第272話 混浴2

文字数 2,877文字

 首を傾げている紅蓮に、エリエが苦笑いを浮かべながら言った。

「いや、ダメではないんだけど……私じゃダメなの?」

 紅蓮は困惑した様子で少し考える素振りを見せると、困ったように普段より手探りな感じの弱い声で。

「……ですが。広範囲系の固有スキルを持っている方が、皆さんのギルドではデイビッドさんとイシェルさんしか……」
「でも、どうして広範囲系の固有スキル限定なの?」

 聞き返してきたエリエの質問に、紅蓮は自信を持って応えた。

「それは簡単です。後詰めと言っても、正面切って戦闘に参加してもらう訳ではありません。つまり、我々が対応するまでの間。敵を一瞬だけ足止めしていただければいいんです。数では圧倒的にこちらが不利なのですが、私のギルドで広範囲攻撃を行える者が少ないので……マスターの仲間の方なら安心してお任せできます」
「……でも、どうして2人だけなの? 私達全員じゃダメなの?」
「そうだ。俺も君達の役に立ちたい! ギルドホールに住まわせてもらってるし。師匠がいたら、きっと紅蓮さんを助けてやれと言うはずです!」

 エリエの言葉に便乗するようにカレンが声を上げると、今まで大人しめで話していた紅蓮が突然声を荒らげる。

「それはできません! 『THE STRONG』サブギルドマスターとして、マスターから皆さんを任せている以上。メンバーの方々を全力で守るのが私の使命でもありますから」

 紅蓮の普段の彼女とは比べ物にならないほど、彼女の瞳は決意に満ちていた。それだけ、紅蓮に取ってマスターの仲間は彼と同じ位に大事なものなのだろう。

 マスターの居ない今。仲間であるエミル達に、もしものことがあれば彼に顔向けできない。

 彼女は本気で今回の戦闘で犠牲者を出さないつもりのようだ――その為、マスターの仲間達を全員連れていってしまうと、そちらの方に注意が向いてしまってギルドメンバー達への注意が疎かになるかもしれない。

 その結果。ギルドの仲間達を失うことは、紅蓮にとってそれだけは最も避けなければならないことなのだ。
 まあ、もう一つの原因は、エリエ達を全員連れていくと、もれなくミレイニが付いてきてしまう可能性がある。一番なにをするか分からない不安要素を、紅蓮は察したのかもしれない……。

「とりあえず。今回に限って言えば、できればデイビッドさんとイシェルさんにお願いしたいのですが、最悪の場合はデイビッドさんだけでお願いします。よろしいですか? デイビッドさん」
「もちろん! 俺で良ければよろこんで!」

 彼女の要請にデイビッドは力強く頷くと、紅蓮も「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。

 頭を下げた紅蓮にデイビッドは慌てて頭を上げるように促すと、ゆっくりと頭を上げた。
 っと、突然。紅蓮が微かに眉をひそめると険しい表情で目の前を見つめ、指を宙で軽く横に動かすと、すぐに普段と同じ表情に戻り。

「――明日の事でメルディウスから呼び出しが掛かりました。私は外しますが、皆さんはゆっくりと羽を伸ばして下さい。それでは」

 そう言い残すと、紅蓮はお湯から上がり。そのまま、少し早歩きで浴室を出ていってしまう……。

 紅蓮が慌てているのはエリエ達も見たことがなかったが、なにか大きなことが起きていることだけは理解できた。しかし、今はそんなことよりも。この状況下に水着姿の男女が放置されたということの方が重大な問題なのは言うまでもない。

 何故かカレンは普段と違ってしおらしくなっていて、顔を真っ赤にしながらお湯に肩まで浸かったまま殆ど動かないし、ミレイニは水着のままお風呂の中を平然と泳いでいる。

 デイビッドもいたたまれないと言った表情でお湯には浸かっているものの、その視線は終始天井を見上げていた。
 気まずい雰囲気が流れる中、数十分が経過していたのだが、全く状況に変化はなく。エリエもカレンもデイビッドも誰一人として声を発しようともしない。

 さすがにその空気に耐えられなくなったのか、デイビッドが湯船から徐に上がると出口に向かって歩き出す。
 が、それをエリエが慌てて浴室を出ようと思っていたデイビッドを呼び止める。しかし、エリエはすぐには言葉を発しようとはしない。

 もじもじしながら、言い難そうにエリエが徐に告げた。

「――そうだデイビッド。イシェルさんにさっきの事を伝えてきてよ……」
「どうして俺が……」
「……私はイシェルさん苦手なのよ。デイビッドなら知ってるでしょ?」

 少し怯えた様子でそう告げたエリエに、デイビッドは「ああ……」と何かを思い出したように仕方なく頷いた。
 彼の反応だけ見ても、エリエとイシェルの間になにかあったことは間違いないようだ。まあ、トラウマを植え付けるほどのことなのだから相当なのだろう……。

 
 エリエと別れたデイビッドがイシェルの宿泊している部屋に着くと、ドアを軽くノックする。
 しかし、中からは返答はなく。どうやら、イシェルは会場で彼等と別れてからまだ帰ってきていないらしい。

 試合が終わりお風呂に入ったりしていたデイビッド達は数時間が経過しているはずなのだが、イシェルはいったいどこにいったのだろうか。

 ゲーム世界に閉じ込められる前から、イシェルはエミルと行動を共にしていることが多かった。
 もちろん。千代に来たことも一度や二度ではない。しかも、千代に知り合いがいるなんてイシェル本人からも聞いたこともなく。それどころか、エミルやデイビッド達以外にフレンドがいると聞いたこともない。

 普段から、エミルにしか興味を示さないイシェルが、ここ千代で何かを探しているとも思えない。

「……なら、イシェルさんはどこに……」

 デイビッドは顎の下に手を当て考え込んでいると、突然何者かに肩を叩かれた。

 振り向くと、デイビッドの頬に細くてしなやかな指先が当たった。

「――デイビッドくん。いったいうちの部屋の前でなにしとるん?」

 そこにいたのはにっこりと微笑んでいるイシェルの姿だった。
 彼女がなにをしていたのかは分からないが、その表情からは微かに疲れの色が見えた。しかし、イシェルはそれを隠しているようだ。

 デイビッドはイシェルに明日の作戦のことを告げると、彼女は拍子抜けするほどあっさり了承した。

「――話はそれだけなん? なら、うちは少し寝るわ……」
「そうか、分かった。食事はどうする?」
「それも部屋で済ませるから心配せんといて……」

 頷くデイビッドに、イシェルは軽く微笑みを浮かべてゆっくりと部屋へと入って行った。それを見届けると、デイビッドはゆっくりと長い廊下を歩いてエレベーターの方へと向かう。

 部屋に入ったイシェルはドアに凭れ掛かり、デイビッドの足音が遠ざかるのを確認するとドアに背を向け、力なくずり落ちるようにして座り込んだ。

 疲れきった表情で虚ろな瞳で、自分の姿を映し出している窓ガラスを見つめ。

「はは……なんちゅう顔しとるんや。うち……せやけど、やったよエミル。これでもう……悲しい顔させなくてすむ……」

 そう呟くように言うと、項垂れるように意識を失った。
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