第328話 かけがえのない思い出3

文字数 3,397文字

 どこか悲しそうにも見える星の横顔を見ていたエミルが、星の体をそっと自分の方へと抱き寄せて耳元で優しくささやく。

「――鏡に映る自分と、イメージの自分が違うから戸惑っているんでしょ? でも、どんなに見ても鏡は本当の姿しか映さないのよ? 私が見ても、鏡に映っている着物姿の女の子は綺麗だもの……今までは分からないけど、貴女もこれから変わればいいと思う。綺麗な着物も可愛い服も着られる為にあるんだし。それに女の子はそういう服を着た時に、心も成長するものなんだから……」
「心も成長する……」

 エミルの言葉に、星は胸の前で手をギュッと握り締めた。
 っとエミルの瞳が眼光を放ったかと瞬間。星の後ろから帯の結び目を解いて、腰に巻かれていた帯を勢い良く引っ張った。

 突然の彼女の不意打ちに、何の抵抗もできずにくるくると回った星は目を回してペタンと地べたに座り込む。
 
 くらくらする頭でエミルを見ると、彼女が手をわきわきさせながら迫ってくる。

「うふふふっ……さあ、まだ着物はたくさんあるんだから、次々に試着してみましょう。私が星ちゃんの着替えと成長を手伝ってあげるから!」
「いやぁ……エミルさん。さっきの言葉が台無しですよ~!!」

 目の色を変えて先程までの彼女とは比べられないほど強引に星の着物を脱がせると、足元に山積みにされている色取り取りの着物を着せていく。

 結局この店で数時間悩み抜いた末に、エミルが選んだのは……。

「すごく似合っているわよ。星ちゃん!」
「…………」

 顔を真っ赤に染めて俯いている星が着ているのは、薄いピンクの布地に桜の花が散りばめられ、帯も濃いピンク色で桜の花が散りばめられているものがチョイスされている。

 落ち着かない様子でもじもじしている星の隣で、エミルは黄色い悲鳴を上げている。

「可愛いわ~。やっぱり、黒髪に合う黒より、黒髪を引き立てる白よりのピンクの方を合うと思ったけど正解ね!」

 興奮気味に語っているエミルも水色の着物を着ている。だが、朝だったはずの太陽はもう真上まで上っていた。
 着慣れない何着もの着物を試着する開放感から気が緩んだのか、星のお腹がぐぅ~っとなった。
 
 顔を赤らめていた星の顔が更に真っ赤に染まる。その音を聞いたエミルはくすっと笑って、恥ずかしそうにお腹を押さえている星の手を引いた。
 
「今朝から何も食べてないんだから当然よね。何か食べに行きましょう」
「はい」

 星が頷くとエミルは手を引いて歩き始めた。

 千代の街は始まりの街と違って、和食が中心の食事処が多い。
 理由としては街の景観を損ねるというものである。だが、現在は防衛の為とはいえ、多くの巨大な杭に仕切られている街に景観を損ねるもなにもあったものではない。

 エミルと歩いていると食事処『魚九』と書かれ、正面の玄関一面に生きた魚が泳ぐ水槽が置かれた建物が表れた。

 壁一面に広がる大きな水槽の中には、数々の種類の魚が泳いでいる。タイにヒラメ、ブリ、サケ、マグロ。アユにイワナ、うなぎなど……っとここまでくれば、誰でもおや?と思うだろう。この水槽の中を泳ぐ魚達は淡水、海水関係なく元気に泳いでいるが、その全てが種類に関係なくホログラムということだ――。

 水属性のモンスターが大量に生息する水の中。何より、このゲームの世界に現実に存在する魚を共に泳がせるわけにもいかない。それこそゲームをしているという実感が湧かなくなり、その世界にあった景観を損ねるというものだろう。

 エミル達が中に入るとカウンター席と、テーブル席があり、どの席も人でごった返し、多くの客で賑わっている。テーブル席はおろか、カウンター席ですら空いていない為、仕方なく店を後にしようとしたその時、店主が呼び止める声が聞こえた。

「ちょっと待って下さい! もしかして剣聖様じゃないですか?」
「……ええ、確かにそう呼ばれてますけど」

 口籠もる星に変わってエミルが答えた。
 その声に反応したのか、食事をしていた客の視線が一斉に入り口に立っていた星へと向けられている。

 すると、1組の客がまだ食事の途中だというのに、徐に帰り支度を整えて席を立つ。

「店主勘定だ! 剣聖様がきたのに、待たせるわけにはいかないからな。俺達がこうして飯が食えるのも、あんた達のおかげだからな! 俺達の席を使ってくれ!」

 すると、その横の席の者達も立ち上がり手を挙げて次々とその場を離れていく。会計を終わらせ、店を出て行く時に星達に頭を下げていく。
 結局。数分の間に満員状態だった店内は閑古鳥が鳴くほどに静まり返ってしまった。こうなると、さすがに帰るという選択肢は取れそうにない。

 とりあえず席に着くと、メニュー表を広げる。メニューはやはり和食しかなく、かっぱ巻きからうな重まで様々な値段のメニューがある。

 なにを頼むかを悩んでいると、店主がある提案をしてきた。

「まだメニューがお決まりでないのでしたら、私の店おすすめの海鮮丼はどうですか? もちろん。料金はサービスさせてもらいます!」

 その店主の提案に星とエミルが困り顔で迷っていると、レイニールが話に割り込んできて。

「うむ。持って来るが良い!」

 っと勝手に返事をすると、店主は頷いて嬉しそうに厨房の方へと歩いていった。

 星はレイニールの体を掴んで、自分の顔の前に連れてくるとむっとした表情で見た。

「なにをそんなに怒っているのじゃ? 人の好意は素直に受けるものなのだ」

 首を傾げ不思議そうに星の顔を見ているレイニール。

 その顔に星は大きなため息を漏らしてエミルの方を見ると、エミルも苦笑いを浮かべた。
 すると、そこに店主とNPCの店員が海鮮丼を持ってやってきた。木の桶に入れられた山盛りの海鮮丼に、エミルも星も度肝を抜かれている中、レイニールだけは喜んで両手で握っているスプーンとフォークで次々に口の中へと収めていく。

 予想していた以上に物凄い量に、星は申し訳なくなったのか店主に向かって口を開く。

「あの……こんなにたくさん。タダで貰うわけには……おいくらですか?」
「い、いえ! お代を頂くわけにはいきません! これは我々からの感謝の気持ちなのです! 本来ならば、こちらがお金をお支払いしなければいけない立場なのですから!」
「……どうしてそこまで? 確かにこの子は剣聖と呼ばれて慕われているのは知ってるけど、こんなことをされても困惑するだけです。まさか下心があってとは思わないけど……」

 口下手な星に変わって、エミルが訝しげな瞳で店主の男に尋ねる。

 店の店主は「下心などとんでもない!」と否定すると、表情を曇らせ大きなため息を漏らし、その重い口を開いた。
 
「……私は元々商売をするつもりでこのゲームを始めました。でも、ふとした思いつきからフィールドに出て戦ったことがありますが、とてもじゃないけどレベルを上げるなんてできませんでした。それなのに、その歳で迷いなく敵の軍勢に向かって走って行く姿を見て感化されない者はこの街にはいませんよ」

 店主のその瞳は嘘を言っているようには感じない。それを察したのか、エミルも深く頷いて海鮮丼の方を向いた。

「せっかくの厚意ですもの、頂かないとバチが当たるわ」
「……はい」

 少し遅れて返事をした星は、目の前に置かれている海鮮丼に目をやった。
 木の桶には確かにマグロにサーモン、タイ、エビ、ホタテ、ウニ、ブリなどの上にイクラが山ほど乗せられていて、その全てが宝石の様に光り輝いている。

 物凄い勢いでバクバクと食べ進めるレイニールを横目で見て、星も箸でサーモンを一切れ持ち上げる。良く見ると、照りのある切り身の表面に浮いているタレと脂が浮き出て、今にも箸から滑り落ちてしまいそうだ――。
 
 生唾を呑み込んでゆっくりと口の中に含むと、口の中いっぱいに旨味が広がる。
 濃くのあるタレと脂が絡み合って、だがしつこくない。身もプリプリとして弾力があり、噛み締めるほどに中から旨味が溢れ出す
感じだ。

 今までにこれほど美味しいお刺身を、星は食べたことがない。
 これほどの味を、容易に再現してしまう味覚を感じるシステムも凄いのだろう。まあ、これもこのゲームがヒットした理由のひとつだ。

 無言のまま黙々と食べ進め、一人では食べきれないと思っていた木の桶いっぱいに盛り付けられていた海鮮丼をぺろりと平らげてしまった……。
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