第367話 揺れる動く心2

文字数 3,351文字

 いつもの様に朝食を取り終えた星はナース服の女性に連れられ、この施設で最初に連れていかれた施設の責任者である叔父のいる部屋へと向かう。
 中では難しい顔で忙しくパソコンの画面を見ている叔父の姿があったが、星がきたことに気が付いた途端。その顔は優しい表情へと変わり部屋に入ってきた星を見つめている。

「やあ、星ちゃんいらっしゃい。予想以上にリハビリが早く終わって感心しているよ」
「……そうですか?」

 小首を傾げながら星が男性に尋ねると、彼は大きく頷いてにっこりと微笑んで。

「やっぱり姉さんの子だね。そういう頑張り屋なところは姉さんにそっくりだ」
「…………」

 だが、その言葉を聞いた星は複雑そうな表情で少し俯き加減になって黙ってしまった。

 しかし、それも無理はない。星にとっての母親は仕事一筋の人物で、星には殆ど関心がなかった。まあ、それも仕事を頑張っているといえば頑張り屋と言えるのだろうが、それでも娘の星を放置していたのだから、星には彼の『頑張り屋』という言葉を素直に受け入れることはできない。

 そして俯いている星に向かって、彼は少し溜めながらも再び言葉を続けた。

「……そうか。君の知っているお母さんと、僕の知っている君のお母さんでは認識の違いがあるんだね……」
「……いえ」

 表情を曇らせた星を見つめていた叔父を名乗る男性は、近くの別の机に置かれていた回転式の椅子を自分の椅子のそばに置くと、彼は星に手招きする素振りをして彼女を呼んだ。

 それには星も素直に従い彼のそばに座って、笑みを浮かべる叔父を名乗る男性の顔を見上げる。

 ゲーム内ではマスターやデイビッド達の男性プレイヤーの多くと接してきて、本来は男性に対してあった抵抗が今は少し小さくなっていた。そのこともあって、前までなら目も合わせることができなかったのが嘘のようだ――。

 向かい合う星と叔父を名乗る男性が、大きく息を吸い込んだ後にゆっくりとした口調で話し始めた。
 
「この前は言いそびれてしまったけどね。君のお母さんは昔はとても笑顔の素敵な女性だった。弟の僕から見てもそれは輝いて見えた……」
「……そうですか」

 俯き加減に生返事を返した星に、叔父を名乗る男も渋い顔をした様子で彼女を見ていた。

「星ちゃんはお母さんの事が嫌いなのかい?」
「……嫌いではないです」

 そう口にしたが、だが星の表情がその心境を物語っている。
 その言葉通り、星は母親のことが嫌いなわけではない。しかし、自分が母親に嫌われていたことだけは疑いようのない事実だった。

 どこか悲しげな星の表情を見つめていた彼が言葉を続けた。

「前にも言ったように、姉さんから君には話さないようにと釘を刺されていた事がある。君のお父さんとお姉さんが、君の生まれた日に事故で亡くなったのは知っているね?」
「…………」

 無言のまま頷く星を見て彼は更に険しい表情を見せる。

「その様子を見ていれば、君のお母さんが君にどんな事をしていたのか分かる。でも、それは君のお母さんの本当の気持ちじゃない。姉さんは君の事を本当に愛していたんだ……」
「……嘘をつかないで下さい……」

 彼の言葉を聞いた直後、星は今までにないほどの強い視線を彼に向けた。

「本当だよ。君のお母さんは星ちゃんの事を愛していた」
「――嘘だ!! だって、お母さんは私に興味を持ってくれたことなんてないですから……」

 一度は冷静さを失って声を荒らげた星だったが、すぐに落ち着きを取り戻して俯き加減に言った。
 しかし、星が声を荒らげるのは無理もない話だ――母親とは星が生まれてから9年間。共に一つ屋根の下で生活してきた。

 にも拘らず。幼い時に一度しか会ったことのない叔父を名乗る男性に、星と母親との関係を分かったような口で語られれば、誰だって憤って当然だろう――。

 冷静になった星を見て安堵した様に息を吐き出すと話を続けた。

「実は星ちゃんが生まれる前。姉さんはこの機関に住んでいたんだ。ここアメリカは世界の優秀な科学者達を保護する目的で作られた街で生活していた。世界各国から優秀な者達が集まる場所だ。厳重な管理体制の中、各分野の専門家から幅広い教育を行える環境が備わっていた。しかし、姉さんはその特別な環境が窮屈に感じていたのかもしれない……星ちゃんが生まれる前。一般の普通な環境で君を育てたいと、僕の忠告を無視して日本へ戻った。その後、君のお姉さんとお父さんに不幸が起こった」
「――なら、やっぱり。私が生まれたから……」
「それは違う!!」

 座ったまま膝の上に置いていた小さな手をぎゅっと握り締めた星を見て、彼が直ぐ様否定する。
 しかし、星の表情が晴れることはなく、俯きながらただただ自分の膝の上に置かれた手を見つめていた。

 彼の話を聞くだけだと、どうしても星が生まれることで父親と姉が死んだと考えてしまう。

 俯く星の両肩に手を置くと、彼はゆっくりとした口調で諭すように告げる。

「君は悪くない。今は信じられないだろうけど、聞いてほしい……君の事を姉さんが遠ざけていたのは、いつかこんな日が来ると分かっていたからなんだ。もちろん、巻き込まれて亡くなった君のお姉さんの月に申し訳なかったという後ろめたい気持ちもあったかもしれない。だけど、この事件が起きてから真っ先に君の身の安全を僕に求めてきた。君を輸送する時も悟られまいと、別の飛行機に乗ったんだ。だけど、その飛行機が……」
「…………」
 
 その話を聞いた星は、俯きながら唇を噛み締めて小刻みに肩を震わせていた。

 そして、徐に立ち上がって叔父を名乗る男性の顔を真っ直ぐに見つめて言い放つ。

「私をお母さんと暮らしていた家に帰してください」

 しかし、そう言った星に彼が返した言葉は。

「それはできない。君は命を狙われているんだ。お母さんももう居ない……僕とこっちで暮らそう」
「…………」

 無言で首を振った星に、彼はなおも言葉を続ける。

「日本ではない別の国で僕と暮らすのが不安なのは分かる。でも、僕にも仕事があるから君と日本に行って暮らす事はできない。だけど家政婦さんも雇うし、日本語の話せる家庭教師の先生も付ける。生活の面でも勉強の面でも星ちゃんに不自由は絶対にさせない」

 しかし、星は彼の話を聞いて首を再び左右に振ると「帰ります」とだけ短く答えた。

 だが、彼としては母親がいない場所に自分の姪を帰すわけにはいかない。しかも、星はもうただの一般人ではないのだ。彼女の安全を考えれば、星を一人で日本に帰すわけにはいかない……。

「落ち着くんだ。家に帰ったとして、生活できないだろ? もちろん今すぐじゃなくてもいい。気持ちが決まるまでこの場所にいたって――」
「――私の気持ちは変わりません! 私を家に帰して! もし、帰してくれないのならあなたを一生恨みます……」
「…………分かった」

 意外とあっさり認めた彼に星は少し訝しげな表情を見せたものの、少しでも早く家に帰りたいという気持ちが先走り「なるべく早くお願いします」と言い残して一人で部屋を出ていった。 

 それにはこの部屋に星を連れてきたナース服の女性も驚いているようで、星と叔父を名乗る男性の方を交互に見て、一礼すると部屋を出ていってしまった星の方に向かって足早に歩き出す。

 大きくため息を漏らした彼は元々座っていた椅子に深く腰を下ろした。脱力してがっくりと肩を落として背凭れに体を任せた。
 すると、壁に置かれている本棚が突如として動き出して現れた奥の隠し部屋から、茶色いウェーブのかかった髪を肩までの伸ばした若い女性が現れた。その女性はゲーム世界ではライラと名乗っていた女性だ――。

「ミスター。お母さんの事で本当の事を彼女に話さない方が良かったんじゃないですか? 真実を教えるだけが優しさではありません。未練を断ち切ってあげる事も優しさですよ」
「……いや、僕も悩んだよ。だけど……僕は姉さんの娘である星ちゃんに、一生恨まれることは選べなかった。僕にはもう、あの子しか親戚は残っていないからね…………西城君。彼女に連絡してここに呼んでくれ、明日には飛行機を手配して星ちゃんを日本に帰す」

 叔父を名乗る男性がそう告げると、ライラは静かに頷いて再び隠し部屋へと消えていった。
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