルは咄嗟に話題を切り替えるようにと、その場にいた全員に目で合図を送る。それを感じ取ったのか、その場にいた全員が慌てて考える素振りをした。

 その様子を見て、カレンはそれに合わせるように顎の下に手を置いて考え込んだ。

 数分間の沈黙の後、デイビッドが一番に口を開いた。

「俺は牛立で肉が食いたいかな。あそこの600g極上サーロインステーキが最高なんだ!」

 涎を垂らしているデイビッドをエリエが目を細め、呆れたように大きなため息をつく。

「はぁ~。600gの肉ってどんくらいよ……そんなに一気に食べたらお腹破裂するでしょ? 嘘つくなら時と場所を考えなさいよね!」

 透かさず噛み付いてきたエリエに、デイビッドが反論する。

「う、嘘じゃないぞ! ほんとにそういうメニューがあってだな。それがでかいんだが、脂が乗っててめっちゃくちゃうまいんだ!」
「そんなメニューあるわけないじゃない! だいたい600gっていったい何人分の量よ!」

 エリエが声を荒らげると、デイビッドは人差し指を立てて「もちろん。1人分だ!」と堂々と答えた。

 清々しいほどに言い切ったデイビッドに、エリエの怒りが爆発する。

「あんたバカでしょ! そんな店。すぐに潰れるに決まってるでしょ! もう戻ったらなくなってるわよそんな店! てか、力士が集う場所の間違いでしょ! そうじゃなかったら肉の加工場よ! バカ言うのもいい加減にしないと、バカがバカ言ってるのをバカが本気にするでしょこのバカ!!」

 まるでマシンガンの様な物凄い早口で、デイビッドが口を挟む余地のないほどの速度で言い放ったエリエ。

 だが、それを聞いたデイビッドも全く物怖じしない。

「――なっ! 無駄に6回もバカって言ったな! バカって言う奴がバカなんだぞこのバーカ!」
「なによ。このバカー! あんたなんて肉食いすぎて爆発すればいいのよ! バカ!!」

 エリエとデイビッドはいがみ合うと、バカを連発し合い。いつもの様に終わらない口喧嘩を始めた。

 どうしてもこの2人は喧嘩をしないと、収まらないらしい。見兼ねたエミルが呆れたようなため息を漏らすと、2人の会話に割って入る。

「まあまあ、2人とも落ち着いて……」
「エミル姉は黙ってて! 今日という今日は、このバカにしっかりバカを治すように言わないといけないの!」
「そうだ。エミルは黙っててくれ! これは牛立の人達に代わりしっかりと話を付けないといけないんだ!」

 同時に仲裁に入ろうとしたエミルの方を向いて叫ぶ。

 2人はエミルを避けるように横に移動すると、再び互いの顔を睨みながらいがみ合いを再開する。

「……あっ、そう」
(はぁ~。仲良くなったかと思ったらこの2人は……もういいわ。放っておきましょう)

 エミルはそう思いながら、大声で言い合っている2人に諦めたように大きなため息をつく。
 結局2人の口論のせいで会話が成り立たなくなり、その場に居た全員がため息をついている。

 だが、この口論に巻き込まれた人間がもう1人いた――。
 
「……うぅ~。隣の部屋がうるさくて眠れないよ~」

 ベッドの上で布団を深くかぶっていた星は諦めたように布団から頭を出して、ふと横の窓を見ると、星がキラキラと輝いていた。

「わぁ~。星が綺麗だなぁ……」

 星は空に輝いている星を見上げていると、隣の部屋から「もういい加減にしなさい!」と堪忍袋の緒が切れたエミルの怒鳴り声が聞こえ、思わず笑みがこぼれる。

 うるさくて迷惑を被っているはずなのだが、それが暗闇でも1人ではないという安心感を与えてくれる。
 現実世界の星は学校から家に帰っても一人、寝る時も勿論一人だ。そんな彼女にとって、こんな騒がしい日常はとても新鮮で楽しいものだったのかもしれない。

「ふふっ、でもゲームなのに向こうにいた時と違ってにぎやかでいいな~。帰れなくなったのはちょっと不安だけど……でもこうして、お友達と一緒にいれるのって幸せだな。……向こうに帰ったら学校でも思いきって、クラスの子に話しかけてみようかな……」

 星は小さな声でそう呟くと、枕元ですやすやと寝息を立てているレイニールの背中をそっと撫でて再び瞳を閉じた。


               * * *

 
 始まりの街から北にいった場所にある都市【水の都市 千代】この都市は街の至る所に小さな川が流れ、その無数の川の上を幾重にも赤い橋が架けられている。街全体を張り巡らされた水路がまさに水の都と言った雰囲気の都市だ。

 江戸時代の民家の様な建物が点在する街並みに無数の川と赤い橋が掛かり、月明かりに照らし出された赤い橋の側をホタルがぼんやりと黄色く発光しながら飛び交っているその景色は、まるで昔の日本を模した別の異世界にもいるのではないかと思えるくらいの錯覚を生むくらいの幻想的で完成された光景だった。

 その街の中心部に位置する城――千代城の屋根の上。赤毛に紫色の瞳の男が背中に大きな革製の鞘を担いて佇んでいた。
 月明かりに照らし出される彼の纏うその鎧は、まるで真夏の太陽の様に赤く強い光沢を放っている。その背中の鞘の中には、古そうな大剣が収まっている。

 しかし、その大剣は形状が不可解で、まず普通の剣とは大きさが段違いに大きく、大体男の背丈と同じくらいある。更に持ち手の部分にも、蝶が羽を広げたような形の鋭利な刃が付いている。

「ふわぁ~あ。退屈だな……来る日も来る日も新入りのレベル上げで雑魚モンスターを狩りに行くだけ……これじゃ~、俺のベルセルクも暇だって言ってるぜぇ~」

 男は空を見上げ、無気力な感じでそう呟いて背負っている剣を叩く。
 すると、その視界に突如として飛び込んできたのは、桜の模様が入った深紅の着物に膝丈程の赤い袴姿で小学生くらいの女の子。

 赤い瞳に長い銀髪を風になびかせながら男の隣に着地すると、その容姿からは想像もできない落ち着いた口調でその男に話し掛ける。

「なにをぼやいているんですか? それより。マスターからメッセージがきました――直接会って話がしたいと……どうします? メルディウス」

 小首を傾げている女の子を、彼の鋭い視線が捉える。

「紅蓮。登場して第一声がそれはないだろう……あとマスターじゃねぇー。元! マスターだ!」
「ですが、名前がマスターだから仕方ないです」

 男はそう怒鳴ると少女の言葉を無視して徐ろに立ち上がり、月に向かって拳を突き出した。

「――フンッ! 会いたいなら仕方ねぇー。会ってやるさ! あの野郎がどんな面して俺達の前にくるのか、この目で拝ませてもらおうじゃねぇーか!」

 男はそう呟くと、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

「はぁ……騒がしくなりそうですね」

 少女はため息混じりにそう呟くと、月を見上げながら不敵な笑みを浮かべている男の背中を見つめていた。
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