第105話 紅蓮の宝物

文字数 5,073文字

 道の両端に広がる商店の列――その軒先では、各店の店主が行き交う人々を我先にと呼び込んでいた。
 昨晩もバルコニーで見ていて、その時にはまるで別の世界の光景だったが、こうして目の当たりにすると、まるでこちら側が現実の世界なのではないかと思えるほどの活気あふれる光景に、なんだか新鮮な感じすら覚える。

 その光景を小虎と少女は、まるで数日振りに散歩に連れ出された犬の様なキラキラとした瞳で辺りの店先を見つめている。
 好奇心に満ち溢れた小虎と少女は、紅蓮が『好きなところに行っていい』と一声掛ければ、今にも飛び出していきそうなくらいだ――。

「いいですか2人共、羽目を外しすぎず。本来の目的は忘れないようにしてくださいね?」

 キラキラとした瞳で妙にそわそわして落ち着かない様子の2人に、紅蓮が告げると。

「わっ、分かってるぜ! 姉さん」
「そっ、そうですよ! いいですか? 紅蓮ちゃん。小虎くん。私の言う事を良く聞いて、はぐれないようにしてくださいね!」

 年長者としてのプライドがあるのか、少女は今にも飛び出していきたい気持ちを必死で抑えている。しかし、その声は我慢しているからか少し震えていた。

 紅蓮は小さくため息をつくと「行きましょう」と落ち着いた様子で歩き始めた。その後ろを続くように小虎が付いて行くと、それを見て少女はため息を漏らした。

「はぁ~。私の方がお姉さんなはずなんだけどなぁ~」

 そう不満を呟いて肩を落としながら、少女もゆっくりと歩き始める。

 名御屋の街には多くのプレイヤーが経営している店があり、人通りも始まりの街に比べると段違いに多い。昨晩この街に着いた時も人が多いと思ったが、夜と昼を比べるとその差を改めて思い知らされる。

 だが、それは必ずしもここ名御屋にプレイヤーが集中しているからというわけでもない。
 それどころか、プレイヤーの数だけでいえば、ゲームを初めて真っ先に飛ばされる始まりの街の方が圧倒的に多いだろう。

 それなのにどうして、これほどの違いが出るかというと、その理由はただ一つ――始まりの街と名御屋に居るプレイヤーの質の差である。
 フリーダムで始まりの街は日本の東京の場所に位置しており、その名前から分かる通り、初心者が一番最初に入る街でもある。

 その為、他の都市よりも人口密度は多い――が、殆どは始めたばかりのプレイヤーや、それを勧誘する為に集まったギルドのメンバー。またはブラックギルドに所属している無法者達で基本的な戦力は低いと言えた。

 しかし、名御屋は豊富なアイテムとプレイヤーの平均レベルも85以上と高水準を誇っている。

 これは他の都市でも同じで、著しく平均レベルが低いのは始まりの街くらいなものだ――他の都市も事件が起きた翌日には困惑を見せていたが、数日後には普段通りの光景が戻っていた。

 ログアウトできないという危機的状況も、楽しめるというのが高レベルプレイヤーからくる余裕というものなのだろう。

 3人が辺りを見渡しながら歩いていると、不意に小虎が口を開いた。

「――ここは千代よりも人多いよね。どうしてだろう?」

 その質問に答えるように紅蓮が言葉を返す。

「そうですねー。ここ名御屋はアイテム類が特区に指定されている為、他より安く買えます。更に珍しいアイテムも多く売られているので、幅広いレベルのプレイヤーが来ているんでしょうね」

 紅蓮は辺りの店に目を向けながら更に言葉を続ける。

「私達のギルドの拠点でもある千代の街も特区に指定されてますが、武器、防具でも特定の物だけです」
「特定の物? それって例えばどんな物なの?」

 紅蓮の話を聞いていた少女が不思議そうに尋ねてきた。まあ、露骨に『特定の物』などという発言をされれば、彼女が気になるのも無理はないだろう。

 その質問に、素早く紅蓮が「日本らしい物でしょうか」と答えると。

「日本らしい物って?」

 っとその言葉がそのままオウム返しのように返ってきた。
 さすがに、最初の言葉で納得すると考えていた紅蓮は、彼女のその返しに少し考えるような素振りで顎に指をつける。

 そして、徐に首を傾げてこちらを見ている彼女に言った。

「――そうですねー。説明すると、装備なら刀や槍、弓など。防具ならば武士の甲冑、忍者の着ている鎖帷子などですかね。ああ、着物やかんざしのような装備アイテムなんかもありますね」
「へぇー。なんか紅蓮ちゃんに似合いそうな物ばかりだねっ!」

 にっこりと微笑み掛ける少女に、紅蓮は恥ずかしくなり頬を少し赤らめながら思わず視線を逸らす。
 どうやら紅蓮は『美しい』という言葉だけではなく。他人に褒められることには、めっぽう弱いらしい……。

 その時、小虎が思い出したように少女に問い掛けた。

「そういえば。お姉さんはここで誰かと会うんじゃなかったの?」
「えっ? う~ん。でも、どこに居るか分からないし。まだフレンドにも登録してないから、メッセージとか飛ばせないんだ。だから、どうしよっか……」

 少女は困り果て、思わず口をつぐんでしまう。
 まあ、事件当時。友達に誘われて始めたのはいいものの、他の街に居てどうしようもなくなる……なんてことは、彼女に限った話ではなくよくある話だった。

 システム上。フレンドまたは同じギルドのメンバー意外とはボイスチャットもメッセージも送れない仕様になっている。

 これは嫌がらせを防止する目的で設けられているシステムでもあり、ゲーム運営が初期設定している仕様なので、プレイヤーがどう足掻いても変更できない。だが唯一、フレンドでもなくギルドメンバーでもない人物とやり取りできる方法がある。

 それは銀行か商品売買の取引ページからのメッセージだ――これを利用すれば、フレンド登録していないプレイヤーとやり取りをすることが可能だ。

 小虎も立ち止まって一緒になって困り顔で考えていると、紅蓮が尋ねてきた。

「その方の名前は? 名前さえ分かれば、街のギルドホールで探せますよ? 街の中に居なければダメですけどね」
「――う~ん。名前も聞いてなくて……」

 それを聞いた小虎が「ならだめじゃん」と匙を投げると再び歩き始める。

 先に述べたシステムは匿名での取引も可能であり、少女が取引したのもこの例外ではない様だ――。

「あはは……面目ないです……」

 苦笑いして謝る少女に紅蓮は小さなため息をついて、小虎を追いかけるように歩き出すと、その後ろをしょんぼりしながら少女も続く。

 それからしばらく、あてもなく繁華街を歩いていると、ふとある店が紅蓮の目に止まった。
 店先には信楽焼のたぬきの置物が置かれている。頭には笠を被り、左手には大福帳、右手には徳利を持ち、大きな目を見開いて不思議そうに首を傾げている姿はなんとも愛らしい。

 他の店の軒先には置いていないこの置物と、汚らしい外見がなんとも周りと違って浮いて見える
 目立つと言う点では利があるが、綺麗な店ならまだしも見劣りして目立つというのも考えものだ――。 

 立ち止まった紅蓮の視線の先には『刃物一鉄』と書かれた看板の掛かった古びた店が建っていた。

「ここは……聞いたことがあります。名御屋には凄腕の鍛冶屋が居て、その名前も同じ『一徹』確か日本一の刀鍛冶のお店だったはず」
(ここなら、あの武器も直せるかもしれない……)

 紅蓮はそう考えながら、大切に懐にしまったていた美しい装飾が施された黒の柄には不釣り合いな折れた短刀を見下ろす。

 神妙な表情で店の引き戸を開けると、至る場所にホコリを被った店内には年老いた屈強な男が煙管を咥えて座っていた。

 老人はその鋭い目を更に細めると、店の入り口に立ち尽くしている紅蓮を睨んだ。
 その気迫に一瞬は気圧された紅蓮だったが、すぐに冷静になって声を掛ける。

「――修理を頼みたい武器があるのですが、お願いできますか……?」
「…………ほう。どれ、見せてみぃ」
「はい」

 紅蓮は頷き、懐からゆっくりと折れた短刀を取り出すと、それを老人に手渡す。

 老人はしばらくその短刀を様々な角度から見た後に首を横に振った――。

「これは直せんな……いや、直す直さぬという話の前の問題じゃな……」
「……そう、ですか……」

 紅蓮は今までで一番悲しそうな表情をして、老人が差し出した短刀を受け取った。
 普段あまり表情を変えない彼女のその悲しそうな表情から、彼女の手に握られた短刀が如何に思い入れのある物かが窺い知れる。

 老人もその悲しそうな表情に気が付き、尋ね返して来た。

「――それほど大事な得物なのか? ならば、方法がないわけではない」
「……本当ですか!?」
 
 紅蓮はそれを聞いて、一度は曇らせた表情をパァーっと明るくさせる。

 老人は咥えていた煙管を逆さにして灰を落とすと、再び煙管に煙草を入れ、火をつけ再びゆっくりと話始めた。

「壊れているも何も、その得物はまだ完成しておらん。それを完成させるには特殊な素材が必要になる」
「必要な素材ですか?」
「そうじゃ。竜神の髭と大熊の大牙が必要なのじゃが、持っておるかの?」
「……竜神の髭と大熊の大牙」

 紅蓮は急いでコマンド画面からアイテムを選んで中身を確認すると、そこから白い紐のような物を取り出し、それを老人に差し出した。

 老人は鋭く釣り上がった目を大きく開くと、紅蓮の手の中にあるそれを受け取った――。

「ふむ。これは紛れもなく竜神の髭じゃな……なるほどのう。これを持っておるということは、戦闘の実力は十分過ぎるほどあるようじゃな……」
「ですが、大熊の大牙は持ってないですね。すぐに取りに行ってきます。……それで、お代の方はおいくらでしょうか?」
「代金は良い。こんな代物に触れる機会はめったにないからのう、この頃手応えのある武器を打てずに鬱々としておったからなぁ」
「ですが……」

 それを聞いた紅蓮は少し申し訳なさそうな表情になる。

 老人は咥えていた煙管を手に持つと、煤で汚れた店の天井にふーっと煙を吐き出し徐ろに口を開く。

「お嬢さん。人の厚意には素直に甘えるものじゃ。遠慮するのもええが、程々にせんと、その者にも失礼となるぞ?」
「は、はい。マスター……」

 その老人の顔が一瞬マスターと重なり、思わずそう口に出してしまう。

 老人は不思議そうに首を傾げると言い放つ。

「まあ、それも大熊の大牙を持ってこれればの話だがのう。フォッフォッフォッ!」

 老人は笑いながら口の中に含んでいた煙を、まるで蒸気機関車が蒸気を吐く様に小刻みに吐き出した。
 そのバカにしたような言い方が気に障ったのか、紅蓮は眉間にしわを寄せると小さく頷いた。

 普段から感情表現が苦手な紅蓮だが、だからと言って性格が内気と言うわけではない。
 いや、それどころか、誰よりも負けず嫌いでもある彼女にとって、その老人の態度はしゃくに障ったのだろう。

 紅蓮は静かに頷くと、徐に口を開く。

「……いいでしょう。それでは近いうちにその大熊の大牙持ってきます。そうしたら、この短刀を直して頂けるんですね?」
「うむ。善処しよう」

 頷き再び煙管を咥える老人に向かって、軽く一礼した紅蓮は足早に店を出た。

 外では小虎と少女が待っていた。おそらく。2人は紅蓮が知り合いに会いに来たのだと思い。気を利かせてくれたのだろう。

「――もう用事は終わった? 紅蓮ちゃん」
 
 少女は扉から出てきた紅蓮に、にっこりと微笑みながら尋ねてきた。

 紅蓮は無言で頷くと、言い難そうに口を開く。

「すみませんが、急用ができたので、少し別行動しましょう」

 だが、少女は紅蓮のその申し出に、少し渋い顔をして告げた。

「う~ん。それは年長者として賛成しかねるかな~。それに、今は強い2人と別行動中だし。今はまとまって行動した方がいいと、お姉さんは思うな~」
「……お姉さん。姉さんはもう行っちゃったけど?」
「――はっ!? 紅蓮ちゃん!?」

 小虎がそう告げると、少女慌てて辺りを見渡した。だが、そこにはすでに紅蓮の姿はない――。

 動揺したのか、何故か少女は慌てて目を見開いてしゃがみ込むと地面を注意深く見つめる。

「紅蓮ちゃんが遂にミクロの世界に!?」
「――相変わらず失礼な方ですね……」

 紅蓮の不機嫌そうな声をたどって少女が空を見上げた。

 そこには、雲に乗った紅蓮が不機嫌そうに少女を見下ろしている。
  
「小虎、彼女の事はお願いしますよ?」
「おう! 任せておいてくれよ。姉さん!」
「はい。それでは頼みましたよ」

 そう言い残すと、前を向き直した紅蓮はふわふわと空に溶け込んで消えていく。
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