第106話 紅蓮の宝物2

文字数 6,318文字

 雲の上に座りながら懐の短刀を見ながら、紅蓮は昔のことを思い出していた。

 そう。それはまだ紅蓮とマスターが同じギルドにいた時の話だ――。


          * * * 


 フリーダム内で実装された、強力なトレジャーアイテムを入手できるイベントが、一定期間だけ開催された。
 そこで『冥府の神炎』というダンジョンで最深部のボス――神炎のミノタウロスブラザーズが落とす『鬼神の柄』と『鬼神の刃』が揃って始めて完成する『閻魔の脇差』というアイテムなのだ。

 紅蓮、メルディウス、マスターは千代の付近の『地獄谷』と呼ばれている場所を訪れていた。

「よっしゃー! 燃えてきたぜ! トレジャーアイテムをゲットしたら俺が貰うからな!」
「もう、メルディウスはせっかちですね。そんなに焦らなくてもアイテムは逃げませんよ?」

 まるで子供のようにはしゃいでいるメルディウスを見て、くすっと微笑みを浮かべながら楽しそうに紅蓮が言った。今の紅蓮からは想像もできないとても楽しそうな彼女の様子は、まるで別人ではないのかと驚くほどだ――。

 しばらく平原を徒歩で進んで行くと、目の前に大きな洞穴が見えてきた。その場所はすでに多くのプレイヤー達でごった返している。

 それを見たメルディウスが興奮を抑えきれない様子で大声で叫ぶ。その声に周りのプレイヤー達が驚き、次の瞬間にはくすくすと笑う声が聞こえてきて、紅蓮が恥ずかしそうに頬を赤らめる。

「――楽しみなのは分かりますけど、もう少し声を抑えて……」

 3人だけに聞こえる様な小さな声でメルディウスをたしなめると、続けてマスターも口を開く。

「うむ。紅蓮の言う通りだ。メルディウスよ。お前はもう少し落ち着きというものをだな」
「しかたねぇーだろ? 期間限定イベントは期間決まってるんだからよぉ……」

 怒られ、ふてくされながら口を尖らせ、不機嫌そうに眉をひそめるメルディウス。

 紅蓮はそんな彼に……。

「そんなの期間限定なんですから当たり前ですよ」

 っと、言って笑みを浮かべた。

 顔を真っ赤に染めながらメルディウスがそっぽを向く。

 そんな2人を横目で見て、微笑みを浮かべていたマスターが続々と自分達の横を通りすぎて行く他のパーティーの人間を横目に徐ろに口を開いた。

「――ほう。やはり人気のようだな。2人共、急がねばボス部屋の前で待たされることになるぞ?」
「は、はい! すみませんマスター」
「全く。うるせぇギルマスだぜ!」

 そうこうしながらも、3人はこのダンジョン特有の小鬼やガーゴイルなどのモンスターを撃破しつつ地獄谷を進んでいくと、岩盤の前に2体の鬼の象が棍棒を地面に突き立てる姿で洞窟の両側に立っている広い場所に出た。

 おそらく。ここがダンジョンのボス部屋の入り口なのだろう――そこには、もうすでに多くのプレイヤー達が屯っている。
 列は二列になっていて、部屋の端の方に溜まっている者達は、まだ来ていないパーティーやギルドのメンバーを待っている者達だろう。

 ダンジョンクリアする前ならば、パーティーのリーダーさえそのダンジョン内に居れば、そのリーダーによって召喚してもらうことが可能だからだ。

 皆、笑みを浮かべながら仲間達と楽しそうに会話をしている。
 
「へぇー。意外とそれっぽく造ってやがるな! そう思うだろ? ギルマス!」
「うむ。洞窟の前の像はなかなかの造形だな。だが、入り口に手を掛け過ぎて、入ってからがっかりせんと良いがな」

 マスターは険しい顔でそう吐き捨てる。

 彼にとってはダンジョンの外見より、出てくるボスの方に関心が強いのだろう。

「大丈夫ですよ。きっと今回は楽しめると思います!」
「なんだ? 紅蓮はいつにも増してやる気だなぁ~。まっ、強ぇーのがきても俺がお前を守ってやるよ!」

 メルディウスはニヤッと得意げな笑みを浮かべると、紅蓮の頭を手でぐしゃぐしゃと撫で回す。
 不機嫌そうに紅蓮が「またあなたは、私を子供扱いして……」と膨れっ面をして唇を尖らせている。

 ここまで全く危なげなく敵を撃破して進んで来た彼等だったが、最大の敵はモンスターではなく、ボス部屋に入れるまでの待ち時間かもしれない。

 ボス部屋の前にはマスターが思っていた通り、もう10組ほどが大きな扉の前で待機している。

 本来ならば、フルパーティーの6人を更に連結させる複合パーティーで挑みたいところだが、今回のイベントは一つのパーティーのみでの挑戦と、制限が付いている為、最大戦力でのフルパーティーで挑まなければいけないのだ。

 さすがに高難易度ダンジョンだけあって、制限いっぱいのフルパーティーの6人で誰もが臨んでいる。3人で――などという無謀な者達はマスター達くらいしか居ないが……。

「ちっ! なんだよ。部屋待ちかよ! こんな事なら、もっとゆっくり敵を倒せば良かったぜ!」

 そう吐き捨てたメルディウスは、つまらなそうに持っていた赤い柄の大剣を背中の鞘に収めた。

 その直後、横から紅蓮の声が聞こえた。

「仕方ないですよ。順番ですし……来る前にサンドイッチを作ってきたので、それを食べながら待ちましょう!」

 紅蓮はサンドイッチの入ったバスケットを取り出して地面に置くと、その後に出したレジャーシートを広げ、その中心にちょこんと座った。

「ちょうど腹が減ってきたところだ! ほら早く来いよギルマス。来ねぇーなら俺があんたの分も食っちまうぞ?」

 メルディウスは満面の笑みで紅蓮の横に腰を降ろすと、マスターに手招きする。

「全く仕方ないやつだ……」 
  
 マスターは呆れ顔でため息をつくと、メルディウスのその言葉に従った。

 それからしばらくゆっくり食事をしながら順番を待っていると、マスターが何かに気がついたのか険しい表情で呟く。

「おかしい……」
「あっ? デザートはねぇーと思うぞ?」
「お菓子ではない! お前も食っとらんで周りを良く見んか!」
「……はっ?」

 マスターにそう言われ、紅蓮特製サンドイッチを食べるのを一時中断し、メルディウス辺りを注意深く見渡した。
 しかし、そこにはさっきまでと同じように、ボス部屋の前の長い列が少し伸びた程度で、別にこれと言って変化があるようには見えない。
 
 メルディウスは首を傾げながらマスターに言い返す。

「別に変わってねぇーぞ? 俺達の後ろの連中が増えた以外にはよ」
「……はっ! そういうことですかマスター」
「うむ。紅蓮は気が付いたみたいだな……」

 紅蓮とマスターはお互いの顔を見つめ合うと深く頷く。それを見てメルディウスは眉間にしわを寄せ首を傾げている。

 その直後、呆れながらも紅蓮がまだ首を傾げているメルディウスに説明する。

「まだ分かりませんか? メルディウス。いいですか? 先程前に並んでいた方が、次々と私達の後ろに並んでいますよね?」
「んっ? そう言われてみればそうかもな。でっ、それがなんだってんだ?」
「もう! ……マスター」

 紅蓮はメルディウスの返答に呆れ顔のまま、助けを求めるようにマスターに目を向ける。

 そんなメルディウスの様子を見て、マスターも呆れ顔で額を押さえて「まったく」とため息をつくと。

「良いか? ボス部屋に入って行った者達の出入りが激しくなっている。しかも、戻ってきた者達の顔に覇気を全く感じない。これはおそらく――」
「――おそらく……なんだよ?」
「ボスは予想していた以上に強いということですね。マスター」

 聞き返すように言ったメルディウスの言葉に、マスターが答えるより先に紅蓮が険しい表情で尋ねた。そんな彼女にマスターは無言のまま頷く。

 負けて自分達の後ろに並び直しているプレイヤー達が弱いわけではない。皆、最前線で戦えるだけの装備を揃えている手練れ揃いなのは、身に付けている装備品を見れば分かる。

 それでも勝てないほど、扉の向こうにいるボスが強いということだ。その直後、ボス部屋のドアが音を立てて開く。

 ドアが開いたということは、中で戦っていたプレイヤーとの勝負が終わったということでもある。

 周回が基本のダンジョンでは街に戻るのではなく。列の最後に戻れるようにと、ボス部屋前にワープゾーンがあり。それはダンジョンをクリアするまで有効で、もしもボスに撃破されても、街からすぐにボス部屋まで戻ってこれる。これはプレイヤー救済処置的な機能なのだ。

 すると、固く閉ざされていた扉が開く。
 勝ったのであれば、目の前の扉から勝利したプレイヤー達が出てくるはずなのだが、それがないということはボスに負けたのだろう。

 勝利したのならば、報酬を受け取り。街に帰るのにボス部屋前のワープゾーンを利用するはずなのだから……。

 険しい表情で、紅蓮とマスターが現実を噛み締める様に、新しい獲物を呑み込もうと開いた扉を見つめていた。その時、突然大声で笑い出してメルディウスが叫んだ。

「はっはっはっ! 相変わらず心配症なギルドマスター様だぜ! よは、あの部屋の中には物凄く強ぇー敵が待ってるって事だろ?」

 メルディウスはバスケットの中のサンドイッチを2つ、3つと口の中に詰め込むと、徐ろに立ち上がり。ボス部屋の前まで行って待っている列のプレイヤー達に向かって名乗りを上げる。

「いいかお前等!! 俺はテスターをやってたメルディウスってもんだ!! ここでこの俺に勝てるって奴は前に出ろ!!」

 もはやただの路上のヤンキーの宣戦布告でしかない発言なのだが、その場に誰も文句を言う者はいない。

 それどころか、メルディウスの『テスター』という言葉に、その場に居た誰もがどよめいた。

「テスター? 本物か?」「嘘だろ? ベータ版のテスターって日本に4人しか居ないんだろ?」「俺見たことあるぞ、あれは確か歩く核弾頭のメルディウスとかいう……」

 など、様々な声がそこかしらで上がっている。

 それもそうだろう。テスターに選ばれた者は皆、特典としてオリジナルの固有スキルを持っているというのは、誰もが知っている話だ――すなわち、テスターとはチート能力者であるというのが、フリーダム内での共通認識になっていたのである。

 文句どころか、疑わしいからと言って、そんな別次元の能力者に文句を言って戦いを挑む者など、この世界にはいない。

 ざわつくばかりで、一向に挑んでくる者がいないことに痺れを切らしたメルディウスが口を開く。

「どうした? 俺に戦いを挑む者はいねぇーのか!? なら下がれ! 俺のビッグバンの餌食になりたくなければ俺達に道を開けろ! この俺がいっちょ、お前達に手本を見せてやらぁー!!」

 その声を聞いて前に並んでいた者達が道の端に寄ってスッと道を開けた。

 マスターは頭を抱えながら「馬鹿者が……」とため息を漏らした。紅蓮もあまりの恥ずかしさに下を向いたまま、真っ赤に染まった顔を上げることができないでいる。

 そんな2人を尻目に、メルディウスは豪快に笑いながら2人を呼んだ。
 ここまでのお膳立てをされては、マスターと紅蓮も拒むことなどできるはずもなく、それに従うようにゆっくりと扉の前に出て行く。

 その瞬間、誰かが声を大にして叫んだ。

「拳帝だ!! 拳帝が四天王と一緒にいるぞ!!」

 誰とも知れないその声が、一瞬で周りの者達を巻き込んで、辺りに大歓声が上がる。

「このばかたれが……こうなるのが予想できなかったのか」

 マスターはメルディウスの肩に腕を回して、強引に引き寄せると、彼の耳元で小さな声で言った。  

「なに言ってんだよ。有名だっていうのはいい事じゃねぇーか!」

 メルディウスは大々的騒ぎ立てたことを悪びれる様子も見せず、マスターの肩に強引に腕を回し自分の方へと引き寄せて、そのまま扉の中へと入っていった。

 紅蓮は小さい体をすぼめ、更に小さくしながらその後ろをゆっくりと付いていく。
 扉に入るとそこには、巨大な斧を持った赤と青の2体のミノタウロスが仁王立ちしていた。

 2体の黄金の瞳がギロッと、ボス部屋の入り口に佇んでいる3人を睨んでいる。その風貌はさながら、門を守る金剛力士像の様だった。

 しかし、2体のミノタウロスは一向に仕掛けてくる素振りも見せない。
 おそらく。AIによって一定の場所まで接近しなければ、攻撃してこない設定になっているのだろう。

 だが、それは言うなれば、ボス部屋に入ってからボスを見て戦うか戦わないかを判断できるということ――部屋の扉は未だに開きっぱなしなのだ。しかし、マスター達には撤退は許されない。

 それはメルディウスの軽率な行動が原因であることは、もはや言うまでもないだろう。
 あれほどの啖呵を切った手前。今更、それをなかったことにはできない。

 いや、なかったことにすれば、おそらくこのゲーム史上に残る汚点として語り継がれることは必至だ――。

「どうします? マスター。バカのせいで大変なことになりましたけど……」
「うむ。バカが余計な事をしてしまったからな……だが、これだけの目がある中で退くわけにもいくまい」
「ですが、あのバカは部屋に入ってから一言も発していません」
「そうだな。バカだが、後先考えずにしてしまった事を悔いておるのやも知れん」

 2人がひそひそと、しかしメルディウスの耳には聞こえるくらいの声で相談していると、メルディウスが我慢できずに叫んだ。

「あー。バカバカ言うんじゃねぇー!! 分かったよ!! 俺だけで相手すりゃいいんだろ!?」
「ふん。バカを通り越してアホと言ったところか……相手は2体。1人で相手できるわけもあるまい。それに、後ろにこれだけの者が居っては、お前の固有スキルは使えんだろう? まあ、使ったところでダンジョンでは全滅扱いになるがな……」

 マスターはそう吐き捨てるように言うと、メルディウスの前に出て拳を構えると叫んだ。

「紅蓮! 後方でサポートを頼む! 行くぞバカたれ! お前は赤いのをやれ!!」
「くっそー。馬鹿馬鹿言いやがってー! 実力の違いを教えてやるぜ! くそじじい!!」

 先に飛び掛かったマスターの後を追うように背中の大剣を鞘から抜くと、遅れてメルディウスも斬り掛かる。

 青いミノタウロス目掛けて飛び掛かったマスターの突き出した拳を、ミノタウロスは咄嗟に持っていた斧で受け止める。しかし、その凄まじい勢いを殺しきれず、青いミノタウロスは数歩後ろに後退る。

 次の瞬間。マスターの側を鎖鎌が横切っていく、それを横目で確認したマスターは不敵な笑みを浮かべる。
 真っ直ぐに飛んでいく鎖鎌が下がろうとしていた青いミノタウロスの足に絡まり、その巨体が音を立てて崩れ落ちるようにその場に膝を着いた。

「うむ。相変わらず的確な支援だな……奴の目を潰す!!」

 マスターは斧の足場に、そのまま青いミノタウロスの顔の前に出ると、素早くその黄金の瞳目掛けて拳を振り抜いた。

 ――ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!

 けたたましい鳴き声に空気は振動し、まるで地震のように地面を激しく揺らす。
 左目にヒットしたマスターの拳に、堪らず青いミノタウロスは目を押さえ、うめき声を上げている。

 マスターはそんな敵に情けをかけることなく地面を思い切り蹴り上がると、その顎に拳を振り抜く。
 その直後、青いミノタウロスの巨体がゆっくりと傾き、今度は完全に地面に背中を着けて倒れる。

 この時を待っていたと言わんばかりに、マスターの連続パンチがノーガードになった腹部に突き刺さる。

「あたたたたたたたたたたたーッ!!」

 マスターの雄叫びとともに猛烈に突き刺さる拳が、確実に敵のHPをそぎ落としていく。
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