第114話 父親の影

文字数 5,132文字

 このデスゲームを開始した張本人の狼の覆面を掛けた男によって拉致された星は、薄明かりが照らす研究室の検査台の上に体を拘束された状態で寝かされていた。

 その研究室には星の他にもう一人、モニターの前で忙しなく操作盤を叩いている。
 どうしてゲーム内にこんな研究施設があるのかは謎だ――本来ならば、ゲーム開発は大勢の人員を用いて行うもの。しかもわざわざそれをゲーム内に置くメリットがない。

 それもそうだろう。システムを実行しても不具合などが発生した場合に、自分にも危害が及ぶ可能性があるからだ――。

 メンテナンス時にプレイヤーを入れずに隔離して行うのも、もしもが起きないようにする為なのだ。それをわざわざ、しかも自分自ら行う理由がない。

 っと言うことは、ゲームプログラム以外の何かを行っているとしか考えられない。

 その人物の顔には案の定、狼の覆面がしっかりとその素顔を覆い隠していた。

「……ん? こ、ここは……」

 星が目を覚ますと、自分の手足が拘束されていることに気が付く。
 どうして自分が拘束されているのかは分からないが、これが危機的状況だというのは、ぼんやりとした頭でもすぐに理解することができた。

 試しに手足を動かしてみるものの全く動けず、拘束具からも手足を引き抜くことができない。

(ここはどこで、私はあれからどうなったんだろう……)

 まだはっきりとしない意識の中で、必死に思考を回していると、星の視界に覆面の男が飛び込んできた。

 それは、紛れもない。この事件の首謀者で、しかも星の父親を悪く言った人物だ。

(あの頭……間違いない! このゲームを悪くした悪い人だ!)

 星はその男の背中を睨みながら、心の中でそう呟いた。しかし、検査台に拘束されているこの状況では文字通り手も足もでない。

 っとその時。突如としてその男が振り返り、星の方へと向かってくる。

 覆面の男は星を見下ろすと、徐に口を開く。

「――目が覚めたかね?」
「……ここはどこですか? 私をどうするつもりです……」

 不信感に満ちた瞳でそう言い放った星に、男はすぐに言葉を返す。

 それは少し馬鹿にした様に不敵な笑みを浮かべ。

「いいね。その反抗的な瞳……君の母親に似て、ぞくぞくする……」

 その言葉を聞いて、なんとも言えない恐怖心から全身から汗が吹き出すのを感じて、慌てて視線を逸らした。それもそうだろう。今の状況で彼を刺激すれば、大きな検査台に拘束されている星には為す術はない。

 もし、覆面の男の機嫌を損ねれば一瞬であの世行きだ――いや、あの世に行くよりも、もっと酷いことをされかねない。

「どうしたんだい? 急に怯え出して……怖くなったのかな?」
「…………」

 無言のまま視線を逸らし続ける星に、覆面の男はつまらなそうに舌打ちをすると再び話し始めた。

「いいさ、君のその強情な態度は、母親を見ていれば分かる――博士はその芯の強いところが好きだと言っていた。だが、私はあの女のそういうところが大嫌いだったがね」

 不機嫌そうに告げると、男は研究室の中央に置かれた星の検査台の周りを後ろ手に組みながら回り始める。

「以前会った時の君はどうやら父親の……いや、博士の事を全く聞かされていなかったようだね? 知りたくはないかい? 自分の父親の事を……」
「――ッ!?」

 黙りを決め込んでいた星が、その言葉を聞いて思わず口を開く。

「お、お父さんの事を……?」

 星が動揺するのも無理はない。生まれてから父親の顔を写真ですら見たことがなかったのだから……。

 不自然だとは思っていたが、母親の写真は幼少期からあるにも関わらず。星の父親の写真だけは、アルバムのどこにも写ったものがないのはおかしいと感じていた。

 だが、それを母親に聞くことはできなかった。それをもし聞いたら、親子としても何か終わってしまう気がしていたからだ――不仲というわけではないが、普通の親子とは少し違うというのは普段から感じていた。

 楽しくお買い物や長期休暇のお出掛け、クリスマスにお正月も星には経験したことのないイベントだ。
 それどころか自分の誕生日ですら、今ではお小遣いが貰えるだけの日へと変わってしまった。

 正直。自分は愛してもらっていないと感じたことも何回かあったが、その度に星はそれを頑なに否定してきたのだ。
 しかし、目の前の覆面の男は何かを知っている。それを聞ければ、母親との関係を変えるヒントがあるかもしれない。

 覆面の男はゆっくりと頷くと、星に見下ろしながら告げる。
 
「そうだ、君の父親の事をだよ。……知りたいかね?」

 星は表情を曇らせながらも、小さく頷いた。

 この人物は信用できないが、星にとって亡き父の人柄は他人の言動によってのみ、知ることができる唯一の情報だ。
 母親にはいつも遠慮して聞けないことも、赤の他人であるこの人になら聞ける気がした。だが、一度だけ父親の墓の前で母親が口を滑らせこう言ったのだ――。

『あなたの父親は優秀な人だったのよ』と……。

 星は今まで、その言葉だけを励みに生きてきた。

 同級生から父親が居ないことで揶揄されることも多くあったが、それにも今日まで必死に耐えてきた。
 それは『自分の父親は凄いんだ』という何の根拠もない絶対的な自信があったからだ。しかし、目の前の男は以前、富士のダンジョンでそれを真っ向から否定した。そのこともあってか、星の中の父親像が揺らいでいるのは確かだった。

 今の星にとって、少しでも亡き父親の情報が欲しいと思うのは当然のことなのだ。

 覆面の男に向かい、星は困惑した表情をしながらも震える声で言った。

「……教えてください。お父さんの事を……」
「ああ、いいだろう。良く聞きたまえ!」

 その言葉にしっかりと頷いて見せると、狼の覆面を被った男が嬉しそうな声を上げた。

 覆面の男は大きく手を広げ、オーバーアクションで話し出す。

「私は君のお父さん――大空博士の後輩だ。博士は素晴らしい科学者だった……何を隠そう。このゲームだって、君のお父さんの研究を元に作られているのだ」
「――お父さんの研究?」

 オウム返しの様に星が聞き返す。

 覆面の男は今度は星の瞳を凝視する。その時、覆面の中から見えた瞳が血走っていたのを星は見逃さなかった。

「そう、君のお父さんは脳の中の記憶のメカニズムを研究していた。そして、遂に見つけたのだ、人類の進化の全てを超越した【メモリーズ】を……」
「……メモリーズ?」

 星はその【メモリーズ】という聞き慣れない言葉に、少し困惑した様子で首を傾げる。

 そんな彼女に、覆面の男は自分の覆面を押し潰す様に顔を覆った後に説明を始める。

「ああ、小学生の君には分からないね。掻い摘んで簡単に説明すれば、脳に記憶を記録する電波信号のコードネームだよ。人の記憶とは、五感の無数の電気的な刺激によって記憶され、同じく電気信号によって呼び起こされる。脳の中の海馬と言う部分に特殊な電波を一定時間照射することで、人の記憶の全てを抜き取り上書きする事ができるという画期的な発見をしたのだよ」

 その話を聞いて、ただただ首を傾げる星の頭を指差して言った。

「つまり、このメモリーズさえあれば。記憶を完全にコピーできるということだ」
「……それがどうして、私のお父さんが悪い人だって事になるんですか?」

 星にそう尋ねられた男が不気味に笑う。

 そして、俯く加減で徐に告げた。

「――それは記憶と言うものは、古代より人類の触れてはならない禁忌だからだよ……」

 彼の口から出た。その『禁忌』という言葉に、星は難しい顔をして首を傾げている。

「ああ、すまないね。簡単に言うと、やってはいけない事かな?」
「どうしてやってはいけない事なんですか?」

 なおも首を傾げる彼女の耳元で、覆面の男が律儀にも説明を始める。

 まあ、仮にも小学生の星にとって、彼の話すことは難しいのだろう。どうしても、分からないところを聞き返す形になってしまうのは仕方がない。

「簡単なことだよ。死んだ人間は蘇らせてはいけない。だからクローンという――自分と同じ自分を作り出す技術は使ってはならないとされていた。いや、同じ自分というのは合っていて少し違うな……言うなれば、記憶を蓄積している脳が違うから、クローン技術が日の目を見れなかったと言う方が正しいだろう」
「……脳が違う?」
「そう! 脳へ記憶される信号は、日々の積み重ねでのみ生み出せる。その記憶を蓄積させている脳が違うということは、そのクローンは本体の劣化物にもならん。顔と形の似た別人――いや、人形だよ!」

 星は覆面の男の言ってる意味が分からず、更に大きく首を傾げた。

 しかし、男はそんな星の様子など気にする素振りすら見せず熱弁を続けている。

「だが、大空博士の研究【メモリーズ】があれば、記憶を抜き取り、それをそのまま上書きした完璧なコピーを生み出すことができる。更に既存の人間の記憶に細工をして、思い通りの記憶を持った人間を作る事も可能になるのだよ! また、記憶を操作できるということは、理性を持たない人間兵器なんかも容易に作り出せる……外国の人間を捕まえて、記憶を操作し。自国のスパイに仕立て上げる事も容易だ――政府の高官の記憶を操作し、戦争を起こさせる事もね……まさに自由自在。思うがままだ! それはまさに、神に唾吐く行為にして、人類が神となれる唯一の方法なのだよ!」

 狂ったように笑う狼の覆面の男を見て、星は底知れない恐怖と自分の父親がそんな研究をしていたことを知ったショックとの両方が、激しく頭の中をぐるぐると回っていた。

「うっ……嘘だ。私のお父さんは優しい人で……だから……」

 星は顔を青ざめながら、自分に言い聞かせるようにそう呟く。

 その時、今まで狂ったように笑っていた男が今度は声を荒らげて叫んだ。

「だが! 大空博士はあの女と一緒に。せっかくの研究のデータと共に姿を消した!」
「……あの女?」

 そう呟いた星の方を覆面から覗かせた瞳が、ギロッと見据える。その直後、星の拘束されている検査台に覆い被さる様に星の顔の横に両手を突き立てる。

 星はあまりの恐怖に、動けないと分かっていても、逃れようと体を動かしてしまう。

 そんな怯えた様子の星に男が抑揚のない声で告げる。

「――君のお母さんだよ……大空博士は第一助手の僕ではなく! 第二助手のあの女と一緒に研究機関を飛び出したんだ! この僕とではなく! あの阿婆擦れと!!」
「……ひっ!」

 声を荒らげ星の顔に噛み付くくらいの勢いで叫んだ男に、星は思わず小さく悲鳴を上げる。
 星の目の前の覆面からは、血走った男の瞳がギロリと星の顔を見つめている。

 その瞳は憎悪そのものと言った感じのものだった。その恐怖から星の瞳が潤み始める。それを見て、男は再び不気味に笑いゆっくりと立ち上がると、意気消沈した様子で小さく呟いた。

「……大空博士を乗せた車が、崖から転落したという事実を知った時は、僕も目の前が真っ暗になった……やはり神は存在しないと、そう思ったものだよ。だが、やっと……やっとその意味が理解できた。神が僕から親愛なる大空博士を取り上げたのは、君の存在があるからなのだと……」
「…………」
(この人、頭がおかしい……さっきから変なことばっかり言って……)
 
 星が無言のまま、心の中でそう小さく呟く。その時、星の頬を男が右手でそっと撫でた。

 小刻みに震えながら、目を瞑った星の耳元で男がささやく。

「――君は僕にとっての実験体であり。最良の妻になる女性だ……メモリーズを手に入れたら、君の頭の中を僕の事だけしか考えられないようにしてあげよう……」

 そう告げた男のその右手がゆっくりと星の体を撫でる様に、下がってきて胸の辺りで止まる。

「……君の身も心も記憶も僕に服従させる……そして……」

 その言葉とともに震える星の体を再び伝う右手が、今度は星のお腹の下の方で止まる。

 覆面の男は星の下腹部を撫でながら、血走った瞳で星の顔を見下ろしながら耳元でささやく。

「向こうの世界に戻ったら……ふふっ、君と僕の子供を作る……博士と僕の遺伝子を受け継いだ子だぁ……きっと、有能な科学者になれる……」

 彼の行動全てが奇行と言ってもいい。子供の星にも分かるほどに、彼の思想はぶっ飛んでいた。

「ひっ……」
(……この人……凄く危ない人だ……エミルさん!)

 恐怖で怯える星のお腹を撫で回しながら男が。

「フヒヒッ、楽しみだなぁ~」

 っと、不気味な笑い声を上げながら呟いた。

 女子小学生を検査台に縛り付け覆いかぶさっている狼の覆面を被った男という絵面は、まさに常軌を逸しているの一言に尽きるだろう。  
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み