第225話 奇襲当日

文字数 3,640文字

 翌朝。星が目を覚ますと、すでにエミルもイシェルも居なくなっている。

 のっそりと重い体を起こし、壁に立て掛けてある剣を見て不安そうな表情を浮かべると胸に手を当てた。

 昨晩のこともあって、どうも心がざわついて落ち着かない。マスターの作戦を知らない星は戦いまで、まだ後1日あると信じて疑わなかった。

「あと1日……その前に自分にできること……」

 小さく呟き考え込んでいると、そこに枕元で寝ていたレイニールが飛んできた。

 大きくあくびをして、ふわふわと上下にフラつきながら星の顔の前にやってくる。

「なにを考えておるのじゃ? それより、今日はあの無礼者の所には行かんのか?」
「無礼者……?」

 星が首を傾げて聞き返すと、今まで眠そうにしていたレイニールの目が見開く。

「あの我輩の尻尾を掴んだ奴じゃ! あの無礼者が……次同じ事をしたらただじゃおかないのじゃ!!」

 怒り心頭と言った感じで空中で地団駄を踏んだレイニールは、枕の上に勢い良く飛び降りると、枕をくしゃくしゃにして放り投げた。

 星はその様子を見ていて苦笑いを浮かべると、昨日のエルフの男。トールの言っていたことを思い出す。
 彼は別れ際に微笑みを浮かべながら「ああ、やりたかったらまた明日もここにおいで、待ってるから」と言っていた。昨日エミルの話を聞いていて、そのことをすっかり忘れていたのだ――。

 時間などの指定はなかったものの、少なくとも昨日のあの場所にいけば会えるのは間違いない。
 彼のことを考えていたら、また星の頬が熱を帯びる。何故では分からないが、彼のことを考えると心が温まる感じがして、なんとも言えない懐かしさで心がいっぱいになるのだ。

 もちろん。彼と以前どこかで会ったことがあるわけではない。しかし、どこか懐かしく心安らぐ感じを星はいつでも彼から受け取っていた。

 その感覚は昔からどこかで感じた羨望の感情……。

 動き出すのに、それを知りたいと思う心は動機として十分だった。

 星は未だに怒りが治まらないのか、布団の上で地団駄を踏み続けているレイニールを尻目に白いモフモフしたパジャマから、いつもの服に袖を通し壁に立て掛けてある剣を取る。

「レイ。ちょっと出掛けてくるね?」

 そう告げると、扉の方へと向かって歩き出す。

 レイニールは驚き、慌てて星の前に飛び出してそれを阻止した。

「なんで我輩を連れて行かないのじゃ!」

 トールに向いていた憤りも相まって、普段以上に凄みを増したレイニールの言葉に、星もただただたじろぎ。

「だって……あの人に会うのが嫌そうだから……」

 っと、今にも掻き消えそうな声で伝えた。

 レイニールは更に怒りを増して「我輩といつでも一緒に居ると言ったのを忘れたのか!」と憤り、両腕をブンブンっと振って怒りをアピールする。

 さすがにこれには対応しなかった星は無言のまま、レイニールを無視して扉へと向かって歩みを進めた。その後をレイニールが「無視するな!」と付いてくる。

 扉を開けると、すぐ目の前にはエリエが仁王立ちして立っていた。顔を引き攣らせ作り笑いを浮かべているが、エリエ全体から滲み出る怒りのオーラは隠せはしない。  

「……星? いったいどこに行くつもりなの~?」 

 声は優しいのだが、その目は笑っていない。逆に絶対に行かせないと言わんばかりに星のことを見据えていた。それはまるで、ハンターが獲物を捕らえようとするそれと似ている。

 視線を左右に泳がせ、エリエとなるべく視線を合わせないようにして、咄嗟に考えた言い訳を口にする。

「え、えっと……ちょっと、外の空気を吸おうかと……」
「へぇ~。外の空気を……ねぇ~」

 俯き加減にもじもじしながら告げる星を見て、エリエは徐に窓際に進むと、勢い良く窓を開く。

 直後。窓に掛かるカーテンが揺らぎ、部屋の中に柔らかな風が入ってくる。
 このエリエの行動に驚いたのか、星は目を見開いて窓の方を向いて呆然とその場に立ち尽くしていた。そんな星の方に振り返ると「これで解決ね!」とにっこりと微笑んだ。

 考えられないほどのその手際の良さに、驚くばかりだ――普段なら「そう? すぐ戻って来なさいよ~」くらいで許可してくれそうなものだが、今日の彼女は一味違う。
 まあ、エミルに「星ちゃんを絶対に外に出さないように!」と釘を刺されたのだろう。

 星は知らないが、今星達が置かれている状況は最悪だ――街の20km。周囲を30万のモンスターに囲まれており。その中に取り残されているのは2万人で、マスターに賛同しているギルドは、小規模なところも合わせて6つ……正直。このまま戦えば、容易に敵の勢いに負けて全滅に追いやられるのは必至。そのモンスターの大群に事もあろうか、マスターは今晩、先制攻撃を仕掛けるというのだ――こんな特攻とも取られそうな作戦が成功する確率は低い。その為、賛同者は少ないと予想される。

 だが、どんなに大群と言えど、包囲網を完成させた時点で兵力はバラけている状態だ――また、全ての行動をAIでコントロールされている為、プレイヤーのように自由自在に動くということはなく。30万のモンスターがいても、実質一枚の壁は多くて数万がいいところだろう。
 簡単に例えるならば、砂をイメージしてもらえばいい。限られた砂を一箇所に集めれば確かに膨大な量で山になるがドーナッツ型に縁を型取り、それを大きくしていけば必然的に砂の壁の厚さは薄く小さくなっていくだろう。つまりは、そういうことなのだ――。

 完全に街を取り囲まれる前に、大きく展開している今を狙う方が勝率が高くなり、正しい選択と言えるだろう。
 マスターが防衛戦を嫌うのは、それが大きく影響していると言ってもいい。どんなに不可能だと思える状況下でも必ず突破口を見出せる。物事を分析し、個々を分けて考えれば、その本質はいつも一本の糸に複数の糸が複雑に絡まっているだけで、一本の糸でしかない。

 目の前に立ちはだかるエリエをどう攻略できるか……これが星の第一の関門となりそうだ。

 星は全開に開いた窓を横目に見ながら、エリエの入れてくれたココアを口に運ぶ。
 一息付いてこの状況を打開する方法を考えていた。目の前には同じくココアに大量の角砂糖を入れながら、星の方を向いて疑いの視線を送るエリエがいた。
 
 その横で数個角砂糖を入れ、スプーンでかき混ぜ美味しくココアを頂いているミレイニがいる。救いなのは、パーティーの中で最も考えの読めないイシェルが居ないことだろう。

 彼女が居たら、おそらくこの情況は更に突破できないものになっていた。それはエミルがイシェルに『星を見張っておいて』という一言を言うだけで、彼女は笑顔で応対し、しかも完璧に仕事を熟す。

 まあ、ここに彼女が居たとすれば、エミルにそう言われていることが確定しているものなので、居ないということは星を止めるのはエリエで十分と思われていることは確実――。

 しかし、普段のエリエならば問題はないが、今のエリエを突破するのは相当困難だろう。
 昨日もそうだが、どうやら皆戦いの準備で忙しいらしい……となれば、エリエを何とか突破すればミレイニは物の数ではない。そう。星はこの前のミレイニとの神経衰弱対決で彼女の能力をある程度把握した上で、彼女は自分より年上らしいが然程、強敵ではないと気が付いていた。

 星はココアを一気に飲み干しと、ガタッと勢い良く席を立つ。

「――ちょっとトイレ……」

 足早にその場を離れようとした星の耳にエリエの声が飛び込んでくる。

「……星。トイレのない世界で、どこのトイレに行くのかな?」 

 ドキッとして咄嗟に踏み出していた足が止まり、横目でエリエの方を見遣ると、彼女は相当怒っているのか凄い鋭い目で睨んでいた。

 その視線もだが、エリエの座ったままの状態でも強く感じるピリピリとした緊張感が部屋中に充満していく。持っていたカップの中のココアを飲み干すと、エリエは大きく深い息を吐き。

「……椅子に戻りなさい」

 っと、低い声音で星に告げた。

 星は少し躊躇するような表情で「でも……」と呟く。

 すると、エリエの持っていたカップがピキピキッとヒビ割れ始め、次の瞬間には粉々に弾け飛んだ。ガラスが割れるような武器破壊エフェクトの直後、エリエはにっこりと微笑み。

「――早く椅子に戻りなさい。そうしないと…………賢い星なら、もう分かるわよね?」

 エリエはミレイニの前に置いてあったカップを鷲掴みにして、そのカップも粉々に粉砕して見せると満面の笑みで諭すように星に告げた。

 その行動にはミレイニも怯えたように肩を縮め、俯くと無言のまま膝の上に重ねた自分の手の甲を見つめている。

 いつもは強気のミレイニが、視線を上げられないほどなのだから相当だろう。
 今のエリエに逆らうことが死を意味すると、本能的に理解している証拠だ。 

 目の前で二度も同じ光景を見せられた星には、彼女に逆らうという選択しはなかった……。
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