第72話 激昂した刃

文字数 4,719文字

 この話は、星達がドリームフォレストに発とうとしていたその時まで時間は遡る――。

 マスターは白馬に跨がり、街の周りを囲むようにしてある水堀の上に架かる橋の前に掲げられた、木で作られている看板を見て感慨深げに佇んでいた。

「水の都市、千代――ここは昔から変わらんな」

 マスターは看板の文字を見て笑みを浮かべていたのだが、その表情が急に険しくなる。
 直ぐ様。乗っている馬の手綱を引き、急いでその場を離れた直後。大きな爆発音とともに、マスターの居た場所が砂埃に包まれている。

 その中から突如として声が聞こえてきた。

「……やっぱ。このくらいの攻撃はかわされるか」

 巻き上げられた砂埃が治まり、その中から赤い鎧を纏った男が現れた。肩、胸、脚の部分が分厚い鉄板で覆われていて、関節部分だけが黒い布地がむき出しになった作りになっている。

 その重々しい見た目はから、彼の纏う鎧は間違いなく重鎧なのだと分かる。
 突然辺りを吹き飛ばし派手に現れたその男は、マスターに向かって柄の両端に大きな刃を持つ大剣を向けると声を荒らげて叫ぶ。

「おい、クソジジイ! 俺の前にまた現れたということは、覚悟はできてんだろうな! 俺と勝負しやがれッ!!」

 憤る男がそう言い放った直後、上空からも何者かの声が聞こえてきた。

「ダメですよメルディウス――あなた達がこんな所で暴れたら街が壊れて、皆様の迷惑になります」
「――むっ? その声は紅蓮か!?」

 マスターはその声の方に目を向けると、そこには他よりも明らかに低く飛ぶ不自然な雲が浮かんでいた。 
 その雲の端から「お久しぶりです。マスター」と長い銀色の髪の女の子がひょっこりと顔を出すと、ペコリと頭を下げた。

 その名に違わぬ赤い瞳がしっかりとマスターを見据えていると、メルディウスがその雲の上の少女を指差して更に声を荒らげた。

「おい紅蓮! こいつはもうマスターじゃねぇー! 元マスターだ。何度言えば分かるんだッ!!」

 大声を出した彼の声を遮る様に耳を押さえた紅蓮は眉間にしわを寄せた。っと突然、少女が乗っている雲から飛び降りた。

 彼女は着ていた桜の刺繍が施された白い着物をなびかせながら、ひらひらと舞い降りてきた。
 雲から降りてくるその小さな体はまるで雪を連想させる。それはさながら、雪の精霊と言ったところだろう――。

 紅蓮は地面に着地したと同時に、メルディウスの前に詰め寄ると彼を見上げた。

 その表情は無表情だが、どことなく不機嫌そうに見える。

「この方はマスターという名前なのです! 他に呼びようがないでしょう。貴方も何度言えば分かるんですか?」
「だっ、だってよぉ……」

 紅蓮は微かに眉間のところにしわを寄せたまま、腰に手を当て少し強い口調でそう言った。その声にたじろぐメルディウスは情けない声を上げ口をつぐむ。

「はぁ~。貴方は仕方ないですね……」

 紅蓮は大きなため息をつくと、くるっと体を回させマスターの方へと向かってきた。

「マスター……」

 紅蓮は透き通るような赤い瞳で、マスターの顔を見上げる。

 マスターは微笑むと、彼女に「お前はいつ見ても美しいな」と告げた。するとその直後、無表情だった紅蓮の頬が一瞬で真っ赤に染まる。

「……う、美しいだなんて、そんな事を言ってくれるのはマスターだけです。マスターもお元気そうで……」

 頬に熱を帯びながら、キラキラと輝く紅蓮の赤い瞳が、マスターを見つめているとメルディウスが口を開く。

「まあそうだよな! お前はチビだから、綺麗より。まっ、可愛いだろうな!」

 メルディウスが『可愛い』と口にした次の瞬間。彼の体は地面に伏していた。

 一瞬のことで何が起きたのか分からなかったが、顔を地面に強打したのか、メルディウスは鼻を押さえながら徐ろに立ち上がり声を荒らげる。

「てめぇー。何すんだよ!! ほんとの事だろうが!!」

 一瞬で移動し、何事もなかったかのように元の場所に立っている紅蓮に向かってそう叫んだが、そんな彼に紅蓮は冷たい声音で言い放つ。   

「いえ、私は何もしてません。あなたが勝手に転んだだけでしょう? でも……次にかわいいって言ったら……殺しますよ?」

 その殺意を帯びた声を聞いて、メルディウスは口を閉ざした。
 いや、口を閉ざすしかなかった。彼女の小さな体から湧き上がる殺気は、そうさせるには十分過ぎるものだ。

 マスターは呆れた様子でそのやり取りを見ていた。

(メルディウスは相変わらず女心が分かっておらんな。……全く、こやつは変わらないな。紅蓮はかわいいという言葉に過敏に反応するのが、これだけ付き合っておってまだ分かっておらんのか?) 

 マスターが呆れ顔でそんなことを思っていると、紅蓮がマスターの方を向き直し、今までとは異なる神妙な態度で尋ねてきた。

「それでマスター。今日はどのような要件で?」

 一瞬で場の空気が張り詰め、ピリピリとした雰囲気が辺りに漂う。

「うむ。実はお前達の力を貸してもらいたくてな。もう一度、儂とギルドを組まぬか?」
「――ギルド……ですか……」

 紅蓮は『ギルド』という言葉を聞いて、彼女は明らかに表情を曇らせている。
 マスターもその彼女の表情から、大体の返事は予想できた。

 彼のその予想通り、紅蓮は申し訳なさそうな顔で徐ろに口を開く。

「……申し訳ありませんマスター。私達はもうギルドを作ってしまっているので、あなたのギルドには――」
「――ちょっと待て!」

 紅蓮が話している最中に、後方からメルディウスが大声で遮った。

 彼は目を吊り上げて徐にマスターの前にくると、自分の胸を親指で指して勢い良く言い放つ。
 その次の言葉に、紅蓮は耳を疑った。

「俺達に勝ったら、俺も紅蓮もじじいの好きにすればいい! だが、俺達が負けることなんてないがな! 何故なら、こっちには『イモータル』不死の力を持つ紅蓮が――――って居ない!?」

 自信満々にメルディウスが紅蓮の方を向くと、さっきまで横にいたはずの彼女の姿が消えていた。
 慌ててメルディウスがきょろきょろと辺りを見渡しながら彼女の姿を探していると、どこからともなく紅蓮の声が響いてきた。

 2人がその声の方に目をやると、雲に乗った紅蓮の姿が見えた。

「そういう事でしたら我がギルド『THE STRONG』のギルドマスターにお任せします。私はメンバー達と狩りに行くので、ここで失礼します」

 紅蓮はそう言ってマスターにぺこっと頭を下げた。

 だが、二対一に持っていきたかったメルディウスが、紅蓮のその行動に激怒しないわけがない。

「このやろ~。面倒になって自分だけ逃げようってこんたんだな! 降りて来いよ紅蓮!」
「メルディウス。これもギルドマスターとして大事な勤めですよ? はぁ……そんな事では、マスターには一生勝てませんね……」

 紅蓮が小馬鹿にするようにそう呟くと、メルディウスが拳を振り上げて怒鳴った。

「何だと!? 一発ぶん殴ってやる! この降りてこい!」
「殴ると言われて降りるわけないです。バカですか貴方は……頑張ってくださいね、マスター。ああ、あとここの近くで暴れるのはやめてください。他の方々の迷惑になりますので、それでは……」

 紅蓮はギルドマスターであるメルディウスをバカにして、ギルドの敵であるはずのマスターに微笑み掛けるという摩訶不可思議な行動をして、そのまま街の中心部の方に飛んでいってしまった。

 マスターは、そんな紅蓮の姿が見えなくなったのを確認してから口を開く。

「……相変わらず紅蓮の尻に敷かれてるようだな、メルディウスよ」
「うるせぇー。ほっとけ! そんな事より場所を変えるぞ! 紅蓮を怒らせると怖いからな!」

 メルディウスは口を尖らせながら大剣を肩に担ぐと、ゆっくりと歩き始めた。無言で頷くとマスターもそれに続く。


 2人は街を離れ、無言のまま枯れ木が至る場所に点在する荒野を進んできた。っと荒野の奥の所にある両側が断崖に囲まれた場所へとやってきたところでメルディウスが歩みを止める。

 そこで前を行くメルディウスが持っていた大剣を地面に突き刺して、徐にマスターの方を向き返った。
 おそらく。左右を断崖に囲まれたこの場所ならば、もしマスターが臆病風に吹かれた時に逃げられることがないと、始めから目を付けていた場所なのだろう。まあ、どっちにしても今回の戦いからは逃げられそうもないが。

 マスターと向かい合うメルディウスの全身からは闘志というよりも、マスターへの憎悪が滲み出ていた。

 だが、マスターもそれが分かっている様子だ。分かっていながら、彼もこの戦いに身を投じているようで実に落ち着いた様子でマスターの瞳が真っ直ぐに彼を見つめている――。

 っと、メルディウスの握り締めた拳が小刻みに震え出すと歯をギシギシと噛み締める。

「じじい……俺はお前はぜってぇーに許さねぇー。本気の装備で来いよ! それで俺が勝ったら紅……いや、お前に奪われた俺の『ビッグバン』を一生使わねぇーと誓え!」

 マスターの顔を睨みつけながらさっきとは打って変わって、静かにそう告げたメルディウスに、マスターが直ぐ様言葉を返す。

「ふん。心配症な奴だ……心配せんでも、お前のスキルは使った事がない。安心しろ」
「使ったか使ってねぇーかじゃねぇーんだ! 使わないと誓えと言ってんだよ!!」

 その物凄い殺気を帯びた声を聞いて、マスターは口元に笑みを浮かべるとコマンドを操作し始める。

 マスターの固有スキル『明鏡止水』には、相手の固有スキルを自分のスキルとして使用できる特殊能力がある。
 それは彼が意図して対象の固有スキルを吸収できることで、強力なスキル以外を吸収し習得しなくていいというメリットがあるのだ――。

 コマンドから黒い革製のグローブを取り出すと、マスターはそれを手にはめた。
 その後、鋭い眼光をメルディウスに向ける。

「――良いだろう。お前がそこまで言うなら、望み通り全力で相手をしてやる。そしてお前が儂に勝てれば、お前の固有スキルを二度と使わないと誓ってやろう……」
「――その言葉に嘘はねぇーな?」

 確認する様に言ったメルディウスの言葉に、マスターは静かに頷く。

 2人は両端が断崖絶壁の崖に覆われた荒野の中央へと進むと、互いの顔を睨み合った。

「無いようだな……なら俺も、お前に負けたら俺達のギルドはお前の作るギルドに協力してやる」
「ほう、その言葉に相違無いか?」
「ああ、まずはこっちから行かせてもらうぜ……」

 短く告げると、メルディウスは体を低く構え大剣を肩に担いだまま、マスター目掛けて突進してきた。

「――消えろおおおおおおおおおおおッ!!」

 全力で振り下ろした大剣を、マスターはそれをかわすことなく両手でガードする。
 攻撃をグローブで大剣の刃を受け止めたが、その重みに耐えかね。マスターの足元の地面が大きく陥没する。

 だが、それだけの威力がある一撃を受けてもマスターの体は微動だにしなかった。
 その直後、目にも留まらぬ速さで繰り出されたメルディウスの右足がマスターの腹部に直撃し、勢い良く後方に突き飛ばされた体はそのまま横の崖にめり込む。

 人の形に大きく変形した岩肌から強引に体を引き剥がすと、マスターは取り出したヒールストーンで体力を全快にする。

「相変わらず凄まじい攻撃だな……」

 マスターは笑みを浮かべ、ぼそっと呟くと目の前に一瞬の間にメルディウスが現れた。

 一瞬で目の前に現れたメルディウスは、間髪入れずに大きな黄金の大剣を振りかぶっている。

「……なっ!?」
「なに油断してんだよ!」

 そう叫んだ瞬間。メルディウスは持っていた大剣を力任せに振り抜いた。
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