第365話 現実世界への帰還2

文字数 2,929文字

 椅子に座ったまま、俯きながら自分の膝の上に置かれた手を見下ろしている星。

 その彼女に一度は口籠もったものの、意を決した表情で白衣を着た男性が口を開く。

「――それは違う。星ちゃんは姉さんに捨てられたわけじゃない」
「……え?」

 彼の言葉に俯いていた星は顔を上げると、驚いた表情で彼の顔を見つめている。

 そんな星に彼がゆっくりとした口調で告げた。

「……本当は姉さんには言わないでくれって伝えられてたけど、こんな状況じゃ仕方ない……星ちゃんも知っておいた方がいい話だ。よく聞くんだ――これから話す事は夢でも仮想現実の話でもない。紛れもない現実だ……」
「…………」

 自分の両肩を掴んで言った彼の顔は真剣そのものだった。星も彼の心情を察したのか、静かに深く頷く。

 正直。この現実世界にくる前にも、数々の夢だと思いたい状況に直面してきた。そのことを考えれば、些細なことでは驚かない心構えは既にできている。つもりだった……。

 彼が衝撃の一言を放つまでは…………。

「姉さんが――――君のお母さんが亡くなった……」
「……………………は?」

 目を見開いたまま微動だにしない星の口から出た言葉はそれだけだった。
 星の頭の中は『亡くなった』という言葉が幾重にも重なって聞こえてきて、強烈なめまいによって頭の中がグルグルと渦を巻くように回っていた。
 
 自分が捨てられたというなら仕方がない。だが、死んだというなら話は別だ――捨てられたというなら星には悲しい出来事ではあるが、母親が生きているというだけでいい。普段から星には思っていたことがあった。それは、自分が母親の邪魔になっていると感じていたからに他ならなかった。

 邪魔な自分が消えれば、母親は幸せな人生を歩めるようになると思っていた。しかし、それが死んでしまったというのであればそれも叶わない。こんな考えが浮かんでくるのも、星が自分を押し殺して人を優先する人生を歩んできたからなのだろう。
 
 心の中で『自分が消えれば』と思っていながらそうできなかったのは、家族ということに甘えて、少しでも母親と一緒にいたいと考えていたからかもしれない……。
 
 完全に魂の抜け殻と化した星の肩を大きく揺らして男性が大きな声を上げた。

「しっかりするんだ星ちゃん! お母さんの事がショックなのは分かる。でも、それだけじゃないんだ!」
「…………」

 無言の星に男性が更に言葉を掛ける。

「君のお父さんとお姉さんが事故死した事は知っているね?」
「――ッ!?」

 星がどうしてそれをと言わんばかりに目を見開き、驚いた表情で男性の顔を見る。

 直後。彼は星の目をじっと見つめたままゆっくりと口を開く。

「……その組織が再び動き出した。今度は君が命を狙われている」
「…………」

 それを聞いた星は彼から咄嗟に目を逸らした。

 だが、その反応も無理はないだろう。星は今まで普通の小学校に通い普通の生活を送ってきた。
 そんな彼女が唐突に母親の死を告げられただけではなく、今度は自分の命も狙われていると言われても、まるで現実味がない。それどころか、こんな話を真面目な顔をして話せる目の前の男性の方がよっぽどおかしな人物に感じてしまう。

 彼女が目を逸らしたのも、そんな彼への不信感がかたちとなった結果だ――。

「――急にそんなこと言われても……」
「それもそうだね。すまなかった……話はまた今度にしよう。医療用EMSで足の筋肉の減少を食い止めていたとはいえ、数日間はこの施設でリハビリしないと日常生活には戻れないからね」
「数日は家に戻れないのか……」

 それを聞いた星が無意識にそう呟くと、男性は真剣な面持ちのまま告げた。

「この後、彼女達に施設の中を見学に連れて行ってもらうといい。リハビリにもなるしね……それと、僕と一緒に暮らす事も考えておいてほしい」

 彼はそう言った直後、無言のまま部屋を出ていった。しかし、その背中はどこか寂しそうに感じた。

 ナースの女性2人に施設内を案内された星は、重要な部分以外は全部包み隠すことなく見せてもらった。その中でも重要なのはシャワールームや食堂、トイレの場所など生活に必要な設備がある場所だ。

 そしてもう一つ教えてもらったのは、星の叔父である男性はこの施設の最高責任者であることだった。優秀な機械工学の博士で、ここアメリカの研究機関を20代の間に設立したということだ。そして、どうやら恋人などはいないと言うことも教えられた。

 もちろん。星から聞いたのではなく、ナースの女性達が教えてくれた。こういう会話は女性達の間では良く話されている話題らしいし不思議なことではないが……。

 施設の中を案内されている間にもう日が落ち始めていた。最初に目覚めた部屋に戻された星は、腕にブレスレット型の小型の子機を渡された。そのブレスレット型の端末には、まるで腕時計の様に中央にガラスの球体が埋め込まれている。
 
 西暦2036年の現在。既に携帯電話やスマートフォンなどは消え去り、この腕時計型の端末一つで全てが行えるVAC(VoiceAutoComtroller)が支流のデバイスになっていた。

 中央のガラスの球体から出た光源が青い仮想モニターを作り出し、起動は音声認識の『オペレーション』という言葉に反応して起動し『オフ』という声で停止する。他の者の声に反応しないように中央のガラス玉の様な部分を5秒間押すと個別の声紋によってユーザー登録ができる。
 
 しかも起動と停止にだけで、その他の操作は内蔵されている小型カメラが目の動きだけで操作の有無を判断してくれる優れもので。事前に登録すれば、自宅に帰ってきて『ただいま』の声を感知するだけで、費用頻度の多い家電などの自動起動まで行ってくれる。それ以外にも緊急時には強い衝撃や急激な体温の低下、心拍数の上昇なども感知して警察や消防などへの通報、現在地の送信までしてくれるのだ。

 これによって、事故や事件などを迅速に処理できるようになり。購入時に国の方から補助金も支給される為、日本の国内で爆発的に普及した。そしてそれを開発したのも、星の叔父らしい……。

 星の腕に付けられたデバイスにも、もう星の声紋が記憶されている為、何かあれば連絡を入れるようにと言われていた。
 
 だが、こうして広い部屋に一人でいると、どうしても皆で楽しく生活していたゲーム世界が恋しくなってしまう。たとえそれが、悪いことだと分かっていてもだ。
 こうして現実の世界に戻ってこれたのも、運が良かったというのが大きく。帰ってきたくても帰ってこれなかった者達も多くいる以上、向こうの世界の方が良かったなんて思っただけで罪になる。
 
 何もない部屋の中。星は叔父を名乗る男性の言った『母親が死んだ』という言葉を思い出す。しかし、口で言われたところでそれを信じろというのは無理な話だ――証拠もない上に、星と彼との間には強い信頼関係を築く上で必要な時間がない。そんな彼を信用して母親の死を受け入れるのは今の星には無理な話だ。

「……私はどうしたら……お母さん。お姉ちゃん」

 清潔感のある白いシーツと布団のベッドの上で膝を抱え、星は自分がこれからどうするべきなのか考えていた。
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