第347話 太陽を司る巨竜10

文字数 2,834文字

 星が彼の腹部に刺さっていた剣から手を放すと、地面に向かって落下する二人の体が風圧でゆっくりと離れた。

 徐々に迫ってくる地面を見るのが嫌で体を回転させ、空を見上げるような格好で落ちていく。
 落ちていくと同時に星の中での決意が薄れ、その代わりに『生きたい』という感情が大きくなっていた。

 しかし、それも無理はないことなのだろう。人は死に直面した時、相当な確率で後悔する。それの殆どが『生きている間にあれこれしてみたかった』という後悔だ――人は動物であり。自分の為に生きる存在でありながら、人間に存在する理性がそれを抑制する。それによって、本来の欲望と真逆の行動をしている者達が殆どなのだ。

 それは『死』という概念から解き放たれた時に、理性という枷が外れ一気に欲望の波が押し寄せることによるものだ。
 つまり、脳で判断した理性の現れである『覚悟』などというものは、生前に溜め込んだ欲望を解き放つ死の間際にはなんの枷にもならない。それは人間としてではなく、動物としての本能に近い自然本来の思考だからだ――。

 地面に落ちていく星の頭の中でも、今までの後悔が走馬灯のように巡っていた。
 大人になったら何がしたかった。これを食べて見たかった。ここに行ってみたかったなど、子供である星は成人の数倍以上の様々な思考が巡る中、一番に大きかったのは母親にもう一度会ってこの世界の話をいっぱいしたいということだった。

(……お母さん……)
 
 そう心の中で口にした時、ふと横を見た星の視界に真っ白な白鳥の様な翼を生やした白馬の姿が飛び込んできた。

 その姿は間違いなく。以前にエミル達と一緒にいった【ドリームフォレスト】というまるでおとぎの国の様に小人やフェアリー、動く木などのファンタジーに登場するような生き物達が生息しているところで出会ったペガサスだった。

 星はその姿を驚いた様子で見つめると、天を駆けるペガサスが落下していた星をその背中で受け止める。
 驚きを隠せないといった表情でペガサスの背中を撫でた星は、ドリームフォレストでペガサスに会った時のことを思い出した。
 
 最後にペガサスとの別れの時、ペガサスが自分の翼の羽根を一枚だけ取って星に渡した。その後、その羽根はペガサスの形をした笛へと変化したのだった。

 それを思い出した星は、慌ててコマンドを開いてその時の笛がないか探す。だが、その笛は黄色く縁取りされていた。

 その後、装備欄を確認すると、その中の人形の首の部分に装備されていた。星が首の部分に手を当てると、確かに紐の先にペガサスの形をした笛がぶら下がっている。しかし、星にはこの笛を吹いた覚えはないどころか、取り出した記憶すらない。

「――どうして……」

 星が落ちてきた先にある赤いドラゴンに空いた風穴を見ると、そこには星の方を見つめて微笑みを浮かべている青い瞳に長い黒髪の女性が立っていた。

 見上げている星に気が付いた彼女は、一瞬のうちに小さな少女の姿になるとドラゴンの中へと消えていった。

「……お姉ちゃん。ありがとう……」

 そう小さく呟くと、星は首にぶら下がっている笛を両手で包み込んで胸に押し当てる。

 その後、星は助けてくれたペガサスの背中に跨がると、その首筋のところを優しく撫でて「ありがとう」とお礼を言うと、ペガサスも一鳴きしてそれに応えた。その直後、星を乗せたペガサスは大きな翼をはためかせてその場を離れていく。

 同じく落下していたメガネを掛けた赤髪の男はペガサスに乗って、自分の近くから消えていく星の姿を見上げながら、彼の頭の中でも走馬灯が止めどなく流れていた。

「僕は……どこで間違えたんだ?」

 彼は去ろうとする星の方に手を伸ばして呟く。

 徐々に遠ざかり見えなくなる星の姿を追うように手を動かしたそんな彼の瞳には、薄っすらと涙が浮かんでいた。
 
「――僕はただ、大空博士と共にいつまでも研究をしていたかっただけなのに……どうして、神は私に味方してくれなかったのか……」

 直後。地面に背中を打ち付けると、腹部に突き刺さっていた漆黒の剣が地面に突き刺さる。

 そのおかげかHPが全損することなく、彼のHPバーは『1』残した状態で止まっていた。
 それを確認すると、今まで完全に諦めていた彼の瞳に光が宿り。それと同時に彼は笑い出して顔を手の平で覆う。

「はっはっはっはっ! 私にもまだ運が残っていたか! この剣は彼女の本来の武器ではない。ということは、その能力は発動しないということだ――他人の武器では本来、相手に戦闘ダメージを与えるのも難しい。しかし、彼女はゲームマスターなのだから、この程度の例外はあって当然。だが、私には神が付いている! これはイヴを僕の物にしろという大空博士の意思!!」

 そう言って、なおも顔を覆って笑い続けるメガネを掛けた赤髪の男。

 そこへ、何者かがゆっくりと歩いて近付いてくる。その物音に気が付いた彼がその方向を向くと、そこには長い黒髪に赤い瞳の小学生くらいの女の子が立っていた。

 彼女は地面に寝そべる彼の姿を見てニヤリと不気味な笑みを浮かべると、倒れている彼の前まできて止まる。

 彼を見下ろした女の子は徐に彼に向かって口を開く。

「――お久しぶりですね。私の事を覚えていますか? 覚えていますよね。安藤文則……」
「……おっ、お前は! 何故ここにいる!? お前は博士と一緒に海に落ちて死んだはず!!」

 それを聞いた少女の口元の笑みが大きくなり、驚くメガネを掛けた赤髪の男に言った。

「ええ、死んでいたわよ……でも、あなたが私を目覚めさせた」
「くッ……亡霊め! 僕のイヴを奪いにきたのか! 博士と結ばれるという僕の夢をッ!!」

 地面に倒れ込んだまま叫ぶ彼の腹部に突き刺さった剣を握ると、憤る彼を見下ろして感情を消し、光を失った虚ろな瞳で虫けらを見るような目で彼に告げる。

「……貴方の理想の世界はこない。私達家族を裏切り、奴らに手を貸しただけではなく。私の妹にまで手を出そうとした貴方は、お父さんにも会わせない……永遠にこの世界を魂だけで彷徨うといい!」

 握っていた漆黒の剣を勢い良く引き抜くと、彼の体が漆黒の闇に呑み込まれていく。

「これだから女は嫌いだ! 全てを自分の物にできると思い込んで……幸せを独り占めにする邪な存在だ! 男同士で何が悪い。何でも自分の物にしないと気が済まない貴様らの独占欲の方が、よっぽど不純ではないか! 世の中の女も貴様もきっと地獄に落ちる! 私が――私達が正義だったと感じる日が必ずくるだろう! はっはっはっはっはっはっ!!」

 消える間際に負け惜しみを言って、完全にその姿を消した男のいた場所をしばらく見つめ、眉をひそめた少女は大きく息を吐くと空に浮かぶ星を寂しそうに見上げた。

「そうね……もう。私は死んでいるのよね……」

 そう小さく呟き、徐に歩き出した少女は漆黒の闇の中へと姿を消していった。


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