第326話 かけがえのない思い出

文字数 3,950文字

 翌日、星が目を覚ますとそこにはエミルとレイニールの姿があった。

 晴れ晴れとした彼女達の笑顔を見て、星も微笑みを返すとゆっくりとベッドから体を起こす。

 レイニールとエミルの表情を見ていれば、何をしてきたのか大体の見当が付く。どうやら、昨晩の覆面の男からのメッセージに間違いはないようだが――だが、それはもう一つの彼との約束を星が守らなければならないといけないということだ。
 
(……そうか、今日で最後なんだよね……)

 察しのいいエミル達に気付かれないように平静を装ってはいたが、その心の中は大きく揺らいでいた。
 もちろん。彼との約束を無下にしようとは思ってはいないが、今日の夜には彼の指定した場所にいかなければならない。星のその視界には、しっかりとその場所が赤いマーカーで示されていた。

 本当なら、すぐにその場所に来るように言うはずだ。しかし、覆面の男はこの一日という時間をくれた。
 
 だが、それは優しさなどではない。その目的は恩情を掛けることで、星に恩を着せ後々の関係性で、主導権を握る為の思惑でやっていることなのは明白だ――それは今までの戦いで、相手よりも先手を取ることにこだわっていた人物だからこそくる小学生如きに、大人の自分が思考力で負けることはありえるはずがないという余裕なのだろう。

 だとしても、この時間は星にとってはラッキーなのは言うまでもない。何故なら、この時間が星がエミル達と居られる最後の時間になるのだから……。

 星はいつものようにタイミングを見計らうことなく、エミルの顔を見上げながら告げた。

「エミルさん。今日はどこかにお出かけしませんか?」
「……星ちゃん」

 真っ直ぐな瞳でにっこりと微笑む星に、エミルも微笑み返すとゆっくりと頷く。レイニールが星の頭に乗り、嬉しそうに笑うと星も笑顔で返した。

 星の手を引いて「さっそく行きましょうか」と告げたエミルに、星は首を横に振った。

「――できたら、みんなで行きたいです」

 こんなことを星が口にするのは珍しい。だが、エミルは珍しく自分の意見を口にした星に満足そうに言葉を返した。

「そうね! せっかくだし、みんなも誘って全員で行きましょうか!」
「主がそんなことを口にするのは珍しいのじゃ、どんな心境の変化か分からないが良い傾向じゃ!」

 エミルの言葉の直後に、頭の上で大きく身を乗り出したレイニールの顔が逆さまに視界に入ってきた。
 直後。再びエミルに手を引かれて星の体が前に大きく動く、それに驚き転げ落ちたレイニールは翼を広げて空中で一回転すると慌てて星達の後を追いかけてくる。

 部屋を出たエミル達が一番に向かったのは、別の部屋で眠っていたイシェルのところだった。
 エミルが彼女の泊まる部屋のドアをノックする。しかし、部屋の中からの返事はなく、その後何度かドアをノックしたものの、部屋の中から返答が返ってくることはなかった。

 そっと部屋のドアを開けて中を覗くと、ベッドの上には下半身だけ黒い下着を身に付けたまま倒れるように眠っているイシェルの姿があった。
 まあ、当然と言えば当然だろう。エミル達が戦闘から帰ってきたのは早朝であり、まだ数時間も経っていない。おそらく彼女は、シャワーを浴びてすぐ強烈な睡魔に襲われて倒れるように寝てしまったのだろう。

 次に向かったのはエリエとデイビッドそしてミレイニが泊まっている部屋だった。
 部屋の前まで来ると、中からエリエとミレイニの言い争う声が聞こえてきた。それを聞いて額に手を当てエミルがそっとドアを開けると、目の前には小虎が立っていた。

 エミルは鎧を着た小虎の肩を軽く叩くと、振り向いた彼に尋ねた。

「小虎くん。なにがあったの?」

 デイビッドが止めるのも聞かずに、テーブルを境に啀み合うエリエとミレイニに視線を向け、彼女達に聞こえないくらいの声で聞いた。

 すると、同じく小声ですぐに小虎がその理由を教えてくれる。

「じつは、互いに今回はどっちが手柄を立てたかで言い争いになって……まあ、僕は行けなかったんですけどね」

 戦闘に参加できなかったことを気にしているのか、どんよりと肩を落とす小虎を励ますようにエミルが言葉を返す。
 
「気にする必要はないわ。あれは私の勝手でやったことだし、メルディウスさんと白雪さんはそれに協力してくれただけなのだから。それに、街を守るのも大事な仕事よ。気にすることないわよ」
「……ありがとうございます。エミルさん」

 その時、エリエと啀み合っていたミレイニが衝撃の一言を言い放つ。

「なら、どっちが早く狼の覆面男を捕まえられるか勝負するし!」
『――ッ!?』
 
 彼女の言い放ったその言葉に、その場にいた全員が顔を青ざめる。
 まあ、無理もない。エミル達が探している時も、手を抜いていたというわけではない。どんなに探しても、その場にいた彼の痕跡すら発見することはできなかったのだ……。

 確かに、夜ではなく日のあるうちに探せば何らかの手掛かりは見つかるかもしれない。だが、それ以上に危険なのが、今まで決してモンスターの群団を切らせることがなかった彼がそれを手放したということだろう。

 今の彼に接触するのは、本来は慎重にするべきな問題であり――ミレイニの言うように宝探しみたいな軽い感覚でやるようなことではない。
 っとその場にいた者達が時間が止まったように、全員ポカンとしながらあんぐりと口を開けていると、ミレイニが廊下に出てシャルルの背中に乗っていた。

 同じく廊下にいた星はその様子を小首を傾げ、不思議そうに見守っている。
 直後。ミレイニが部屋の中のエリエに向かって、堂々と胸を張ったままビシッと指を差して言い放つ。

「あたしとエリエ。どっちが先にあの狼覆面男を見つけられるか勝負だし! 勝った方が今回の戦闘のBBQだし!!」

 そう言い放ったミレイニが我先にと、廊下を滑走するように勢い良く走るシャルルの背中に揺られ、見る見るうちに小さくなっていく。
 あっという間にエレベーターの中に駆け込んだミレイニの姿に、全く状況が読み込めていない星は眉をひそめながら更に大きく首を傾げている。

 部屋にいたデイビッドは素早く廊下を指差すと、小虎に向かって大きく叫ぶ。

「小虎君! あの子を追いかけて! あの子一人で行かせたら何が起こるか分からない。彼女のサポートを!」
「は、はい!」

 慌てて頷いた小虎は急いで廊下に飛び出すと、廊下のカーペットで滑ってバランスを崩すのも気にせずエレベーターの方へと一目散に駆け出していった。
 ひとまず彼がミレイニを追いかけたのを見送ってほっとした様子で大きく息を吐いたデイビッドが、エリエの方を向くと彼女は拳を握り締めて小刻みに震えていた。
 
 見かねたデイビッドが声を掛けようとした時、彼女が突然頭上を見て叫んだ。

「――BBQってなによ! それを言うならMVPでしょ! 行くわよデイビッド。あの子よりも先に覆面の男を取っ捕まえるんだから!!」
「えっ!? 結局争うのか!?」
「当たり前でしょ! 私は負けるのが嫌いなのよ!!」

 デイビッドの手を掴んで強引に部屋の中を飛び出して行った。エミルもそんな彼等を追おうとすると、それを止めるようにぐっと腕を引かれた。

 エミルがその方向を見ると、星が両手で必死にエミルの腕を引っ張って制止していた。
 驚いた様子のエミルと目が合った星は自分がエミルの腕を引いていることに気が付いて、慌てて手を放した。後ずさり俯き加減になった星は、エミルに怒られると思っているのか肩を落としていてその表情は暗い。


 無意識の行動だったとはいえ、仲間が危険な目にあうかもしれないという状況では適切ではなかった。だが、星もこの機会を逃せば次があるのかも分からない状況にあるのは事実。

 まあ、だとしても『一人で来い』と言われている以上、それを口にするわけにいけない。そうなれば、さっきの彼女の行動が適切ではないという方が強いだろう。エミルに怒られるだけならいいが、嫌われても仕方のない行為だったかもしれない。傍から見れば、遊びたいというわがままを優先したようにしか映らないだろう……。

 エミルの顔を見れない星は、衝撃に備えているように俯きながら強く目を瞑っていた。
 すると、星の頬をエミルの手がそっと撫でる。星は目を開けると、驚いた様子で彼女の顔を真っ直ぐに見つめ言った。

「……怒らないんですか?」

 少し震えるような星のその問いに、エミルは首を横に振って答える。

「怒るわけないでしょ? 星ちゃんは遊びに行きたいんだから、あそこは私を止めるのが当たり前なのよ?」
「……でも」
 
 再び俯いて黙り込んでしまう星に、エミルはため息をついて星の肩を掴んで視線を合わせるように膝を折った。

「――子供なんだから大人ぶらない! 楽しい方を優先したいっていうのは普通の事なんだから……それに私は、星ちゃんが子供らしくわがままを言ってくれたのが嬉しいのよ? やっと私に甘えてくれるようになったんだなって、可愛いなぁ~とは思っても嫌いになる理由にはならないわ」
「…………ッ!!」

 その彼女の言葉を聞いて、星は顔を赤く染めるとどうしたらいいのか分からずに俯き加減に視線を逸らす。
 そんな星の手を引くと、エミルがゆっくりと歩き出す。それを見て、今まで様子を窺っていたレイニールもその後を付いていく。

 なおも不安そうな星の表情を察して、エミルが徐に呟く。

「――デイビッドも小虎くんも居るし問題はないとは思うけど、一応紅蓮さんにも相談しておきましょうか!」
「はい!」
 
 エミルのその言葉に大きく頷いた星の明るい表情を見て、ホッと息を吐くとエレベーターに乗り込み、エミル達は紅蓮達のいる最上階へと向かう。
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