第92話 名御屋までの道中3

文字数 4,621文字

 その夜。森の入口にテントを張った前の焚き火で紅蓮と白雪が夕食を作っていると、男性陣が徐ろにテントを設置した中から、人の背丈ほどの樽を担いで出てきた。

 彼等のこそこそとした様子が気になったのか、鍋の中をかき混ぜていた紅蓮が彼等に尋ねた。

「マスター。何をやっているのですか?」
「うむ。実はな、メルディウスが紅蓮達の為にと――」
「――あぁー。じじい余計なことは言うな! 紅蓮は気にせずに料理をしててくれ!」

 口を開こうとしたマスターの肩に腕を回して言葉を遮ると、メルディウスがわざとらしく笑った。
 それを不信感に満ちた瞳で紅蓮が見つめると「また何か企んでますね」と怪訝そうに呟く。

 メルディウスは「いや、なにも」と大袈裟に両手を振って首を横に振ると、巨大な樽を担ぎ小虎の耳元でささやいた。

「小虎。お前は俺達が出てる間、しっかり紅蓮達が入らないように見張ってろよ?」
「OK! 任せてよ兄貴。ここは死守するぜ!」
「おう。頼んだぞ!」

 小虎が自信満々に胸を張る姿を見てメルディウスは笑みを浮かべ、マスターと一緒に森の中へと消えていった。

 紅蓮はそれを確認してから、おたまを隣の白雪に渡すとテントの前で仁王像の様に腕を組んで立っている小虎の元へと向かった。

「小虎。その中に何を隠してるんですか? 教えなさい」
「チッチッチッ……それは姉さんでも教えられないな。これは男と男の約束なんだ。男同士の約束は絶対なんだ!」
「…………」

 無言のまま頑なに拒否する小虎の姿勢を見て、紅蓮は少し考える素振りを見せて徐ろに口を開く。

「――そうですか。今日は小虎の好きなカレーなのに残念ですね……サブギルドマスターの私に隠し事をするような子には、白いごはんだけにしましょう」
「――ッ!?」

 小虎はそれを聞いて少し顔を引き攣らせ悩んだものの、すぐに首を振って大きな声で叫んだ。

「中に入られると、サンライズにならないからダメなんだ!」
「……サンライズ?」
(――日の出の事? あっ、サプライズの事でしょうか……相当動揺してるようですし、これ以上は可哀想ですね)

 そう心の中で呟くと、紅蓮は大きなため息を漏らした。

「はぁ~、分かりました。秘密ならしかたないですね」

 そう言ってくるっと身を翻し、呆気ないほどに素直に鍋の方へと戻っていった。
 まあ、メルディウスが悪さをする気ではないと分かった時点で、紅蓮はそれ以上は追求する必要がないと考えたのだろう。

 離れていく紅蓮の後姿を見て、ため息交じりに呟く。

「はぁ……緊張した~。でも僕、守り切ったよ兄貴!」

 小虎はほっと胸を撫で下ろすと、夜空に向かって親指を立てた。

 その頃、森の中へ入って来たメルディウスとマスターは川を見つけ、そこに担いでいた巨大な樽を沈める。

 樽を川に沈めながら、同じ様に樽を川に沈めているメルディウスに向かってマスターが尋ねた。

「メルディウスよ。どうしてあの娘を連れてきたのだ?」
「あはははっ! なんだ? 部外者をパーティー入れるのに抵抗があるのかよ。じじいは女1人で何ができると思ってんだ?」

 メルディウスはマスターの顔を見て、見下すようにほくそ笑む。

 そんな彼の態度に表情一つ変えずに、マスターが言葉を返す。
 
「まだ奴等の仲間である疑いが晴れた訳ではない。初心者の装備なぞ珍しいものでもなければ、入手も困難ではないからな……それに今はこんな状況だ、容姿に関係なく警戒しておくに越したことはない」
「心配には及ばねぇーよ。俺は仮にも大手のギルドをまとめるギルマスだぞ? 人の見る目はある!」

 メルディウスはそう言って力強く頷いた。

(こやつ。おそらく、それほど深くは考えておらんな……)

 マスターは呆れ顔でニヤッと笑みを浮かべている彼を見て、大きいため息をついている。


 水を汲み終えた2人がテントの方に戻ると、短剣を握り締めている紅蓮を白雪と小虎が両サイドから必死に押さえ込んでいる光景が飛び込んできた。

 殺意に満ちた冷たい雰囲気を纏った紅蓮の、突き刺すような視線の先には慌てふためきながら地面に座り込んでいる少女の姿があった。

「姉さん落ち着いて! 別にそんな気にすることないって!」
「そうです、紅蓮様! この方も悪気があったわけではありませんから!!」
「……分かりましたから、2人共放して下さい。この人は私の事を侮辱しました……とりあえず。この人の息の根を止めてから落ち着きます……」

 紅蓮は殺意に満ちた眼差しを向け、2人は「全く分かってない」と大声で叫ぶ。

 無表情だが明らかに激昂している紅蓮の様子に、少女は怯えながら座り込んだままずるずると後退する。

「ひえぇぇぇぇぇー! ど、どうしたのっ!? 紅蓮ちゃん。そんな危ないものを! か、かわいいって言っただけなのにっ!!」
「「あなたはもう黙ってて下さい!!」

 完全に腰が抜けて立てなくなっている少女に向かって2人が叫ぶ。
 そこに溢れんばかりに水を入れた樽を担いで、2人が駆け足で戻ってくる。

 彼等の目の前まで来ると、メルディウスは静かに怒り狂う紅蓮の様子を見て、めんどくさそうに頭を掻いている。

「ああ、紅蓮のNGワードに触れたか……お前達。もうちょっとだけ頑張ってろよ。――って事で頼むぜじじい」
「……なに?」

 メルディウスは不思議そうに首を傾げているマスターに耳打ちすると。

 マスターは眉をひそめながらも「この状況だ。仕方なかろう」と大きなため息をつき、紅蓮の耳元でささやく。

「――紅蓮よ。月明かりに照らされたお主は、まるでかぐや姫の様に美しいな……」
「……美しい」

 マスターのその言葉に、紅蓮はぴたりと動きを止めると、顔を真っ赤に染めながらへなへなとその場に座り込んで、今までのことが嘘の様に大人しくなる。

 この事件で分かったのは、紅蓮はメルディウスだけではなく。誰であっても『かわいい』という言葉に過度な反応を示すということだ。そして『美しい』という言葉に弱いらしい……。

「マスター。そんな、私がかぐや姫のように美しいだなんて……そんな、私はそんな素晴らしい女性じゃ――」

 紅蓮は体をくねらせながら、独り言を口にしている。
 それを見ながら、その場に居た全員が心の中で思っていた『繊細なのか大雑把なのかどっちなんだろう』と……。
  
 メルディウスは地面に置いていた水のたっぷり入った樽を再び肩に担ぐと「紅蓮の事は任せる」と言い残してテントの中に入っていった。その後にマスターも続いていく。

 2人がテントに入って1時間が経過した――。

 一時的に取り乱していた紅蓮も落ち着いたらしく。少女の顔を直視することができずに、ずっと地面を見つめていた。

 それは少女の方も同じようだ――しかし、こちらは怯えているのか、体が小刻みに震えている。
 それもそうだろう。未遂に終わったとはいえ、紅蓮に殺されかけたのだから、彼女が怯えるのも無理はない。

 無論。ゲームのシステム上は対人戦では、装備した武器で対戦相手のHPを『0』にするのは不可能。

 だが、初心者の彼女にそれが分かるはずもなく。おそらく、本気で殺されると感じたのだろう。
 白雪と小虎も2人の気まずい雰囲気にどうしたらいいのか分からず、黙りを決め込んでいた。

 こんな時にギルドメンバーをまとめるのがギルドマスターの仕事なのだが、肝心のギルドマスターは、一般的な物より一回り大きなテントにマスターと篭ったまま出てくる気配すらない。

 そんな時、テントの中からメルディウスが満面の笑みで出てくるなり、大きな声で叫んだ。

「よーし。準備ができたぞ! そんじゃー。女性陣から先に入ってくれや!」
「……あの。急に入れと言われても、何があるか私達は聞いていませんよ? メルディウス」

 不安そうな表情でそう告げた紅蓮に、メルディウスは入ってみれば分かると言わんばかりに、彼女の背中を押してテントの中へと誘導する。

 テントの中へ入った紅蓮は、きょとんとしながらテント内を見渡している。
 そこには檜でできた浴槽から湯気が立ち上っていて、その後ろには富士山の絵が書いてあり。周りを布に囲まれているテントの中にしては、なかなかの銭湯感を醸し出している。

 彼等が樽を担いでわざわざ川まで水を汲みに行っていたのには、こういう裏があったのだ――。

 紅蓮は一歩一歩踏み出して浴槽の方へと近付くと、檜の浴槽の中になみなみと注がれたお湯の中にゆっくりと手を入れた。

「……ちゃんと暖かいですね」

 その発言からして、彼女が最初は疑っていたことが分かる。

 まあ、彼女がそう思うのも無理はない。森の中から持ってきた水がお湯に変わるわけがないし、第一にこの檜の浴槽も疑わしく思えて仕方ない――。

「――この浴槽はどこで手に入れてきたのでしょう?」

 紅蓮はその檜の浴槽について入り口に立っていたメルディウスに尋ねると、彼は恥ずかしそうに口を開く。

「い、いや。それはだな……」

 メルディウスは恥ずかしそうに鼻の先を掻いていると、彼に代わって紅蓮の言葉にマスターが答える。

「その風呂は儂が天王戦の第1回大会の時に貰った物なのだ! 何でも欲しい物をくれると言うのでな。修行の為に狩場に居ることの多い儂がそれを注文したのだが、沸かすのに多くの水を必要でな。なかなか活用できなかったのだ」

 それを聞いて紅蓮が「なるほど」と呟いてため息を吐く。

「つまり、メルディウスはマスターの案に『乗っただけ』ということですか? 小虎が執拗に隠すので何かと思ったら……。まあ、そんな事だろうと思いましたけど」
「なっ! ちがうぞ! じじいがアイテムボックス内を見て、風呂に入れればいいなって言ってたからよー。だから、俺が計画してだな――」

 瞳を閉じたメルディウスが腕組しながら、経緯を説明しているその横で紅蓮が。

「ありがとうございます。マスター」

 っと、マスターに向かってぺこりと頭を下げている。

「――って聞けよッ!!」

 メルディウスはそんな紅蓮に向かって叫ぶと、紅蓮はそれを無視してテントを出た。

 それを見てメルディウスは落ち込んだ様子で地面に手を付いた。
 
「くそ~、どうして俺ばかりこんな役回りなんだ……」
「……どんまいだよ。兄貴」

 どこからともなく現れた小虎が、ぽんっとメルディウスの肩に手を乗せて慰める。

 テントから表に出た紅蓮は、外で待っていた白雪と少女に声を掛けた。

「――2人共、マスターがお風呂を用意してくれました。せっかくのご行為に甘えさせてもらいましょう」
「お風呂ですか!? 私、お風呂大好きなんですよねぇ~」

 少女はそう口にして、ぎこちなく笑みを浮かべている。

「紅蓮様とお風呂……是非、お伴させて下さい! 紅蓮様のお背中、お流しします!!」

 それを聞いた白雪は、一瞬顔を真っ赤に染めたが、すぐに首を横に振って背筋を正した。

 紅蓮は何食わぬ顔で「なら、お願いします」と頷くと、マスターの方を振り向き口を開く。

「マスター。それではお先にお風呂を頂きます」
「うむ。ゆっくり入ってくるといい。儂らは出るぞ! メルディウス」
「ああ、そうだな。行くぞ! 小虎」
「え~、兄貴。僕も姉さん達と一緒に入りたい!」
「却下だ!」
 
 口を尖らせながらそう言った小虎の首元を引っ張ると、メルディウスとマスターはテントを後にする。

 紅蓮達は出ていく彼等と入れ違うようにテントの中に入ると、テントの幕を下ろした。
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