第115話 ウォーレスト山脈

文字数 4,333文字

 エミルの城を出て2日。夜空を全速力で進むレイニールの背中に乗りながら、エリエ達は各々に装備を確認し、念入りに準備をしながらウォーレスト山脈へと向かう。

 レイニールの背中に揺られるメンバー達の表情は真剣そのものだった。
 それもそのはずだ。敵はフリーダムの中でも屈指のPVPに特化した戦闘系の組織――また事件以来。数々の戦闘で得た戦利品を、数多く所有しているのは間違いない。

 いくら熟練したプレイヤー揃いのエリエ達でも、物量と装備に長けたダークブレッドのメンバーとの戦闘は、厳しいものになるのは必死だった。最悪は、今この場に居るメンバーの中から犠牲者を出すことも十分に考えられる――。

 そんな緊張感もあってか、皆険しい表情でただ前を見つめていた。

 っとその時、一番先頭に居たディビッドが声を上げる。

「見えたぞ! 飛竜種の群れだ! これ以上は飛べそうにない。予定通り陸路に切り替える!」

 そのデイビッドの言葉に、エリエ達が無言で頷く。

 空中での戦闘方法の少ないフリーダムで、飛竜の様な飛行できるものは難易度の高いモンスターに指定されている。

 飛行手段のないプレイヤーは飛竜が襲って来た一瞬に背中に飛び移るか、その背中の翼を切り落として無理やり戦闘に持ち込むのがセオリーだ。

 空中ならいっぺんに向かって来る奴等も、地上なら一体ずつしか攻撃を仕掛けて来ない設定になっている。

 ただそれだけ。空中で戦うのは、とてもリスクの高い敵であることは間違いないだろう。
 大きな翼をはためかせながら土煙を巻き上げて、地面に着地したレイニールは、すぐに小さい竜の姿に戻ってしまう。

 さすがに長距離を飛び続けて疲れたらしく、その表情には疲労の色が濃く見えた。
 それもそのはずだろう。まる2日ずっと飛んでいたのだ。普段は小さい姿を維持して、少しでもエネルギーを節約していたレイニールが、巨竜の姿を維持して飛び続けるのは相当辛かったはずだ。

 レイニールはただ『主を助けたい……』というその一心で、気力を振り絞ってここまで来たのだろう。
 地面にへばりつくようにして荒い息を繰り返すレイニールに、心配そうにカレンが声を掛ける。

「大丈夫か?」
「はぁ……はぁ……はぁ……なに、これくらい。どうってことは、ないのじゃ!」

 虚勢を張りながら、レイニールが体を重そうにゆっくりと立ち上がる。そんなレイニールをカレンは抱き上げると、徐に自分の肩に乗せた。

 レイニールは驚いたように目を丸くさせながら、カレンの顔を見つめた。

「……どういうつもりじゃ?」
「まだ先は長い。君は俺の肩で休んでいるといい。頭に乗るのは、星ちゃんを無事に取り戻してからだろう?」
「うむ。良く分かっておるではないか! 気に入ったぞ!」

 レイニールがそう嬉しそうに微笑むと、カレンも微笑み返す。その後、各々召喚用の笛で馬を呼び出すと、その背に跨って走り出す。

 幸い。今はまだ平地が続くがこの先は急な斜面や足場の悪い場所が多く、馬などの騎乗用の道具は使えない――っというよりも。使えるけど使わないと言う方が正しいだろう。

 一応希少な召喚用アイテムでワイバーンという物もあるのだが、それを使えば直ぐ様、上空の飛竜が襲い掛かって来てしまって戦闘になる。

 今は下手な戦闘は避け、少しでも隠密行動をして多くの敵の情報を収集するのが先決だ。
 早々と出てきた今のエリエ達には限られた装備品しかなく。第二陣のエミル達が補給物資を持ってくるのを待つ意外に、物量でも数でも勝る相手と戦うのは不可能なのだ。

 先頭を走るデイビッドの横に馬を付けたサラザが、難しい顔をしながら声を掛けてきた。

「ここまでは予定通りね、デイビッドちゃん。で、これからどうするの?」
「そうだなー。とりあえずは城からある程度距離を置いた場所で、エミル達を待つ方向で考えてるよ。今のまま進んでも戦闘になるだろうし、戦闘になれば、明らかにこっちが不利だからね」

 前を向いたまま淡々と話すデイビッドに、サラザが更に言葉を続ける。

「そう、確かにそれがいいと思うわ~。……人質が居なければね……」
「……サラザさん。何が言いたいんだ?」

 そう言ってデイビッドは横目でサラザを見る。

 その思わせぶりなサラザの口ぶりに、デイビッドは不機嫌そうに眉をひそめた。だが、サラザはそんなデイビッドに小声で告げた。

「あなたも気が付いているんでしょ? エリーの事よ。待てと言われて待つような精神状態じゃない……きっとあの子は単身でも敵アジトに乗り込むわよ?」
「……確かに。なら、どうする? 何かいい案があるのか?」

 そうデイビッドが聞き返すとサラザは「もちろんよ~」と胸筋を左右交互にピクピク動かして答えた。

 まるで生き物の様に動くサラザの胸筋に、デイビッドは顔を引き攣らせている。

 そんなデイビッドに真剣な顔でサラザが告げた。

「――私達オカマイスターとエリーで偵察に出るわ。デイビッドちゃんとカレンちゃんはエミルちゃん達と合流して頂戴」
「なんだって!? ここで更に分かれるなんて正気じゃない!! 俺はその作戦は反対だ……」

 デイビッドは険しい表情でサラザに目で訴えかける。だが、彼の言葉は最もだろう。ただでさえ部隊を2つに分けている最中、サラザはそこから更に部隊を分けるというのだ――それは到底正気の沙汰とは思えない。

 そんなことをすれば、この作戦の成功率はぐーんと落ちる。いや、ヘタをすれば、全滅して終わり兼ねない。

 それに出発時。イシェルも無理に攻めずに、城の辺りを偵察するようにと言っていた。

 敵の方が数が多く。ここは敵の拠点の真っ只中だ――少しでも敵の配置。城の立地条件で潜入しやすい場所を把握して、それを後からきたイシェル達に教えた方が作戦の成功率を上げるという上では確実だ。

 サラザは真剣な面持ちでデイビッドに告げる。

「――止めても行くわ。私とエリー、ガーベラに孔雀マツザカ。この4人で必ず星ちゃんを救い出す。誘拐前に会っていた私達にも、誘拐されたあの子を取り戻す責任があるのよ……」
「……そこまで言うならしかたない。エミル達を待つのは俺とカレンさんだけでいいです。サラザさん。エリエをお願いします!」

 決意に満ちたデイビッドの瞳に、サラザは力強く頷いた。
 しばらく、徒歩で向かっていると正面にまるで天を刺す剣の様にそびえ立つ山がいくつも見える。いや、それはもう山というよりも崖に近い。

 剣の様に反り立つほど、縦に伸びた山には少ない足場になる渦巻き状の溝が刻まれている。

 また、その傾斜は急で山と山の堺は谷のようになっており、その先には他の山へ続く橋が掛かっていた。溝そのものの道幅は大人1人がやっと通れる程度で、誤って足を踏み外して落ちてしまえばひとたまりもないだろう。

 幸い。ここはゲームの世界であることもあり、風は微風程度で突然急な天候悪化に見舞われることはシステム上ありえない。

 だが、どちらにしても、落ちれば死ぬという事実に変わりはない。崖下は漆黒の闇がぽっかりと口を開けていて、バランスを取るのでやっとの不安定な足場に変わる。もし万が一にもでも戦闘に陥ってしまえば、有無を言わさずに谷底に真っ逆さまだ……。

 しかし、それは向こうにも言えること、いくらここに拠点を構えているとはいえ、この断崖絶壁では地の利もクソもない。そのことから考えても、向こうもこの場所で仕掛けてくることは考え難い。

 っということは、空は飛竜が飛び回り。死と隣合わせのこの山脈地帯は皮肉なことに、敵の拠点の中で最も安全な場所と言うわけだ――。

 目の前にどこまでも続く山々を見て皆尻込みしていると、サラザが颯爽と前に出て勇敢にもその道に足を踏み入れた。

「皆、大丈夫よ~。罠とかはないわ~」

 サラザは壁に張り付く様にして、満面の笑みで手を振っている。
 その男らしい行動力と肉体からは想像もできないそのオカマ特有のしゃべり方に、デイビッドとカレンはただ呆然としている。

 それとは対照的にオカマイスターの面々は、顔色1つ変えずにサラザの後に続く。

 本当に肝が据わっているというか何というか……。
  

「……行こう。星を助けなきゃ! こんな事してられない……」

 険しい表情でそうエリエが告げると、躊躇している2人の横を通り過ぎていった。
 城を出た後のエリエの表情は固く、時折瞳に涙を滲ませながら自分の手を見つめることが何度かあった。

 星が拉致される直前まで一緒にいたエリエの心には、それが重くのしかかっているに違いない。根を詰めた様子の彼女を見て、カレンがデイビッドの側に来て小さな声で言った。

「あいつ、大丈夫ですかね? 普段ならもう弱音を吐いててもおかしくないのに。城を出てからずっとあの調子で……」
「……確かに根を詰め過ぎている感じはある。でも、それは仕方ないさ。目の前で星ちゃんが敵の手に落ちるのを、手も足も出せずに見てたんだ……」

 デイビッドは表情を曇らせながら言葉を続けた。

 この時のデイビッドは『もしも自分がエリエと同じ状況だったら』と考えていたのだろう。彼のその表情はとても重いものだった。

「でも、あいつは強いよ……俺なら、自分を顧みずに敵のアジトに一人で乗り込んでいてもおかしくない。自分を抑える事なんてできないと思うし、それに、もしかしたらもう、星ちゃんは――」
「――デイビッドさん!!」

 彼の言葉を遮ってカレンが叫んだ。

 デイビッドもはっとしたように目を丸くさせ、その考えを振り払うかのように左右に激しく首を振る。

「……すまない。つい最悪の事を考えてしまった」
「無理もないです。なんて言っても、相手はブラックギルドなんですから、今までも何人も手に掛けている大悪党集団です。子供の1人くらいと考えてしまうのは仕方ない事ですよ」

 不安そうにそう呟いたカレンは、無意識に拳を握り締めている。その様子から、カレンも相当責任を感じていることが窺い知れた。

 彼女としても、現場に居合わせることもできずに歯痒い思いをしているのだろう。
 そうでなければ、彼女が最も尊敬する師匠であるマスターの命令に背いてまで、こんな場所にやってくるはずがないのだから。 

 デイビッドもそれを見て「すまない」と再び謝罪の言葉を口にする。すると、カレンは微笑んで言葉を返した。

「いいんです。それにあの子は賢い――きっと大丈夫ですよ!」
「ああ、きっとそうだね。今の俺達にできるのはあの子を信じて、必ず連れて帰る事だけだった!」
「ええ、行きましょう!」
「そうだな、行こう!」

 決意を新たにして互いの拳を突き合わせた2人は、先にいったサラザ達の後を追いかけた。
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