第35話 理想と現実5

文字数 5,836文字

 戦闘の途中で脱力する――それは星の体力の限界を超えていることを意味していた。
 もうどんなに星が足に力を込めようが、崩れる体は元に戻らない。

 徐々に視界が横になっていく。

(――そんな……ここでおしまいなの……?)

 星そんなことを思った時、辺りがまるでスローモーションのようにゆっくりと時間が流れるような錯覚に陥った。

 その不思議な感覚に戸惑いながらも辺りを見渡すと、その中に驚いた様子のカレンの顔を見つけぼーっと見つめる。

(エリエさん。エミルさん。大切な人を馬鹿にされて何もできないなんて……私、やっぱりダメな子みたいです……ごめんなさい……)

 星は瞳を閉じて、心の中で2人に謝った。

『……諦めるのか?』

 諦めた直後、心の奥深くで誰かがささやく……。

 星は突然のことに驚いて辺りを見渡す。

「――えっ? 誰!?」
『お前は以前。我輩を守ってくれた』
「――私が……あなたを助けた?」

 その心の中の声を聞いて余計に、星の頭の中は混乱した。
 今のスローモーションのようにゆっくりと前に倒れていく状況で、困惑している状況なのに『守ってもらった』というその言葉の意味に思い当たる節がない。

 ゲームの世界に来てからも人を助けたことなんてなく、いつでも助けられてばかりだ。

 確かに学校の返り道に迷っている老人を助けたことや、迷子になった小さな子を助けたことはあった。しかし、今聞こえているこの声はそのどちらとも違う……明らかに聞き慣れない声だ――。

 星はこの声は全く身に覚えがない。

 その声は星の疑問に答えることなく、勝手に話を続けている。

『お前はあの者に勝ちたいのか?』
「……ッ!?」

 星はその言葉に強く反応する。

 勝てるものなら勝ちたい。勝って、今までのことを全て清算し、カレンとも仲良くなりたい。

 その声が聞こえた咄嗟に、星は無意識に心の中で強く「勝ちたい!」と叫んだ。直後『良いだろう』とだけ言い残し、その声は聞こえなくなった。すると、次の瞬間。星の体がまるで焼けるように熱くなる。

「うっ……きゃああああああああああああッ!!」

 星は突然のことに驚き、行き場のない感覚に悲鳴を上げる。

 発熱した体からは金色の光が溢れ出し、まるで爆発したかの様に辺りを一瞬のうちに包み込んだ。

「――なっ、何だ。何が起こったんだ!?」

 カレンはその光りを遮るように腕で顔を覆う。
 薄暗い部屋の中は、まるで真夏の中にいるように明るく照らし出され、一瞬にして視界を塞ぐ。


              * * *


 星の体から放たれた光りは下の階にも届き、その眩い光りでエリエが目を覚ました。

「んっ……な、何……? あれ? 星が居ない!?」

 目を覚ましたエリエは横に寝ていたはずの星が居ないことに気が付き、慌てて布団から飛び起きた。

 混乱する頭の中、エリエは近くで寝ていたエミルの体を揺らす。

「星が……星が居ない!? エミル姉、起きて! 大変なの。星が居ないの!!」
「うぅ……んっ……なに? エリー。どうしたのよ?」
「だから、星が居ないのよ!!」
「……え? なんだ……居るじゃない……」

 眠い目を擦りながらエミルは近くにあったクマのぬいぐるみを抱き締めると、何事もなかったかのようにまた眠りに就く。

 エリエは「それ違う!」と叫ぶと、彼女はある重要なことを思い出した。

(そ、そういえば……エミル姉。寝起き凄い悪いんだった……)

 エミルと寝ていると、朝はいつもこんな感じで一向に起きないのだ。

 こうなってしまった彼女は当分の間は使い物にならないと、エリエは長年の付き合いで分かっていた。

「もう! 大事な時に役に立たないんだからッ!!」

 寝ぼけているエミルにそう吐き捨てるように言い放つと、コマンドから装備画面を開きパジャマから戦闘用の装備に着替える。

 テントから飛び出し、階段から降り注ぐ光りに目をやる。

「スイフト!!」

 エリエはスピードを上げるスキルを使用すると、決意に満ちた表情のまま飛び出して、まだ微かに光が漏れている階段を迷うことなく駆け上がっていく。

(――急がないと星が危ない! もっと速く。もっと……もっと! 神速!)

 そう心の中で固有スキルを唱えると、彼女の体は青く輝き、疾風の如く速度を上げ階段を走り抜ける。

「……星、待っててね。すぐに助けに行くから!」


             * * *

 
 その頃、上の階に居た星とカレンの戦いは決着していた。

「……うっ!」

 カレンが突如襲ってきた鈍い痛みに気付いて、自分の腹部に目をやると、星の鞘を被った剣先がカレンの腹部に当たり止まっていた。

 しかし、カレンのHPは上限の1000から、20程度しか減っていない。だが、剣に鞘が被った状態でなければ、大ダメージは避けられなかっただろう。
 
「はぁ……はぁ……やっ……た……」

 満足そうに星は微かに笑みを浮かべ、その場に倒れ込んだ。それと同時に、星の体から出ていた光りも完全に消えていた。

 カレンは信じられないという表情で、何が起きたのかも分からずにただただその場に立ち尽くしている。

(今のは何だ!? まさか、前回のアップデートで魔法が追加されていたのか……? いや、そんな報告は見た事も聞いた事もない。ならあの力はいったい……)

 転びそうになった星の体から、急に光りが溢れ出したと思ったらこれだ。誰でも混乱するだろう。

 カレンはさっきの光の正体にしばらく考えを巡らせていたが、そのうちそんなことを考えてるのが馬鹿らしくなり。

「何にしても。この戦いは俺の負けだな……」
 
 口元に笑みを浮かべ、そうぼそっと呟くと足元に倒れている星を見た。

 HPは同じ上限の1000。星の残りHPは130。それに引き換えカレンのHPは980。数値の上では間違いなくカレンの勝ちだが、星の諦めない姿勢に負けたということだろう。

「――星! 助けに来た……」

 階段を上りきったエリエの目に飛び込んできたのは、倒れている星の前に悠然と立っているカレンの姿だった。

 その姿を見たエリエは信じられないと言った表情の直後、すぐに立っているカレンを殺意の込もった瞳で見据えている。
 
「いや、これは――」
「――今すぐ…………星から離れろおおおおおおッ!!」

 カレンが言葉を発する前に、エリエが腰のレイピアを引き抜き目にも止まらぬ速さで斬り掛かった。
 その攻撃を寸でのところでかわすと、カレンは拳を構え直してエリエを睨みつけた。しかし、その戦意はすぐに喪失する――。

 何故なら、カレンの眼前に飛び込んできたのは、倒れた星を抱き起こしボロボロと涙を流しているエリエの姿だった。
 
「ちょっと……星、大丈夫? ねぇ……返事してよ……こんなに、ボロボロになって……さっきまで、あんなに元気だったのに……」

 エリエは気を失っている星を瞳を涙で潤ませながら見つめると、次に怒りに満ちた眼差しをカレンに向けた。

 そして殺気に満ちた声音でカレンに尋ねる。 

「……これは、どういう事なの?」
「じ、実は……これには訳があって、彼女と戦う事になったんだ。それで……」
「訳があって戦う事になった? こんなになるまで人を痛めつけるって、いったいどんな訳があったてのよ!!」

 感情的だが、的確にしてきたエリエの言葉に、カレンは俯き口をつぐんだままその場に立ち尽くすしかなかった。

 だが、それもやっぱり。心に罪の意識があったからかもしれない。

「――ああ、もういい。そんな事どうでもいい……どうしてこんなになるまで戦ったっていう結果は変わらない!!」

 黙り込むカレンに痺れを切らしたエリエが声を荒らげた。

 エリエは星の残りのHP残量を確認して。

「――早くPVPを解除しなさいよ!」

 エリエは強い口調でそう言うと、カレンは慌ててコマンドからPVPの中止のボタンを押す。それと同時に、お互いのHPは全回復する。すると、心なしか星の顔色も良くなった気がした。HPが回復したことで、肉体に受けた痛みも少し改善したのだろう。

 エリエはそれを見てほっとすると、再びカレンを睨みつけると。

「私の質問に全て答えなさい……返答によっては私が相手になる」

 っと怒りに満ちた声で床に置いたレイピアを掴んだ。しかし、カレンは無言で俯いたまま口を開こうとしない。

 だが、カレンの対応は必ずしも間違ってるとは言えない。
 当事者以外がこの現状を見れば、誰が加害者で誰が被害者なのかは言うまでもないし、また、変に言い訳しても相手の感情を逆撫でするだけだからだ。

 例えカレンがここで説明したとしても、冷静でないエリエを前にしてでは、状況が悪化するだけで何の解決にもならないだろう。

 両者無言のまま、2人の間に緊張が走る。
 だんまりを決め込むカレンに、しばらくしてエリエがカレンを睨みつけながら徐ろに口を開いた。

「……なんとか言いなさいよ。あんた、自分が何をやったか分かってるの!? 小さな子を一方的にいたぶって、さぞ楽しかったでしょうね! この子があまり自己主張しないからって、その弱みに付け込んで……あんた。最低よ!!」
「そうだ。俺は最低な――」

 その時、カレンの言葉を遮るように星の声が響く。

「――それは……違いますよ?」

 カレンが話し終わる前に星の声が聞こえてきた。エリエはその声を聞いて、驚きを隠せない表情で星の顔を見た。

 星は痛みで顔を歪めながらも、笑顔を見せる。
 
「――星!? 良かった。心配したんだから‥…」
「はぁ……はぁ……ごめんなさい。ちょっと……カレンさんの……話を……聞いて、もらえませんか……?」

 エリエは「どうしたの?」と神妙な面持ちで星に尋ねた。

 星の申し出に、エリエも一瞬嫌な顔をしつつも仕方なく頷く。

「……カレンさん」
「えっ? ああ……」

 星に促され、カレンは徐ろにエリエの前まで来て止まった。

 それをエリエは警戒した様子で目を細めながら見上げている。

「君の居ない所で君の陰口を言ってしまって本当に……ご、ごめんなさい……」
「……えっ?」

 少し間を空けてカレンはエリエに向かって深く頭を下げる。その突然の行動に意表を突かれたのか、エリエは呆気に取られている。

 だが、それは当たり前の反応だろう。この緊迫した状況でそんなことを言われてぽかんとならない者などいない。
 
「――私の陰口って、あんた。何言ってるのよ? ……って、まさか!?」

 エリエは何かに気が付き慌てて星の顔を見ると、星はにっこりと微笑んでいた。

 それを見て、エリエは半信半疑の状態で星に問いかける。

「……星。こいつと戦ってた理由って……もしかして、私の陰口を言われたから……?」
「はぁ……はぁ……はい」

 星はそう頷くと苦しそうに肩で息をしながらにこっと微笑んだ。

「ばかだな……そんな事……言いたい奴には……言わせておけばいいのよ……」

 涙で滲んだ瞳で星を見つめながら、そのエリエの肩は震えていた。

 まだ会って数日しか経っていないのに、ここまで星が慕ってくれているのがエリエには嬉しかった。
 
「……だって。嫌な、気持ちになるから……」
「私は……星が傷つく方が、よっぽど嫌だよ……本当に星は、バカが付くくらい真面目なんだから……でも、ありがとね!」

 エリエはそんな星の頭を優しく撫でながら耳元で小さな声で告げると、星は満足そうに「はい」と嬉しそうに頷いた。

「話しているところ悪いけど。俺はこの子にも謝らないといけない……」
「――そうね。あんたはまず、私より星に謝らないといけないよね」

 カレンは不思議そうにしている星の手を取った。

 その手を見つめ、星は困惑した表情を見せる。

「……え?」
「痛かっただろ? 本当に申し訳なかった。でも君は凄かったよ。もし俺が君の立場ならすぐに諦めていたと思う。それで良かったら、なんだが……君の事を名前で呼んでも良いだろうか?」

 カレンは少し照れた様子でそう言って、星の顔を見つめた。

 星はその申し出を素直に受けると、カレンの手をぎっと強く握り返した。

「よし。なら、もう遅いし。テントに戻って休もっか! ほら、おんぶしてあげる!」
「……いえ、私は……自分で歩けますから……」
「もう。けが人が無理しないの! まだ体に力はいらないでしょ? 大人しくお姉ちゃんの言う事を聞きなさい」
「うぅ……ありがとうございます」

 エリエにそう言われ、星は恥ずかしそうに顔を赤らめると、エリエの背中におぶさった。

 星を背負うと階段に向かって歩き出そうとしたエリエに、横からカレンが声を掛ける。

「俺が星ちゃんを背負っていくよ。もとはと言えば俺が悪いんだし……」
「いいわよ別に……だって私は星を迎えにきたんだし。それに私はまだあなたを信用した訳じゃないんだから!」

 エリエはそう言い残し、星を背負ったまま階段に向かって歩き出すと、カレンもその後を追いかけるように歩き始めた。

 長い階段をエリエがゆっくりと下っていると、星は背中で心地よさそうに小さな寝息を立て始める。それを見たカレンは思わず、くすっと笑みをこぼした。
 そんなカレンの様子を見たエリエは不機嫌そうに「なに、笑ってるのよ?」と問い掛けると、カレンはその質問に答えるように口を開く。

「いや、疲れたら寝るところは普通の子供だと思ってさ。さっきまでは大人と変わらないと思ってたから、そのギャップがおかしくて」
「なに当たり前な事言ってるのよ。その子供をボロボロになるまで痛めつけたのは、どこの誰よ……」

 エリエにそう言われ「いや、それを言われると……」と苦笑いしながら頭を掻くカレン。

 それを見てエリエは「はぁ~」と呆れた様子で大きなため息をついた。

 カレンはそれを気にすることもなく言葉を続けた。

「それにしても大した子だよ。俺がこの子の立場なら間違いなく痛みに負けて、途中で諦めていたと思う」
「それも当たり前でしょ?」

 エリエはそういうとカレンは不思議そうな顔でエリエの次の言葉を待った。

「……だって、私の自慢の妹なんだから!」

 自慢げにそう言い放ったエリエの顔を驚いた顔で見ると、カレンは静かに口を開いた。

「そうだな……『俺の』妹だからな!」
「なっ、なんですって~!? 星は私の妹なの!!」
「いや。俺の妹だ!!」

 2人がいがみ合っていると「けんかはダメです……」と星の寝言が聞こえてきた。

 エリエとカレンの2人は驚いた表情で、お互いの顔を見合わせると笑みを浮かべた。  
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