第220話 奇襲前夜

文字数 3,482文字

 そうこうしているうちにすっかりと日が落ち、辺りはもう夜の帳が折り始めていた。
 ついさっきまでは茜色に輝いていた空も、今ではすっかり暗くなり、手に持っている木の剣も夕日に照らされ薄っすらと視界に映し出される状態だった。

 すると突然、木の上で寝そべって休んでいたレイニールが遠くの方を指差して大きな声を上げる。
 星もその方向に目をやると、そこにはアレキサンダーの背に乗って、エリエとミレイニがやってくるのが見えた。

 青く辺りを照らす鬣と真っ白なその姿は、日が落ちた今なら遠くからでもよく見える。トールもそれには気付いているみたいで……。

「どうやら、お迎えが着たようだね。今日はここまでにしようか」
「……えっ? 今日は……ですか? またいいんですか?」

 彼の言葉に瞳を輝かせてそう尋ねた星に、トールは静かに頷くと。

「ああ、やりたかったらまた明日もここにおいで、待ってるから」
「……はっ、はい!」

 笑みを浮かべながらそう告げた彼に、星は嬉しそうに大きく頷く。
 その直後、彼は突然走り出してその姿は闇の中へと消えていった。それは一瞬の出来事で、まるで夢でも見ていたのではないかと思ってしまうほどだった――。

 彼の後ろ姿を見送りながら星は胸の辺りを押さえている。すると、彼がいなくなったすぐ後にエリエ達がやってきた。

 アレキサンダーは星の前で止まると、その背中に乗っていたエリエが大声を上げた。

「――もう星! 練習熱心なのはいいけど、勝手に出ていったら心配するじゃない! ミレイニのペットがいなかったら、見つけられなかったかもしれないんだから!」

 頭ごなしに言い放ったエリエの言葉に、星は表情を曇らせたままただただ俯く。だが、エリエとしても星のことを心配しての言動なのは間違いない。

 それは普段は整っている桃色のポニーテールが、今はボサボサのままで着ていた服も乱れていたからだ。
 おそらく。起きてすぐに星の書いたボードを見つけ、探しに出てきたのだろう。いや。それに関しては、イシェルが教えたのかもしれないが……。

 星にはそれが分かっていたからこそ、何も言えなかった。
 俯き口を閉じる星を見つめ、そして小さくため息を漏らす。

「はぁ……まあ、無事ならそれでいいわよ。早く帰ろ! エミル姉が帰って来てたら、私も怒られるんだからー」
「はい」

 星の手を取ってアレキサンダーの背に乗せると、前に乗っていたミレイニが口に手を当ててムフフとほくそ笑むと。

「――エリエはちょっと叱られるくらいの方が、大人しくなっていいし……」

 っと呟くが、だがこの距離でそのミレイニの言葉が聞こえないわけがなく……。

 満面の笑みで振り向いたエリエの瞳がミレイニを見据えた。

「……ミレイニ~?」

 不気味な笑みを浮かべ、わきわきと指を動かして逃げようとする彼女の背後からミレイニの頬を引っ張る。手足をバタつかせて「ほえんあはい」と言っているが、エリエは手を放す気配すらない。

 このやり取りを見るのは何度目だろう。すでに見慣れた光景だった。だが、いつものことだがどうしてミレイニはこうなるのが予想できないのだろうと、星は心の中で思っていた。

 城に戻るとエリエの心配通り、部屋にはマスター達が戻っていた。まあ、もちろんその中にはエミルもいるわけで……。

「……エリー? 随分と遅いお帰りね。どういう事か説明してもらえるかしら?」

 行く手を遮るように、部屋の扉の先に立っているエミルはにっこりと微笑みを浮かべているが、その目の奥には怒りの色が見て取れた。

 もし、ここで下手なことを言おうものなら、エミルにどれだけ長時間説教されることになるか……。
 
「あはは……えっと。ちょ、ちょっと皆で城内を散歩をしてて! それで今日も月が綺麗だねって話してたら、こんな時間になってしまったんだよ!」 

 彼女の顔色を窺いつつ焦りながらも、エリエはなんとかこの場を抑えようと身振り手振りで誤魔化そうとしている。

 少し表情の和らいだエミルに、このままいけば丸く事を収められると、確信していたエリエ。

 だが、次のエミルの言葉にエリエの背筋が凍り付く。

「へぇ~、楽しそうに炎帝レオネルの背に乗って大慌てで森の中を走ってたけど、その時には星ちゃんは乗ってなかったわよね? どういう事か説明してくれるわねエリエ?」

 体をビクッと震わせ、エリエが苦笑いを浮かべ。
 
「あはは……み、見てたんだ……」
「ええ、ばっちり」

 引き攣る頬に、全身から冷や汗を流しているエリエ。

 そんな彼女に向かって、エミルは満面の笑みを向けている。状況は最悪に思えた……。

 だが、そんな時。エリエの後ろに立っていた星がエミルの前に歩み寄る。
 険しい表情で俯いている星に、エミルが「星ちゃん。どうしたの?」と尋ねると、星が険しい表情のままエミルの顔を見上げ。

「……エミルさん。私に隠し事してませんか?」
「ん? なんの事かは分からないけど、まだ起きたばかりでお腹も空いてるでしょ? イシェ、まずはご飯に――」
「――どうして、2日後の事を隠してるんですか?」

 話をはぐらかそうとしていたエミルに、星は単刀直入に尋ねた。

 その星の言葉に、エミルが驚いた様に目を見開いたまま立ち尽くしている。しかし、それはエリエ達も同じだった。いや、エリエの方が驚いていたかもしれない。

 それは、エミルがエリエのことを目を細めながら凝視しているのを見ていれば、彼女が驚いている理由は分かるだろう。
 完全にエリエが星に教えたのだと疑っている視線に、マズイと思ったエリエは、エミルと目を合わせないように気まずそうに視線を逸した。

 星はエリエの方を見ているエミルに更に詰め寄ると、真剣な面持ちでじっと激しい視線を送る。さすがに折れたのか、エミルは大きくため息を吐き出すと。

「はぁ……分かったわ、星ちゃん。なら、お風呂に行きましょうか……」
「……お風呂?」

 突然出た謎のワードに星が面食らっているのか、目を丸くさせてきょとんとしている。そんな星の手を引くと、エミルはマスターの方を見て目で合図を送った。

 マスターはそのアイコンタクトを受け取ったのか、了解した様子で深く頷いた。その後、困惑する星を余所に、その手を引いて強引に大浴場に連れていく。

 星とエミルがその場を離れるのを確認して、マスターが深刻そうな顔で重い口を開いた。

「――街に行った者は分かると思うが、我等に賛同してくれるギルドは大小合わせて6つ。そして始まりの街にいるギルドは28。ギルドホールの情報にそって調べた正しい数字だ。残るは儂等の様にギルドを設立していないチーム形式の者達だろう。これを含めれば、街を守る集団は100近いかそれ以上。先日の事件以降、数人規模の特定のチームで動く者が増加したのが背景にあるだろうが、不確定な動きをする者等が多すぎてこれでは戦いにもならん……」

 今の街の戦力を目の当たりにして、落胆の籠もった大きなため息を漏らすマスター。

 だが、それはその場にいる殆どの者が彼と同じ気持ちだった。

 先日の村正事件では始まりの街にいた者達の半数ほどが犠牲となったのだ、未だに街ではその傷が癒えていない。壊れた街の方はシステムによって修繕されたが、心の方はシステムではどうしようもないのが現実だ――これにはそれなりに時間が必要だろう。

 そう考えれば、事件後すぐに仕掛けてくるシルバーウルフの方が理にかなっていると言えた。

 戦争は生き物だと多くの戦術家が言うが、それは本当に正しいと思う。この感情が高まっている状況下では、作戦を立てて戦うなど到底できそうもない。かと言って勢いに任せて突撃すれば、士気の高さが災いして今度は戦線が伸びすぎて後方の防衛が疎かになる。また覆面の男の言った以前の事件の死亡者を蘇らせ、更には元の世界に戻れるという言葉に踊らされて有頂天になって楽観的な考え方の人間が多い。

 このままでは感情だけが先走りまともな作戦行動など取れず、とても統率の取れた戦闘にはならないだろう。正に、今の始まりの街に集まっているプレイヤー達は、烏合の衆と化しているということだ――。

「それに悪い知らせはもう一つ…………実はな、先程ライラからメッセージが来て、この街の周囲20km圏内を囲むように様々なモンスターの大群が囲んでいるらしいのだ。その数およそ30万。その数は日に日に膨れ上がり、中にはダンジョンやフィールドのボスクラスもいるらしい……」

 彼の言葉に皆騒然して絶望に表情を強張らせる中、メルディウスとバロンだけは冷静だった。
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