第216話 エルフの男と触手の大樹2

文字数 4,419文字

 城から出た星は森の中を進んで行き、ちょっと開けた場所に出るとぎこちない手付きで腰に差した剣を抜く。
 それを上段に構え、勢い良く振り下ろす。ヒュンという風切音の後にもう一度同じことを繰り返すと、星は何を思ったのか眉をひそめ首を傾げる。

 持っていた剣を鞘に戻し、徐に星はコマンドを指で操作する。すると次の瞬間。腰に差していた剣が消え、代わりに練習用にエミルに渡された木の剣が現れた。

 星はその剣を掴むと「よし」と小さく呟き、再び素振りを始めた。

 おそらく。刃の付いた剣を振り回していると危ないと感じたのだろう。しかし、辺りには自分の他にレイニールしかおらず、そのレイニールも木の上で昼寝をしており。気にしすぎと言えばそうなのだろうが、星の性格上。そういうのにも気を配ってしまうのだろう。    

 だが、木の上で寝ているレイニールが突然降りて来て、自ら剣に当たるとは考えられないが……。

 それからは、汗が流れるのも構わず。星はただただ一心不乱に練習用の木の剣を振り続けていた。
 今回は以前のような丸太という攻撃する目標もない。星は頭の中で架空の敵を想定しながらそれを斬り付けていく。

 良くプロの格闘家やスポーツ選手は、インスピレーションに自分が勝利するイメージを思い浮かべながら行うという。星が今やっているのもそれだ――だが、それは普段から己に自信のない彼女にとって最もいい練習方法なのかもしれない。

 それも全ては弱いままの自分を、少しでも変えられると信じての行動だった。
 固有スキルに頼らずエミルやマスター達のような自分の力だけで戦えれば、きっとあの夜のような不測の事態にも皆を守ることができる。

 架空の敵を想定しながら練習に打ち込む星の胸の奥底には、いつかきっとエミルと肩を並べて戦えるという希望に溢れていた。

 その時、突然近くの茂みからゴソゴソと何か動く物音が聞こえてきて、ビクッと体を震わせると剣を振る手が止まる。

 レイニールのいたずらだと思い、さっきまでレイニールの寝ていた木の枝の所を見遣った。するとそこには、レイニールがまだ気持ち良さそうに寝息を立てながら手でお腹の辺りを掻いていた。

 星の背筋に悪寒が走り、全身の毛が逆立つ感覚に襲われる。星は木の剣を握り締め、物音のした場所へとゆっくりと近付いていく。

 腰が引けながらもそーっと茂みの上を覗き込むと、そこには蛇の尻尾の様なものがウネウネと動いていた。
 よく見ると、表面は何やらヌルヌルとしてテカテカと光る液体が浮き出しているようにも見える。しかし、それだけの情報では、まだモンスターかまでは分からない。

(……なんだろう。これ……木の根っこのような。蛇の尻尾のような……)

 じっとウネウネと動くその得体の知れない物体を凝視していると、突然なにかに体を勢い良く引っ張られた。

「きゃあああああああッ!!」

 なおもズルズルと引っ張られる足に目を向けると、星の右足に太いロープの様な何かが巻きついている。よく見るとロープの様な表面から、ヌルヌルとした液体が大量に湧き出してきた。

 しかし、星の体を捕らえて放さない部分には、ヌルヌルとした液体は分泌されておらず。逆に服に引っ掛かるような細かい反しびっしりと付いていた。
 子供ならでは好奇心を抑えられなかったのだろう。こういうとことは年相応と言ったところなのだろうが、今はそれが裏目に働いてしまっている。それはさっき、星が見た根っこの様な得体の知れない何かだった。

(……やられた! 調べてないで、早くこの場所から離れれば良かった)

 今更ながらに後悔していると、さっきの星の悲鳴を聞きつけたレイニールが急いで星の元に急行してきた。

「レイ! こっちに来ちゃダメ! 戻ってエリエさんにこの事を教えて!!」

 星のまさかの言葉に、レイニールは躊躇するように空中で止まる。

「――だ、だが……主はどうするのじゃ?」
「……私は私でなんとかするから、レイは早く戻って!」

 だが、星がそう叫ぶと、手に持っていた木の剣で足に絡まったものを叩く。
 しかし、足に絡みつく木の根の様な何かは、弾力性が強いのか表面のヌメリで力が流されるからかは分からないが、表面に傷一つ付く気配すらない。

 そんな中、空中でどうすればいいのか分からずに、困惑した様子でいるレイニールに星がもう一度大きく叫んだ。

「レイ。早く行って!!」
「う、うむ……」

 レイニールは星の命令に渋々その場を後にする。星はその後ろ姿を見て、微かに微笑みを浮かべた。

 おそらく。レイニールがエリエを連れて戻って来る時には、もう間に合わないことは星にも容易に想像できた。

「少し、レイに強く言いすぎたかな……」

 小さく星が呟く。だが、こうでもしないとレイニールのことだ。きっと助けようと近付いてくるのは分かっていたし、どこから飛び出したのかも分からない得体の知れないこの物体に巻き込まれていたかもしれない。

 そう考えると『自分の判断は正しかったのだ』と首を振って、不安になる自分に言い聞かせた。
 しかし、レイニールを逃したところで、この危機的状況を打開する根本的な解決にはならない。まずは自分の足に絡みついたこのヌルヌルとした木の根の様な何かを取り払って逃げなければどうしようもないのだから……。

 星は木の剣を投げ捨てると、コマンドを操作して練習前にアイテムの中にしまってあるはずのエクスカリバーを探す。

 指を動かしてアイテムの項目を下にドラッグすると、すぐにエクスカリバーを発見することができた。
 まあ、星のアイテムの項目に入っているものは初期装備と、エミルに渡された回復用のヒールストーンや財布などの少量のアイテムだけで、幸い必要なアイテムを探すのは容易なのだ。

 これは星が思い付いたわけではなく、エミルの案だった。以前、寝る前にそれとなく言われたのが「アイテム内はなるべく整理しておいた方が後で色々楽になるわよ」と言われていた。
 その時は「でも、たくさん入っていた方が困った時にいいんじゃ……」と反論したのだが、エミルは微笑みながら「その時になれば、きっと分かるわ」とだけ言って上手くあしらわれてしまったのだが。

 今思えば、エミルはこういう危機的状況をあらかじめ予想していたのかもしれない。

 星はアイテム内のエクスカリバーを指で押したまま、今度は体の形をした装備画面にドロップしようとした時。
 突然茂みの中から出て来た新たな木の根の様な何かに、操作していた右手を強引に引き伸ばされてしまう。

「――あっ!」

 だが、別にコマンドは利き手だけでしか動かせないわけではない――星はすぐに左手でコマンドを開く。しかし、開けたコマンドは一番最初のアイテムの項目からになっていた。

 どうやら、コマンド操作は途中でキャンセルされた場合は、初期状態になって戻ってしまうらしい。

 普段なら気にならないことでも、こういう状況ではこのシステムの仕様は厄介極まりない。

(……利き手じゃない方でうまくできるか分からないけど……でも、この状況じゃ……やるしかないよね)

 星は危機的状況の中『自分がやるしかないという』決意に満ちた表情で頷くと、慣れない左手でコマンドを操作する。
 慣れない左手のせいか、小刻みに震えて上手く動いてくれない。しかも、さっきから右手と右足に巻き付いた木の根の様な何かが脈打つように動いて星の体を揺らしていて手元が狂う。

 思い通りにいかないコマンド操作に苛立ちを感じているのか、星の表情が徐々に歪み始める。
 それは普段の星が絶対に見せない怒りによるものだったが、当の本人はその普段経験したことのない感情に戸惑いを隠しきれなかった。

 それもそうだろう。星が今まで生きてきて、憤りを感じたことなどないに等しい。
 普段から感情を抑え込むことに長けている星は、知らず知らずのうちに怒りを含めた喜怒哀楽の殆どを制御する術を身に着けてしまっていたのだ。

 喜怒哀楽は人とのふれあいで始めて感じる感情で、人との接触を避けることの多い星には無縁とも言っていい感情だった。
 いや、なんでも1人で熟さないといけなかった星にとっては、喜びも怒りも悲しみも楽しさも全てが自分1人だけしか感じない感情でしかない。

 分かち合う相手が居ないのに感情を表すのは、苦行と言うほどに虚しさしか残らないのだ。何故なら父親にも生まれる前に先立たれ、母親は女手一つで自分を育てる為にいつも帰りは遅い。学校では友達もいなくて、ふれあいというものがまるでなく。嬉しくて笑みが溢れても、悲しくて涙が溢れてもそれを分かち合える存在が居なかったのだから……。

 そんな星は日常では常にドライだった……それは星が冷たいのではなく。周りの冷え切った態度に合わせて冷めていってしまったのだ――だが、無理もない。昔は友達もいて、父親がいないというだけで、どこにでもいる普通の女の子だった。

 しかし、去年から……いや、その前から同じクラスの女子達から距離を置かれるようになり。適当に愛想良くしながら、普段は本だけを手に無口で日陰にいるような女の子になっていった。でも、心のどこかで本当に人を信じられない性格まで堕ちてしまったのだ。

 もしも映画やドラマで学校を題材にした物語が展開されるならば、ほぼ間違いなく発言もなく、真っ先に一番最初の騒動で消える役になるのだろう。そしてそうだとしても、誰の心にも星という存在は残らないのだろうことは、星本人が最も知っていることだ――。

 そんな星も、エミル達とこのゲームの世界で生活してからは、毎日が驚きと喜びの連続で、今まで殆どの感情を抑え込んでいたその心を解きほぐしていた。

 この心の中から湧き上がる。行き場もなくどうしようもない怒りの感情もそのおかげなのだろう。だが、今のこの状況ではその感情が仇となっていた。

 上手く操作できないことからくる怒りと焦りで、手の震えが治まるどころかなおも大きくなっていく。

「……は、はやく。はやくしないと!」

 焦る星を尻目に、右腕と右足に巻き付いた物が嘲笑う様に地面を波打っている。

 っとその時、星の指がエクスカリバーの項目を捉えた。

 星は「よし!」と思わず口に出し、それを装備欄の体の左手の方へとドラッグする。同時に星の左手にエクスカリバーが現れ、星は素早く固有スキルを唱える為に口を開く。

「ソードマスターオーバーレ……」

 後一文字というところで地面を突き抜けて現れた木の根に、星の左手に握られていたエクスカリバーが弾かれた。

 空中を回転しながら、星の遥後方へと飛ばされた剣先が地面に突き刺さる。

「し、しまっ……」

 無駄だと分かっていながらも、咄嗟に飛ばされたエクスカリバーの方へと伸ばした手を新たに出てきた木の根に掴まれ、直後に唯一残っていた左足までも巻き付かれて星の体は地面に大の字に拘束されてしまう。
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