第377話 母として3

文字数 2,417文字

 九條の手が乗っている肩にほんのりと温もりを感じるのが、不思議と星の大きくなっていた心臓の鼓動を小さくしてくれた。
 落ち着きを取り戻した星はまな板の上のにんじんを見つめながら大きく深呼吸をして握っていた包丁をストンとにんじんに落とす。

 思っていたよりも上手くスムーズに切れたことに驚いた様子の星に、九條が優しい微笑みを浮かべながら褒める。
 それに少し照れた様子を見せた星だったが、一人で切った最初の一切りが上手くいったからか九條に褒められたからかもしくはその両方か。気を良くして次々と手際良くにんじんを刻んでいく。

 にんじんをみじん切りにし終えると同じく玉ねぎとピーマンもみじん切りにしていく。ピーマンを切る時は少し気が進まないのか、眉をひそめながら苦い表情をしていたが、苦手な食べ物でも嫌だと拒否しないのが星らしいと言えばらしいのかもしれない。

 次に鶏肉を切ろうとしたのだが、肉を切ることに抵抗があるのかこれだけは九條に全てやってもらった。
 その後、九條は油を敷いたフライパンにご飯とトマトケチャップを加えて素早くかき混ぜて、頃合いを見て星が自分で刻んだ野菜と九條の切った鶏肉を加えた。

 全ての食材をフライパンに入れて混ぜ合わせる中で、トマトケチャップや野菜、鶏肉の焼けるいい匂いがキッチンに漂ってきて星も楽しみなのか体が自然と動いている。
 
 チキンライスが完成するとそれを皿に載せて使っていたフライパンを一度洗ってから、生卵を数個入れたボールの中でかき混ぜて油を引いたフライパンの上に垂らして丸く成形していく。

 それを見た星はこれからどんな料理ができるのか分かったのか、星は我慢できないといった様子で瞳を輝かせながらそわそわしている。そんな星の様子を見て笑みを浮かべながら焼けた黄色い卵をまるで布団でも掛けるように優しく皿の上に盛られたチキンライスに被せた。
 
 完成したのは子供が大好きな定番メニューであるオムライスだ。それは星も例外ではなく――。

「オムライスだ!」

 珍しく声を上げた星に九條がくすっと笑う。だが、当の本人はそんなことに気が付く素振りもなく湯気が出ているできたてオムライスに釘付けになっていた。
 まあ無理もない。料理を禁止され外食に行く機会もない星にとって、オムライスを食べる機会なんてスーパーのお惣菜コーナーに運良くあれば食べれるくらいのものだ。

 オムライスをキラキラと輝く瞳で見つめている星の隣にいた九條がトマトケチャップを手に黄色い卵の上に何かを書き始め、星もそれを興味津々に見つめている。

「はい、描けたわ!」
「……これはネコですね!」

 オムライスにはネコの顔が描かれていた。

 それを見つめている星にオムライスをテーブルに持っていくように言うと、九條も自分の分にもネコの顔を描くと星が先にいったテーブルへと向かった。

 テーブルでは星がいまかいまかと九條の到着を待っていた。そしてオムライスを持った九條が席に着くと、2人は手を合わせて「いただきます」と言ってオムライスを食べ始める。

 持っていたスプーンでオムライスを割くと中から熱々のチキンライスが現れる。それを上に乗った黄色い薄焼き卵と合わせて口に運ぶ。

 スプーンに乗ったオムライスを口に含むと、星は驚いた様子で目を見開くと次々とオムライスを食べ進めていく。

 それを見た九條が「おいしい?」と聞くと星は「はい。とっても」と言葉を返した。

 ゲーム世界で四天王と呼ばれるバロンの妹。フィリスとギルドホールのルームサービスで頼んだ時、そのオムライスの味もとても美味しかったが、自分で作ったオムライスはそれ以上に美味しく感じた。
 
 嬉しそうにオムライスを食べ進めている星を満足そうに九條が見つめている。
 すると、突然壁に掛けていたスーツのポケットから音楽が鳴り出す。それに驚いた星は思わず食べるのを忘れてスーツの方を見た。

 九條は食べるのを止めて掛けてあったスーツのポケットから四角い鉄製の何かを取り出して廊下の方へと歩いていく。

 廊下に出てきた九條は長方形の端末の中心にあるモニターに表示されている文字を確認した。

【要人の護衛任務中止。即座にアメリカに帰還せよ】

 業務連絡のようなその短い文面を見た九條は眉をひそめながら端末の電源を切った。

 九條が渡されていたその短い連絡を入れる為のもので、本来ならば緊急時の連絡用に渡されていたものだ。しかし、それは星の叔父の遠藤豊からの発信ではなく九條側からの連絡だけであったはず。

 それが向こうから発信してきたということは、彼自身に何らかの不測の事態が発生しているということになる。九條はそれを察して端末の電源を落としたのだ――。

 理由はGPSによる逆探知が可能な端末だからだ。星の護衛に関して九條に一任されている。こういう事態も想定に入れていない九條ではない。
 本来は星を自宅に帰した後、何らかの問題が発生したらすぐにでも他の場所に彼女を連れていかなければならないのだが、今の九條はそれを躊躇してしまっているのが事実だ。

 その理由は星の中にまだ亡くなった母親がいるからだった。今までの生活で星の母親のふりをしていたが、それはその通りの意味で星が一度だって九條のことを本気でお母さんと呼んだことはなく、ただの家族ごっこでしかない。

 無理やりこの家から連れ出すこともできるが、そんなことをしても星は必ずこの場所に戻ってきてしまうだろう……。
 
 それだけ星の中では母親の存在が強いということなのだろうが、それが九條にとっての障害になっているのだ。だが、星の叔父である遠藤豊になんらかの異常事態が発生した今。九條は少しでも星との信頼関係の構築を急がなくてはならない。

 深刻そうな顔をしたまま星の待つリビングの方を向くと、ゆっくりとリビングへと歩き出した。


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