第230話 白獅子

文字数 3,859文字

 彼と別れエミルの城に戻る途中、自分の横を飛んでいるレイニールがふと星に尋ねる。
 
「なあ、主。今更なのじゃが、勝手に出て来てそのまま帰ったら、またエリエに怒られるのではないのか?」
「――――ッ!?」

 歩いていた星がピタリと立ち止まって、その顔が一瞬で青ざめる。
 今までトールと打ち合うのに必死で気が付いていなかったが、そういえば今朝ケーキが食べたいと嘘をついて抜け出してきたことを星は今更ながらに思い出し、頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまう。

 もうこの時間になって今更何を言ったところで信じてはくれないだろうし、怒られることに変わりはない。

 すぐに今更どうしようもないことを理解し、立ち上がると再び歩き出す。
 城に戻るのは怖かったが、ただそれだけで今日無理をしてでも出てきたことは後悔してはいなかった。それは、自分の抱いているトールに対する感情が何なのかを、はっきりと理解できたからかもしれない。

 城に戻ると案の定、部屋の中でエリエがむっとした表情で待っていた。まあ、ケーキを作っている間に抜け出すとは、彼女事態も思っていなかったのだろう。

 しかも、何故かソファーの上には、ミレイニがロープで体をぐるぐる巻きにされて横たわっているし。その口には、布を巻きつけられて喋れないようにされているという徹底ぶりだ――おそらく。機嫌の悪かったエリエに向かって、ミレイニが何か言ったからなのだろうが、本来なら頬を引っ張る程度の彼女がここまでするのは珍しく。それだけ怒っているということが、ミレイニの尊い犠牲によって星は再確認した。

「――さて、星? 今までどこで何をして、どうして出て行ったのかを教えてもらおうじゃない」

 微かに肩を怒りに震えていて、その声音から察するに我慢はしているようだが、少しでもおかしなことを言ったなら自分がどうなるかは、火を見るよりも明らかだった……。

 緊張した面持ちで肩を小さくまとめ椅子に腰を掛けている星は、ちょっとだけ息を吸い込みそれを吐き出すと、徐に真実を口にし始める。

「……き、昨日会った人に剣の使い方を教えてもらってました」
「ふ~ん。それで? その人は一体誰なの? もちろん。私達の知っている人でしょうね~?」

 上から見下ろすようにして星を見るエリエの視線は、明らかに星を威圧しているように感じで、星は更に体を小さくする。

「……えっと、多分知らない人……です。でも、とても優しい人でしたし。それに……」

 おっかなびっくりにそう告げると、突然テーブルを叩いて飛び上がった。星はエリエの行動に驚き目を見開いてその顔を見つめている。

「はあー!? 今がどういう状況か分かって言ってるのッ!?」
「……ひっ!」 

 大きな声を上げ再びテーブルを叩くエリエを怯えた瞳で見つめる星。

 すぐに星の体が小刻みに震えているのに気が付きエリエは我に返ったのか、今までの高圧的な態度が一変し、今度は優しく諭すような口調に変わる。

「あのね。今は危ないの! だから、1人で出歩いちゃダメでしょ? いい人そうにして近付いて来て、騙し討ちをしてくるようなやからもいるんだよ?」
「…………」

 無言のまま俯き続ける星の瞳が涙で潤むのを見て、エリエは小さくため息を漏らした。

 さすがのエリエも涙には弱いのか、静かに席を立って。

「何でもいいけど、もう1人では出掛けないで……」

 そう小さく呟くように告げて、部屋から出て行ってしまう。悲しげなその背中を、星は見送ることしかできなかった。

 部屋を出たエリエは顔をとても暗く沈んでいた……。  
 
「はぁ……守る側の私があの子を怖がらしてどうすんのよ。もう……」

 自分に落胆して左手で顔を押さえて歩き出すと、部屋の扉の向かいの窓の壁に力無く背中を打ち付けて止まる。 

 ふと窓の方を見ると、果てしなく生い茂る木々の先に暗がりに赤く光る複数の目が見えた。 
 そう。もう数日以上この城の周りを監視しているかのように、モンスターが徘徊していたのをエリエは気付いていた。

 もちろん、エリエだけではない。星とミレイニが知らないだけで、もう殆どの者がこの事実を知っていたのだ。

 このモンスター達が街の周りを囲んでいるモンスターの一部であるのは言うまでもないが、規模は小さくベテランプレイヤーの多いエリエ達の脅威にもなりそうにない。だからこそ、放置するという結論に至った。

 倒してしまった方が安全だと言う意見もエミルから出たのだが、撃破させるのが目的かもしれないというマスターの意見の方が過半数を占めたので、対応しないという対応を取ることになったのだ――。
          
 無論。エリエも撃破派で、星やミレイニの居るこの城の周りを思惑の分からない敵が徘徊しているという気味の悪い状態を放置したくなかった。
 
 過度のストレスをただただ星にぶつけただけだと思うと泣きたくなったが、その衝動をなんとか抑え込む。すると、エリエの視界にメッセージが表示された。エリエはそれを指で触って内容を表示する。

『エリー。今、デイビッドがそっちに迎えに向かっているわ。準備ができたら、星ちゃん達を連れて街のモニター前の広場に来て』

 その送られてきたメッセージを見ると、落ち込んでいたエリエは顔を綻ばせて、クスッと小さく笑うと。

「エミル姉もあんなの迎えに寄越すなら、カレンの方がマシでしょ。なにを人選を間違ってるんだか」

 そう呟く彼女の顔は嬉しくてたまらないと言わんばかりに緩みきっていた。
 部屋に戻ると、今まさにミレイニの体に巻き付かれていた縄を外しているところだった。

 縄が緩み拘束力を完全に失うとみるや、ミレイニは口に巻かれている布を取って投げ捨て、今までの不満をぶちまけるかのように叫んだ。

「なんだし! あたしは普通に本当の事を言っただけなのに。なんでこんな扱いされないといけないんだし! あたしはただ『エリエは脳がない』て言っただけなのに!!」

 どうしてエリエが怒ったのか……それが何となく今の彼女の発言と、頭を指差すジェスチャーで分かった気がする。

 そう。つまりミレイニは、能力がない『能がない』という言葉を、脳みそがない『脳がない』と勘違いしていたのだ――勿論『能がない』が正解なのだが、知ったふうに得意になって頭を指差し『脳がない』と年下に言われれば、星が勝手に城を飛び出したことと相まって、エリエの性格ならミレイニがあんな格好になって当然と言わざるを得ない……。
 
 ミレイニのその発言の問題点に、星は気が付いたのか、明らかに視線を逸らしている。
 しかし、気にはなるのかチラッチラッとエリエの方を横目で見ている。だが肝心なエリエは微笑みを絶やすことなく。

「エミル姉達が呼んでるから街に行くわよ~」

 っと、終始上機嫌でいた。星には逆にそれが違和感しか感じなくて腑に落ちなかった。

 本来のエリエの性格ならば、怒りを露わにしてミレイニの頬を引っ張りそうなものなのだが、罵られても笑顔を崩さずにいられるということは『即ちそれ以上に楽しみなことがあるから』としか考えられない。

 街にいって何をされるのか……おそらくそれは、ミレイニだけじゃなく自分にも降り掛かってくるであろうと、星は直感で理解できた。
 何故なら『今日、無断で外出してしまった。しかも、エリエを騙して……』そう考えると不思議と体が小刻みに震え出す。
 
 だが、そんなことなどエリエは微塵も考えていなかったがそれを星が分かるはずもない。しかも、星は自分のそのセンサーに絶対的な自信を持っていた。少しでもそう感じたのであれば、星は長年の生活で培ったその自己防衛の為のスキルを疑うことはしない。

 そんな星の心配を余所に、横できょとんとしていたミレイニがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
 ミレイニの悪魔的な笑みから滲み出るオーラに、星はただただ嫌な予感しかしなかった。

 っと、ミレイニが徐に口を開く。

「エリエのバー……」

 そこまで口にした直後、ミレイニの口を星が慌てて塞ぐ。
 今ここでミレイニに余計なことを言われれば、噴火寸前だったエリエの怒りが一気に吹き出しかねない。

 爪先立ちになりながらも、後ろから手を回していた星の体が不安定さと恐怖でプルプルと震える。
 なおも何かを口にしようとするミレイニの口を必死に抑え込むと、エリエがにこやかに尋ねてきた。

「なにか言った? ミレイニ」

 笑顔は崩さないが、一瞬ピリッとした空気が辺りに漂う。まあ、この状況ではミレイニに口を開かせると、確実に大惨事になりかねない。

 その言葉に、星が口を塞いでいるミレイニの代わりに返事を返す。

「え、えっと……ミレイニさんは、バームクーヘンが食べたいって……そう言いました!」

 我ながら苦しい言い訳だとは思ったが、星としては、この場はどうにかこれで乗り切るしかない。

 祈るような思いでエリエの顔色を窺っていると、エリエは小さく頷いて。

「そうね! まあ、時間もまだあるし。特別に作ってあげる! 星のケーキもその子が全部食べちゃったしね。ちょっと待ってなさい!」

 鼻歌を歌いながら上機嫌でキッチンに向かっていった。

 星はほっと胸を撫で下ろし、頭の上に乗っていたレイニールを見上げた。

「レイ。ミレイニさんが変な事を言わないように見ててね」
「ん? 分かったのじゃ! だが、主はどうするのじゃ?」

 そのレイニールの問いに答えることなく星が走り出し「私も手伝います」とキッチンに向かうエリエの後を追いかけた。
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