第121話 鉤爪武器の男4

文字数 4,675文字

 そんなマスターに痺れを切らした男が、体制を整える為一瞬マスターから距離を取り、座り込んでいるカレンを見てニヤリと不気味に笑う。

 その刹那、地面に転がっている石を拾い上げると、素早くカレン目掛けて投げた。

「――なっ!? カレンッ!!」
「ふふっ……弱いやつから片付けるのは戦闘の常識だろ? あの女の残りHPは1……つまり、あの石ころ一つでゲームオーバーぜよ!!」

 カレンは自分目掛けて一直線に飛んでくる石を見つめ一瞬で顔を青ざめさせる。
 それもそのはずだ。今は『リカバリー』で回復した異常状態だが、毒の効果によってカレンのHP残量は『1』しかも、マスターが戦闘に割って入ったところで戦闘は継続している。

 フリーダムのゲームシステム上。PVP中の回復アイテムの使用は不可で、それに加えて、最小ダメージは0ではなく1なのである。
 だが、所詮は石ころ。弓などの飛び道具があるフリーダム内ではさほど速くはない為、見えていれば容易に見切ることが可能。プレイヤーがかわせばいいのだが、今のカレンには防御どころか、蓄積した疲労から指一本動かすことすらできない……。

「どうする! 咄嗟に女を庇えば、俺がお前を背中から仕留め! 見捨てれば、お前の大事な女を失う! さあ、どっちを選んでもジ・エンドぜよ!!」

 男は雄叫びを上げた直後、マスターがカレンを助ける為に背中を見せると踏んだのか、地面に両手を着いていつでも攻撃を仕掛けられる体制に入った。
 彼の体制を見るに、先程の言葉はハッタリではなく。カレンを助けに入ったマスターの背後から一気に勝負を決めるつもりでいるのは間違いない。

 だが、マスターは口元に微かな笑みを浮かべ呟く。

「なに……ならば、この場を動かなければ良いだけのこと……」

 徐に両手を左右に突き出すと、マスターは右手をカレンに向かう石に向け、左手を男に向けた。その直後、マスターの両手から圧縮された黒いオーラが放出され、カレンに向かう石と男を撃ち抜く。

 石を粉砕して、驚き目を見開いて座り込んでいるカレンの直ぐ側を黒いオーラが横切り、マスターは虚を突かれ呆然としている男にも右手から同じように黒いオーラを放つ。

「――なにっ!? ぐああああああああッ!!」
 
 咄嗟にその攻撃をかわそうとしたものの、かわしきれずに男の右腕が吹き飛んだ。
 男が右肩を押さえて悶え苦しんでいるのを冷たい目で見下ろすと、マスターは無言のまま身を翻し、カレンの元へと駆け寄っていく。

 カレンは呆然としながら一点を見つめ、その場に座り込んでいる。

 放心状態のカレンの肩を掴んだマスターが。

「カレン! しっかりせんか!」
「……あっ、師匠。俺は助かったんですか?」
「ふっ、そんな冗談が言えるなら大丈夫そうだな……」

 カレンの返答を聞いてマスターは微笑みを浮かべる。

 その時、突如として星が煌めく上空を雲とリントヴルムが高速で通過していく。それを見てマスターは笑みを見せると、カレンの耳元でそっと告げる。

「カレン。もし怖いなら目を瞑っておれ、もう時間を稼ぐ必要もない。一気に終わらせて帰るぞ! カレン」
「……時間稼ぎって? 帰るってどういうことですか?」

 マスターはその問に答えることなく優しく微笑み返すと、カレンの頭にポンっと手を置いて身を翻して男の方を見据えた。

 男は失った腕を抑えながら、マスターを憎らしそうに睨んでいる。

 そんな男を見据えるマスター。

 互いに物凄い殺気を放ち鋭い眼光を向けると、同時に咆哮を上げて天を仰ぐ。

「――うおおおおおおおおおおおおッ!!」
「――はああああああああああああッ!!」

 男の体は巨大化し、体中から毛が生え巨大な狼の様な姿へと変わる。口からは牙が剥き出しになり、失った腕も再生し、その赤い瞳がマスターを見据え荒く息を繰り返している。

 顔を見ずに全身から盛り上がった筋肉と剛毛に覆われた姿だけを見ると、それはまるでゴリラの様にも感じた。

 咆哮を上げたマスターも、全身から金色のオーラが炎のように噴き上がる。

「このクソがッ! この『獣人化』のスキルで八つ裂きにしてやるぜよおおおおおおおおッ!!」
「フン。駄犬如きが、格の違いも分からんとは……少々、きつい躾が必要らしいな!!」

 2人は同時に攻撃を仕掛ける。

 空中で互いの攻撃が激しくぶつかると、ガキン!という金属音が辺りに響き、空中で男の鉤爪状の武器が折れてガラスの様な光となって粉々に砕け散った。

 飛散した光りを、驚きを隠せないと言った表情の男が目を見開く。

「なっ、なに!?」
「……儂が本気で戦って勝てぬ者などおらぬわ! これで終わりだ!!」 

 驚いている男の腹部にマスターの拳が無数に突き刺さり、男の体が後方に勢い良く吹き飛ぶ。
 その直後、マスターの体を纏っていた金色のオーラが消え、今度は後ろに向けて突き出した拳から黒いオーラを噴射しその勢いで空中を高速で移動する。

 凄まじい勢いで飛ばされる男の背後に回り込んだマスターの体は再び金色のオーラを纏い。
 男の腹部に鋭い蹴りを入れ、男の体をまるでサッカーボールでも蹴り飛ばすかの如く軽々と吹き飛ばす。

 その衝撃で勢いを増して飛ばされる男を、今度は両手から黒いオーラを放出して空中を飛びながら追尾するマスター。

 2人はウォーレスト山脈の谷の真上までくると、マスターは狙い澄ましたかのように飛ばされる男の顔を右腕で鷲掴みにする。

「――お前の様なクズは一度死んで……転生でもして人生をやり直せッ!!」

 マスターがそう叫んだ直後、辺りを照らし出すほどの黒いオーラを放出して、男を谷の奥底へと向かって吹き飛ばした。すると、男は断末魔の叫び声を上げながら、真っ逆さまに谷底目掛けて消えていった。

 マスターは上空で黒いオーラを放出しながらホバリングすると、男の徐々に小さくなる悲鳴が消えるまで黒く口を開いた谷底を見つめていた。

 冷たい視線を浴びせると、マスターは地上に降り立つ。

 しばらくして、カレンの元に戻ったマスターは、俯き加減でいるカレンに向かって言葉を掛ける。

「遅れてすまなかった……少し手間取ってしまってな。大丈夫だったか? カレン」

 マスターが優しく微笑みながらそう告げると、カレンが潤んだ瞳でマスターを見上げた。

 すると、たえようとしていた涙がいっぺんに押し寄せ、カレンの頬を止め処なく流れ落ちる。
 
「……師匠、申し訳ありません。俺は……待てと言われたのに……勝手に動いたうえにこんな……こんな失態を……もう、なんて謝罪すればいいか……俺は……」

 カレンは止めどなく溢れる涙で顔をくしゃくしゃにしながら、声を押し殺すと肩を震わせて俯いてしまう。

 今のカレンには、マスターにどういう顔をすればいいのか分からないのだろう。だが、それも無理はない話だ。さっきカレンが言ったように、ボイスチャットでマスターは『待つように』と言われていたのだから。

 しかし、星を捕らわれている以上。事態は急を要していた。だが、それは急を要していただけに過ぎず。戦力的には圧倒的に不利な状況だったことは理解していた――本来ならば、マスター帰りを待って動くべきだったのだ。何故なら、彼は以前にもこの組織を壊滅寸前まで追いやった張本人なのだから……。

 カレンは涙を流し、俯き加減にマスターの言葉を待っている。いや、言葉ではなく行為かもしれない。だから俯き加減で自分の頬をマスターの手が打つのを待っている自分がいた。

 だが、それも当然だろう。先走って上手く行けば御の字だったが、実際は違う――先走った上に敗北し。あまつさえ、体の自由まで奪われたのだ『折檻』というかたちで、これを叱責されるのは当然だろう……。

 その直後、マスターがカレンに向かって右手を伸ばす。カレンは覚悟したように瞼を強く瞑った。
 伸ばしたマスターのその手がカレンの頬に触れ、その後、その頬を優しく撫でる。

 カレンは驚きのあまり声を失う。そして次の瞬間、咄嗟に彼女の口から出た言葉は「……殴らないのですか?」だった。

 驚きを隠せない表情で目を丸くさせているカレンの様子に、マスターは小さくため息を吐くと。

「――ならば、殴ってほしいのか?」

 っと、聞き返す。

 カレンは無言のまま、困惑した表情を浮かべている。
 はなから殴られて当然であり。そうされると思っていた彼女にとっては、マスターの取った行動は信じ難いものだったのかもしれない。

 まだ、突然頬を打たれるのではないかとビクついているカレン。

 明らかに落ち着かない様子のカレンに向かって、マスターが更に言葉を続けた。

「カレン。お前が1人で残ったのはなぜだ?」

 マスターの不意のその言葉に、直ぐ様俯いたままのカレンが答える。
 
「……俺のおごりです。1人でなんとかできると思ったので……」
「いや、それは違うな。お前は今後の戦闘を視野に入れ、戦力の低下を最小限に抑えたのだろう?」
「いえ、違います!」

 カレンがマスターの顔をまじまじと見つめ叫ぶ。
  
 すると、大きく声を張り上げ「兵は詭道なり!!」と突如としてマスターが叫んだ。

「敵と対する時、優秀な将は常に敵の裏をかくものだ――お前は相手を油断させ『これから逆転』する事になっておったのだろう? それを今回は、儂が先に倒してしまった。ただそれだけのことよ……」

 そう告げて、豪快に笑うマスター。

(……師匠。俺を気遣って……ありがとうござます)

 カレンは心の中でそう呟くと、無言のまま小さく頭を下げた。

 マスターはそんなカレンの体を軽々と持ち上げる。

「ひゃっ! しっ、師匠ッ!?」

 思わず変な声が出てしまったカレンをマスターは驚いたようにじっと見つめる。

 カレンは赤面しながら小さく告げた。

「……じ、実は。あの男に変な薬を飲まされまして、その……体が敏感になってしまってるので……」

 耳まで真っ赤に染めながらぼそぼそと聞き取れないくらいの声で言ったカレンに、マスターが微笑みながら笑う。

「はははっ! そうか、それはすまなかったな! カレンも女になったと言う事か!」
「なっ! 俺は元々女です!」

 マスターは膨れっ面をするカレンを腕にしっかり抱きかかえると。

「そうか、そうか」

 っと、まるで子供をあやすように微笑んでいる。

 カレンは不貞腐れた様に更に頬を膨らませてそっぽを向く。その後、マスターはゆっくりと歩き出す。

「それでは帰るぞ!」
「えっ? 本当に帰るのですか!? 他の皆は!?」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔でぽかんと口を広げているカレン。

 だが、彼女が驚くのも無理はないだろう。先程の戦闘を見ていてもマスターの戦闘力は、他者のそれとは比べ物にならないくらいに高い。
 その彼が救援にいってくれれば、これ以上心強い味方はいないのだが……。

「馬鹿者! お前は動けぬ。儂も『明鏡止水』を使った以上は明日まで再使用できん。こうなれば、足手纏にしかならんだろう。後は仲間を信じろ! 良いな?」
「うぅ……はい」

 表情を曇らせながらカレンはマスターの胸に頭を押し付ける。

 マスターの鼓動が不思議とカレンの心が落ち着くのを感じていた。肌から伝わるマスターの体温もとても心地いい――。

(……師匠。一週間くらいなのに凄く久しぶりに感じる……薬の効果のせいか、いつもより師匠を強く近く感じて……皆には悪いけど悪くない……もう少しこうしていたいなぁ……)

 カレンはそんなことを心の中で思いながら、自分を抱えながら歩くマスターの顔をいつまでも見つめていた。
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