第1話 序章

文字数 7,361文字

『夜空 星』は小学生4年生である。

 赤いランドセルを背負って伏し目がちに廊下を歩いている黒くて長い艶やかな髪、整った顔立ちに紫色の透き通った瞳の女の子。

 ただ、周りを行き交う女の子達よりも明らかに秀でている容姿なのに、着ている服は黒く茶色い地味なズボンを穿いている。
 その足取りは重く、教室の前に来て扉に手を掛けた彼女は大きくため息を漏らす。

 彼女には深刻な悩みがあった。

 それは……。

「うわっ、ノーパン女が来たぞー!」
「今日もどうせパンツ穿いてないんだろ? お前確認してこいよ!」
「嫌だよ気持ちわりぃじゃん。それにあいつ、ズボンしか穿かないからめくれねぇし。確認しようないじゃん」
「警戒してんだろ? バカじゃねぇの? お前のなんかきたねーから、誰も触らねぇって!」

 学校で自分のクラスに入るなり、男子達がゲラゲラ笑いながら私を見ている。

(はぁ~、まただ……もう嫌だなぁ……)

 星は心の中で不満を漏らしながら、自分の机にランドセルを下ろした。

 もうこんな状態が1年近くも続いている。初めは軽い罵声くらいだったのに、どんどんエスカレートしてきて、今では物を隠されたり、仲間外れにされることが多くなっていた。

 今ではこうして、クラスメイトに罵られるのが日常の一部になっていた。
 こういう話をすると大人に相談すればいいだろうという人もいるが、その頼みの大人達もいじめに関しては見て見ぬふりだ。

 それどころか「そのうちなくなる」「お前が何かしたからじゃないのか?」「今は忙しいから後にしてくれ」などと言って、問題を先延ばしにするだけだった。

  どうしてこんな事態になってしまったのか、本人も分からない。だが、1つ言えることは『真実はいじめの当事者にしか分からない』ということに尽きるだろう。

 子供同士のいじめの特徴として、いじめる時は大人にバレないようにするのが基本であり。現実として、その現場を第三者が抑えるのは非常に困難なのだ。いや、状況証拠だけを出しても見て見ぬふりをしていると言った方が正しい。

 星が『ノーパン女』なんて不名誉なアダ名を付けられたのは、去年、3年生の水泳の授業の時のパンツ紛失事件からだった。

 水泳の授業が終わり、教室に戻った星は自分の目を疑った。

(授業の前に穿いていたはずのパンツがどこにもない!!) 

 その事に気がついた星は、慌てて畳んで置いていた服をひっくり返して探した。だが、やっぱりどこにもパンツがない。
 しかし、そういう時に限ってスカートを穿いてきてしまっているもので――仕方なく、保健室までスカートを手で押さえながらゆっくりと歩いていた。

 だが、ふとした時に同じクラスの男子にスカートを思いきりめくられ、その後。パンツを穿いてなかった事がクラス中に知られてしまった――っというわけだ。

 そこから星の悪夢のような毎日が始まったのである。

 今では……。

「おーい。授業始めるから席に着けー」

 授業を始める前に教室に入って来るその先生の声が聞こえた時が、唯一の救いになっていた。

 この時だけは近くに大人がいる。それに授業中は誰にも見られないし、悪口を言われることもない。まあ、授業で先生の話や黒板に集中してるから当たり前なのだが……。

 全ての授業が終わり、下校の時間に事件は起こった。

 星が階段の前に差し掛かった時。誰かに背中を勢い良く押され、階段では受け身も取ることができずにそのまま勢い良く階段から転がり落ちた。

 その時に頭を打ったらしく、衝撃で星はそのまま気を失ってしまう。


 次に気が付いた時には、星は病院のベッドの上に横たわっていた。

 真っ白な病院の天井の一点を見つめてそう呟くと、何とも言えない罪悪感に苛まれた。

「――そっか……私。気を失っちゃったんだ……」

 星の母親は大企業に勤めていて、職場では良い役職に就いている。
 毎月のお給料もそれなりに貰っていた。しかし、だからと言ってとても恵まれた環境ではない。

 何故なら星の父親は、彼女が生まれる前に亡くなってしまい。母親が女手一つで星をここまで育ててくれていたからだ。
 それがこんな病院に運ばれるような大事になってしまったという自己嫌悪に陥って、星は額を手の平で覆いながら大きくため息をついた。

(それなのに、こんな事になって、学校でいじめにあっているのがバレたら……お母さんがどんなに悲しむだろう……)

 そんなことを考えながら、掛かっている布団の中に顔を隠す。

 その時の星の頭の中には、母親になんて説明するべきなのかいいのか、分からなくなっていた。ただ、願うは……いじめにあっていることを先生達が黙っていてくれていることだけだ。しかし、星のその心配は直ぐに、無駄な心配だったのだと痛感する。

 病室に入ってきた母親の第一声は「どうして階段なんかで遊んでたの!」だったからだ――。

 おそらく。事故が起きたことで、教師達が問題の隠蔽の為に架空のストーリーを作り上げ、星の母親に伝えたのだろう。
 それを聞いた星はほっとしながらも、少し残念な気持ちになる。『もし大人の人に知ってもらえれば、もしかしたら状況が良くなるかもしれない』と一瞬でもそんなふうに考えてしまったからだ。

 だが、今は母親に迷惑を掛けないことが一番だと感じて、星は教師達が描いた架空のストーリーに乗るしかなかった。

 心配そうな表情で、星の顔を見つめている母親に笑顔を見せると。

「えへへ、ちょっと失敗しちゃって……でも、そんなにケガしなかったし。大丈夫だよ……お母さん」

 呆れ気味なため息をつくと母親が星に向けて告げる。

「はぁ~。女の子なんだから、気を付けないと駄目でしょ? ……全く。本当にしょうがない子ねぇ~」
「……ご、ごめんなさい」

 星はしょんぼりしたまま、掻き消えそうな小さな声で謝った。

 心のどこかには『本当は誰かに押されて落ちた』と、真実を言いたい気持ちもある。だが、内向的な性格の星が、親を前にしてそんな事を言えるわけもなく……。

「そういえば……お母さん。お仕事は……?」
「少し抜けてきただけだから、本当は休もうと思ったんだけど――この様子なら、大丈夫そうね。お母さんは会社に戻るけど、もう大丈夫?」
「……うん。大丈夫」

 星はその言葉に小さく頷くと、軽く笑みを浮かべた。

(もし。ここでお母さんに、私がいじめられてるって言ったらどうなるだろう……)

 頭にふとそんな考えが浮かび、星はすぐに我に返ってその考えを振り払うように首を左右に振った。

 確かに親に言えば、何かは変わるかもしれない。だが、もしいい方向に変わらずに、もっと酷いことをされるかもしれないと思うと、もうそれ以上の言葉が出なかった。


 翌日。普段通り学校に登校すると、廊下で同じクラスの皆がくすくすと笑って星を見ていることに気が付く。

 星はなんだろうと思って教室に入ると、自分の机の上に花瓶が置かれていた。

(……なにこれ?)

 それを見た星は衝撃を受ける。

 本来机の上に花を置くという行為は、亡くなった生徒を弔う時に行う行為であり。それは間接的に、星に死ねと言われていることと同じなのだ。

 星はその心無い行為にクラスの生徒達の真意を悟ると、目頭が熱くなり高まる気持ちを抑えきれずに学校を飛び出してしまった。

 結果としてこの日、星は初めて学校を無断で休んだ――。

 今までどんなことがあっても、風邪以外で学校を休むことのなかった星には、学校を休んだ後に行くところなど見当もつかない。

 だが、家に帰れば学校から電話が来るということも分かりきっていたし、気のおもむくままに歩いた。

「はぁ~。ついにやっちゃった……」

 自己嫌悪に苛まれながら、とぼとぼとあてもなくさまよっていた途中。橋の上でふと、今朝の出来事を思い出し足が止まる。

 今居る橋の上から川を見下ろし「ここから飛び降りたら死ねるのかな?」などと、つまらないことを考えてしまう。
 しかし、勢いだけで飛べるわけもなく。更に憂鬱な気分になりながら、繁華街を歩いていると、ふと大きなゲームショップの前のチラシに目が止まった。

『今、世界的に有名なオンラインゲーム【フリーダム】でゲームを現実にしよう!』

 普段は何も感じないそんな平凡なうたい文句が、今の星には凄く魅力的に感じてしまうから不思議である。

「――ゲームを現実に……そうできたらいいんだけどね……」

 チラシのうたい文句を見た星はそう小さく呟く。

 星には幼いながらも分かっていた。どんなに否定しても、結局は現実に戻らなければ生きていけないということを……父親も星が生まれる前に亡くなり。普通の子供よりも、大人の顔色を窺うスキルだけが発達して、それと比例するように徐々に子供らしさを掻き消していることに――でも、それは間違いなく自分の為ではない。

 テレビから流れる連日の様々な非人道的で酷い事件などの放送を見る度に、母親に迷惑を掛けないように自分はいい子でいなければならないという社会性が、星にいい子を演じさせているだけだ。

 しかし、星も年相応の普通の子供――本当はもっとわがままを言いたいし、もっと自分に構ってほしい。母親に優しく抱きしめてほしいという欲求がないわけではない。

 だが、そんなことが素直に言えないほどに、今の彼女の心は荒んでしまっていたのだ。

「はぁー。私のなにがいけないんだろう……」

 大きなため息をつくと、目の前のゲームショップのガラスに映る自分の姿が実際よりとても小さく弱々しく見えて仕方ない。

 そして次の瞬間には、夢が覚めた様な現実が星の頭を過る。

(普通なら学校にいる時間なのに……こんなところで何してるんだろう私は……)

 そう考えると、やるせない気持ちが溢れてきて、星はまた大きなため息をつく。

「お嬢ちゃん。どうしたんだい? そんな大きなをため息をついて……」

 その声に星が後ろを振り向くと、そこには20代くらいのダメージの入ったジーンズにTシャツというラフな格好に、黒い短髪の男がにっこりと微笑みながら立っていた。

 人と話すのに慣れていない星は、少し戸惑いがちに一瞬視線を逸らして返事をする。

「えっと……な、なにか私にごようですか……?」

 緊張した様子で星は怪訝そうな目でその男性を見た。

 彼女のその問い掛けに、男は笑顔で応える。どうやら悪い人ではなさそうで、星はほっと胸を撫で下ろす。

「実は、僕はねー。このゲームの宣伝をしている者なんだ」
 
 そう言った男は、ゲームショップのガラスに張られているポスターを指差す。

 星ももう一度ポスターを見ると、男の方を向き返し。

「そうなんですか」

 っと返すと、男は星の顔を見てにっこりと微笑む。
 
「そうだ! 君には特別に、これをあげよう!」 

 すると、徐に上着のポケットから茶色い四角い箱を取り出し。強引に星に手渡して、その箱を見下ろした星は男に向かって箱を突き出す。

「……こんな物受け取れません。私、お金とかないですし。それに、お母さんに知られたら怒られますし……」
「――大丈夫大丈夫。これはね、試作品だから商品じゃないんだ! 売り物にならなくて、余ったまま帰ると会社に怒られちゃうしさ。僕もどうしようか困ってたんだよ。だから、貰ってほしいんだ。それはもう君の物だよ!」

 星は自分の手の中にある箱を見下ろした。

「でも……やっぱり私……」
「もしも申し訳ないと思ってるなら、是非遊んでみてね! 君が遊んでくれるだけで、他の人の為になるんだから」
「他の人の……ため?」
「――そう。だから、必ず遊んでね!」

 不思議そうな顔をして首を傾げた星に、そう言って男は去っていってしまう。

 まるで嵐の様な不思議な男性に、断る暇もなく強引に渡された箱を星はじっと見つめて大きなため息をつく。

「これってやっぱりだめだよね……明日、あの人に返そう」

 そんな独り言を呟きながら、星はとりあえず家へと帰った。


 その夜。寝室で寝ていた星は、遅くに帰ってきた母親にひどく怒られた。
 まあ、無断で学校を休んだことが教師から母親に知らされたのだろう。珍しく早く帰ってきた母親に、星はこっ酷く絞られた。

 だが、星は「体が痛かったから」と言い訳をして、何とかその場を収めることができた。
 長いお説教から解放され、自室に戻ってきた星は疲れきった表情で自分のベッドの上に身を投げ出した。

 そんな時。ふと自分の机を見つめると、そこには今日貰った四角い箱が置いてある。

『もし申し訳ないと思うんなら遊んでね』男性の言葉が頭の中で何度も繰り返される。

「――遊んでね……か」

 星は無造作に机の上に置かれた箱を手に持つと、とりあえず箱を覆う包み紙の封を切った。
 包装紙がぐちゃぐちゃになりながらも慣れない手付きで包み紙を開き箱を開く。
 すると、その箱の中にはシルバーのブレスレットと説明書が入っていた。

「えっと……この器具を装着して、外側の緑の電源ボタンを押すと、ゲームが起動されます。あなたに神の加護がありますように?」

 星はそれを読み終えると、不可解な文章に不思議そうに首を傾げる。

 それは説明書というには短く。また起動の方法は書いてあるものの、終了の仕方は書いていなかった。

 しかし、不審な点はあるものの、恐る恐るそれを手に取った。

「ちょっと怖いかな……」

 星はそう言いながらも、腕にはめて説明書通りにリング中央の起動ボタンを押した。

 ここで止めないのが恐怖より好奇心が強い子供独特の行動なのだろう。すると、突然左手首に巻いたブレスレットが強く光り出す。

 っと同時に体が熱くなり、全身が光に包まれていく。

「こ、ここは……?」

 気が付くと、星は見慣れない家のベッドの上に仰向けに倒れていた。

 辺りを見渡すと、ベッドの横の花瓶にバラの花が刺さっている。

(もし。ここがゲームの中ならケガをしないはず……)

 星はゆっくりと花瓶の花を抜き取った。

 しかし……。

「……いたっ!」

 指に走った鋭い痛みに驚き、慌てて花から手を放す。その後、指を見た星は不思議そうに首を傾げた。
 それもそのはずだ。不思議なことに、星の指には何かで刺されたような傷はあるものの、血は全く出てこないのだ。

 普通なら針の穴程度でも、先端からじんわりと血が出るはずなのだが。

「う~ん。とりあえず外に出てみないと……」

 星が部屋の扉を開けると、突然目の前に緑色のコマンド入力画面が現れた。そこには【生年月日、氏名、電話番号、性別、同意証明】と表示されている。

 星は指示通り順番に入力していくと、その次に【Name】と表示された。

 突然現れた英語に少し戸惑いながらも。

「名前を入れた後にまた名前を入れるの?」

 っと疑問を持ちながらも、星はもう一度『星』と目の前の画面に、今度は名字を抜かして自分の名前だけを入力し、下に表示された【ENTER】を押した。

 その直後。表示されていたコマンド画面が消える。

「ふぅ~。やっと終わった……」

 緊張していた星は安堵したのか、大きく息を吐く。

 そして、もう一度小屋の中を見渡すがそこには人影はない。徐々に星の心に不安が込み上げてきた。

 それもそうだ。殆ど好奇心に任せて行動していたが、今いるのは自分の部屋ではなくおそらくゲーム世界――痛みがあるということがどうしても頭から離れない星は、現状を把握する為に、もう一度体を動かして状況を整理する。

 体は至って正常そのものだ。物を持てばその感覚がしっかりと感じ取れるし、しっかり地面を蹴って歩いている感覚もある。
 外傷を負えば肉体に痛みもある。ないものといえば、手に持った物の重さくらい――。

 ここがとてもゲームの中の世界だなんて、言われなければ、おそらく、絶対に分からないだろう。
 今まで生きてきて、星はゲームというものには触れたことはなく。この後、どのような行動をすれば良いのか全く見当がつかない。

「あっ、そうだ! とりあえず、外に出てみるんだった!」

 星は思い出したようにトコトコと廊下を走り出すと、木材で出来た床の突起に足を取られた。

「――ふにゅッ!!」

 地面に顔面を強打し、思わず変な声が出てしまった……。

「うぅぅ……い、痛い……」

 星は打った顔を押さえながら、出そうな涙をぐっと堪えた。
 その後、ゆっくりと立ち上がり、再び外に出ようと今度は慎重に歩いて玄関の扉を開けると、光に包まれ再度目の前にコマンド画面が現れた。

 しかし、今度のは打ち込むわけではなく。どうやら、選択するタイプのようだ。

「えっと……種族?」

 そこには【ヒューマン】【エルフ】【ボディービルダー】の3種類が画像付きで表示されている。
 まあ、明らかに種族とは呼べないであろう最後の1つは、ここではあえて触れないでおこう……。

【そのボディービルダーは防御力、攻撃力にボーナスがある。しかし、スピードのパラメーターが最初から低めに設定されている。
 エルフは防御力が低い代わりにスピードと弓装備時は攻撃力1.5倍のボーナスがある。また、複数個の矢を同時に放てるようだ。
 ヒューマンは全てが平均的でバランス型といった感じで可もなく不可もなくと言ったところだろう。】

 このことから見て、このゲームではこの3種類の種族で構成され。しかも、それぞれ違う特徴があるのは間違いないだろう。

 そして最初の種族選択は、今後のゲームを左右すると言っても過言ではない。
 しかしながら、そんなことをゲーム初心者の星が知っているわけもなく。彼女は迷わず自分の容姿に一番近いヒューマンを選択してしまう。すると、次に表示される画面に彼女は戸惑う……。

 何故なら視界に表示される赤と青の文字の『タフネス』『スイフト』という選択肢の意味が全く分からなかったからだ――。

 教えてくれる人は居らず、これも自分で決定する他ない。考えた末に、星は遂に決断する。

「う~ん。スイフトの方が響きがいいから、これにしよ!」

 時間を掛けた割に随分と安易な考えで、星はスイフトを指で押して選択した。すると、光が徐々に収まり。次の瞬間、目の前に広がる光景に星は息を呑んだ。

 それもそうだろう。彼女は今、区画整理された広大な森に囲まれた家の前に立っていた。
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