第222話 奇襲前夜3

文字数 2,501文字

               * * *

 そんなことが部屋で話し合われていることなど露知らず。

 エミルに手を引かれ星が脱衣所までいくと、エミルは険しい表情で終始無言のまま着ている服を脱ぎ始める。
 普段とは明らかに違うエミルの様子を敏感に感じ取ったのか、あえてなにも喋ることもなく星も服を脱ぐ。

 着替えている間に何度かエミルの顔を見ようとしたのだが、星が見る度エミルはあからさまに目を逸らす。
 広い空間の中。シーンと静まり返った脱衣場で、星はエミルに目を逸らされる度、今まで仲良くしてきたことが嘘の様に思えて辛かった……。

 服を全て脱いで一糸纏わぬ姿になると、一足早く着替え終えていたエミルがそっと手を差し出す。やっと目を合わせてくれたエミルの瞳は、どこか悲しそうに見えた。

 浴室に入ると洗い場でいつもの様に星の体をエミルが洗ってくれる。だが、素手で洗われるのはどうしてもくすぐったくて慣れない。

 湯気で視界が霞む中で背中、腕、足と洗っていたエミルの手が突如止まり、後ろから抱きつくように星の小さな体を抱く。
 ゆっくりと肩に回された細い腕は、微かに震えていていつもと変わらないはずの体温も心なしか冷たく感じる。

「……エミルさん?」

 星がエミルの方へと振り向こうとした時、その耳元でエミルがささやくように尋ねる。

「――星ちゃん。もしも……もしもよ? もし、あなたにしかできない事があって、でも自分は死んじゃうかもしれなくて――それでも、多くの人を助けられるとしたら……あなたは……どうする?」

 その声は微かに震えていて、その声を聞いた星はエミルの方を振り向くのを止め、前を向き直すとゆっくりと瞼を閉じて考える。

 そして数秒考えた後に、徐に口を開き聞き返す。

「――それにエミルさん達も含めますか?」 
「……ええ、そうね……」

 小さく弱々しい声で返した彼女の言葉に、星は微笑みを浮かべると、ゆっくりと天井を見上げた。

 湯気で霞む視線の先からは柔らかい光が降り注ぎ、自分を照らしている。

 この時、すでに星の心の中には一切の迷いはなかった。
 もちろん。死んでしまうのは嫌だ……でも、せっかくできた大切な人達を失うのはもっと嫌だった――どっちも救えるならそれに越したことはない。だが、どちらか片方しか選べないんだとしたら……。

「――そうですね……でも、たとえ死んじゃうとしても。大事なお友達を守れるなら、私はそれでも幸せだと思います」

 星は体に巻き付いているエミルの震える手に、自分の手をそっと重ねて言葉を続けた。

「……だって何も知らない私がここまでこれたのは、エミルさんやエリエさん。デイビッドさんにカレンさん。それにレイ……みんなのおかげだから……」

 最初にエミルがこの話を切り出した時。いや、脱衣場での彼女の様子から薄々勘付いていた。

 その最中。突然『自分一人が犠牲になり。他の人を守れるなら』そう問われ、星の中で全てが繋がった。自分が死ぬかもしれない……だが、いつも一人で生きてきた星には、一人でなんでもしなければいけなかった星にとって、日々の生活は既に死んでいるようなものだった。

 学校で執拗な嫌がらせを受け、自宅に帰っても一人で過ごす日々は空っぽで、なんとも言えない虚しさだけが募っていた。

 自分の居る世界が真っ白で、そんなまっさらな世界の中に自分はいつも1人だった……頼る者もおらず。すがりつく物もなく、買い物で見た姉妹が星にはとても眩しく見えていて、きっと姉妹が居ればこんな真っ白な世界でも、少しは色付いて見えるのだろう。と考えた時期もある。

 現実の世界は子供である星にも無慈悲で、社会はいつも扱いやすい子のいい子という価値観を押し付けてきて、それをいつも素直に受け入れてきた。

 それはもう、自分の個性が消えてしまうのではないかというほどに――――。

 だが、このゲームの中での生活はそんな何もなかった単調で無意味な日常に光をくれた。

 毎日が衝撃と感動の連続で、こんなに誰かと一緒に過ごした楽しい時間は、星のこれまでの人生の中で奇跡に等しい時間だった……たとえ、その代償が自分の命だったとしても何の不思議もなく、当然のもののようにも感じるほどだ……。
 
「……ごめんなさい。星ちゃん……ごめんなさい……」

 耳元で泣きながら何度も謝るエミルに、星は不思議そうに首を傾げた。 

「……どうして謝るんですか? 私はすごく楽しかった。始めは色々不安な事、怖い事もありましたけど……でも、今は全部忘れられない大切な思い出です……だから、エミルさん。泣かないで下さい。エミルさんは私といて楽しくなかったですか?」
「……いいえ。色々あったけど、すごく楽しかったわ」
「なら、良かったです!」
  
 その言葉を聞いてエミルの方を向き変えると、満足げににっこりと微笑んだ。エミルの『楽しかった』という言葉が聞けただけで、星には十分過ぎた……。 

 今までの出来事の嫌なものだけが消え、楽しかった日々の記憶だけが走馬灯の様に駆け巡ってきた。

 瞼を閉じて感慨に耽るように、流れていく思い出を噛み締めながら静かに頷く。

 次に瞼を開いた星は決意に満ちた瞳で、もう一度エミルに尋ねた。  

「私は最後に何をしたら良いのか教えて下さい。エミルさん……」

 だが、その言葉に彼女が答えてくれることはなく。

 エミルは星の体をしっかりと抱きしめると。 
   
「いえ、もういいのよ……私が間違っていたわ……岬を失って……またあなたまで失うところだった……許してちょうだい……」

 一瞬頭の中が真っ白になった。

 もう、自分は最後になにかして死ぬものとばかり思っていたのだから無理もない。

「……えっ? でも、私がしないと……皆が……」
「いいの……きっと別の方法があるわ。なくても、私がなんとかする!」

 涙を流して星の体を抱きしめながら、エミルは力強くそう宣言した。その自信に満ちた声音に、反論なんてできるわけがなかった。

 星もその言葉を聞いて、深く頷くと「無理はしないで下さいね」とエミルの体をぎゅっと抱きしめ返した。


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