第167話 次なるステージへ・・・9

文字数 3,959文字

 手錠をはめ終えたエミルはどうしてこうなったのか分からず、俯き加減で瞳から涙を流している星の頬を、微笑みを浮かべたエミルの両手が包み込む様にして優しく撫でる。

 その手の感触はいつものエミルのものなのだが、突然手錠で拘束された状況では、まるで彼女が別人の様に感じて仕方なかった。

「最初は窮屈かもしれないけど、すぐに慣れるわ……そう、私が甘かったのよ……最初から、大事な物には鍵を付けて繋いでおけば良かった……」
「……エミルさん。どうして……」

 手錠を掛けられた恐怖と不安からか、星は体を震わせながら潤んだ瞳をエミルに向けた。

 その瞳を見て、一瞬だけエミルの瞳にいつもの優しさが戻った気がしたが、すぐに視線を逸らして冷たく言い放つ。

「右手が使えなければ武器は振れないでしょ? これから現実世界に戻るまで、あなたは私が守るから何もしなくていいの。ただ、私の側に居なさい」
「そんなの……」

 星が口を開くよりも先に、エミルがその言葉を握り潰すように告げた。
 
「これは決定なの……異論は認めないわ。これは、これまでの星ちゃんの行動が招いた結果。考えた末に、最も安全で確実な方法だと判断したわ。大丈夫――幸い。トイレは行かなくていいし。お風呂の時はコマンドから装備を外せば裸になれる。食事は食べさせて上げるし。体を洗うのとかも、私が全部やってあげる……星ちゃんは、ただ私の側で微笑んでくれてればいいの」

 確かにそれならば生活に然程支障はない。しかし、それではまるで……。

「……でも、それって。ペットみた――」
「――そうね。まるでペットよね。でも、少なくとも。普通のゲームに戻るまではそうしてもらう……これからは、私の言う事だけ聞く忠実なペットになりなさい星ちゃん……それが、あなたの為なのだから……」

 エミルが星の言葉を遮って無慈悲に言い放つと、星に向けて冷たい視線を浴びせる。

 彼女の言葉はどこか正しいようで、全く正しくない様に感じた。 だが、明らかにその理屈はおかしいと、小学生の星でも分かる。しかし、今の状態のエミルに何を言っても、まともには聞いてもらえないだろう。

 星は助けを求めるように、その様子を渋い顔で見つめているレイニールの方に向けたが、レイニールは助けようとする様子はない。

 っというよりも、その体は小さく震えていて、冷や汗が滝のように流れている。
 その様子から分かるのは、レイニールは動かないというより、恐怖心から動けないのだとすぐに察しがついた。それは、まるでヘビに睨まれたカエルと言ったところだろう。

 レイニールにとって、エミルは天敵と言ってもいい存在――その為、動きたいが動いたら自分がどうなってしまうのかを、レイニールは本能的に分かっているのだ。

 何かに取り憑かれたような、普段とは明らかに違う狂気に満ちたエミルの瞳に、星は底知れぬ恐怖を感じた。

(……体の震えが止まらない。こわい……エミルさんが……まるで別人のようにこわい……)

 全身が震え腰から力が抜けてしまいそうになる……だが、それ以上に込み上げてくる涙が止まらない。

『これが何か悪い夢であって欲しいと、この目の前に居る別人の様なエミルが偽りであってほしい……』

 そう思いながらも、手錠から伝わってくる鉄の冷たい感覚がこれは決して夢ではないと訴えかけてくる。
 そう自覚すればするほど、今までのエミルとの思い出が徐々に壊れていく様なそんな感覚が、星の心を支配しようとしたその時、突然体を誰かに抱きかかえられる。

「あら~。やっぱり子供に、子供の面倒を見させるのは無理だったみたいね~。エ・ミ・ル♪」  
「……えっ?」 

 星は聞き覚えのあるその声の主を確認して驚愕する。

 それもそのはずだ。そこに居たのは紛れもなく先程、外で別れたはずのライラだったからだ。
 瞬時にこの場所に現れたということは、物陰から様子を見守っていて彼女の固有スキル『テレポート』を使ってここまできていたのだろう。

 おそらく。彼女は居なくなったフリをして、どこかで星達の様子を窺っていたのだろう。驚く星に、ライラが視線を落としてにっこりと微笑み掛けた。

「あら、どうしたの? 私が助けるのが意外? それとも、助けてほしくなかったのかしら?」
「えっ……いえ、ありがとうございます?」

 不敵な笑みを浮かべている彼女に、星は少し首を傾げながらお礼を言った。だが、その心中はとても穏やかではない。

 それもそうだろう。星にとって、このライラという人物にはいい思い出がない。

 おそらく。今回も何か企んでいることは間違いないだろう。それ以外に星を助けるメリットが彼女にあるとは思えない。もし、なんの企みもなく純粋に星を助けたいがための行動だったとしても、助けてもらってたことを今の星には素直に信じることができないのだ。

 エミルは自分の左手にはめられた手錠を外すと、鬼の様な形相でライラを睨みつける。

「ライラ。星ちゃんを私に返しなさい!!」
「ふふっ、返しなさい。か……でも残念。今のあなたには、この子を返すわけにはいかないわ。この子は切り札ですもの……そう貴女の勝手で、行動を制限されたら困るのよね~」

 互いに顔を見ながら告げる2人の間に、ピリピリとした空気が流れて部屋中を包む。

 そんな中、ライラは星を地面に下ろすと、エミルに向かって言った。

「そうね。エミルが私との勝負に勝てたら、この子を好きにしていいわよ」
「そんな事をする必要はないわ、ライラ。星ちゃんこっちにいらっしゃい!」

 星は睨みながらそう告げたエミルの顔を見て、表情を曇らせると、近くにいるライラの顔を見上げる。

 すると、ライラは星の肩に腕を絡ませて不敵な笑みを浮かべた。

「私は別にどっちでもいいわよ? もし。この勝負を受けないなら、この子は私が貰うわ。もちろん、テレポートで連れて行く。それを阻むことのできない貴女は……どうするのかしらね~」
「……いいわよ。勝負しようじゃない。前は逃げられたけど、今度は完全に消してあげる。もう今後、星ちゃんを狙う事ができないように……」
「ふふっ、それはどうかしらね~。私には傷を付けられないと思うわよ?」

 完全に頭に血が上っているエミルに向かってライラはそう口にすると、立ち上がり企み顔で星を見下ろした。

 そのライラの表情に、星の嫌な予感が的中する。

 次の瞬間、ライラは後ろから星の両肩を掴むと、自分の前に星を押し出す。

「でも。貴女と戦うのは、この子よ♪」
「……えっ!?」

 思わず顔を青ざめながらライラの顔を見た星にライラは微笑を浮かべた後、膝を折って星の耳元でささやくように言った。

「……大丈夫よ。貴女は自分の能力を使えば、いいだけだから。あなたの固有スキルなら、エミルくらい瞬殺にできるわ」
「……能力?」
「ええ、戦いになったらすぐに剣を突き出してこう言いなさい『ソードマスターオーバーレイ』これで、貴女の勝利は確実だから……」

 含み笑いを浮かべながらそう告げるライラに、星は浮かない顔で言葉を返した。

「でも……私は……エミルさんと、戦いたくない……です」

 そう言って表情を曇らせ俯く星に、ライラは感情なく低い声音でささやく。

「……そう。なら、戦わなくていいわ。貴女は立っているだけでいい。勝負が始まったら、私がエミルの背後から決めてあげるから……もちろん。貴女に拒否権なんてないわよ? この勝負を逃げてもいいけど……その時は貴女を拘束して、この事を知っている人間。つまり、私は貴女のお友達全員を殺さないといけない……この意味が分かるわね?」
「…………」
(……私が戦わないと皆が死んじゃう……)

 星は顔面蒼白で、無言のまま首を横に振った。

 要するにライラは『メモリーズ』の機密保持の為に、星に関わった皆を殺害するとほのめかしているのだ。
 普通ならそんな脅しには屈しないが、今までも何かとしてきたライラが言うなら本当なのだろう。彼女の今までの行動は全く理解できない。

 まるで宇宙人と会話をしている様な……そんな掴み所の全くない彼女に、星は恐怖以外の何も感じられなかったのだ。

 その後、ライラに向かって小さく呟く。

「……わかりました。言われた通りにします」
「ふふふっ、そう。賢い子は好きよ。手間が省けて助かるから……それじゃ、まずは今入っているパーティーから抜けて、それからエミルにこう言いなさい…………って」

 星は小さく頷くと、ライラに言われるがままコマンドからパーティーを抜け、エミルに向かって大声で叫ぶ。

「エミルさん。私と勝負して私の処女膜をぶち破ってみろ。このクソレズビッチが~!!」

 突如として星の口から放たれた言葉に、自分を殺して霞んでいたエミルの瞳に光が戻り、エミルはハッと我に返った。
 その瞳には既に先程まであった影は完全にない。というか、無知な星にライラが吹き込んだことが許せないのか、鬼の様な形相でライラを見据えている。

 言葉の意味も分からずに大声でそう言い放った星の横で、手の平で口を覆い必死に笑いを堪えているライラを、殺意を持った突き刺すような視線で鋭く睨みつけた。

「――ライラ……なに変な言葉を小さい子に教えてるのよ! このクソ女!!」
「あら~。汚れのない子を汚すのが、最高に楽しいんじゃないの。貴女ももう少し大人になれば分かるわよ。エミルも♪」

 全く悪びれないライラに、エミルは怒りで肩を震わせながら、ライラに向かってゆっくりと歩き出す。その直後、ライラは「先に外で待ってるわ」と言い残して、星と一緒にエミルの目の前から姿を消した。

 エミルは慌てて部屋を飛び出すと、外へ向かって全力で走り出す。

 その様子に今まで固まった様に空中で停止していたレイニールもその後を追い掛けた。
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