第61話 ファンタジー

文字数 4,676文字

 寝ていた星が次に目を開けるとなぜか空を飛んでいた。周りを見渡してみるものの、雲ばかりでそこには誰もいない。

 自分一人だけがふわふわと空中を漂っていた。

「……あれ? あれれ? どうして私、空を飛んでるの!?」

 突如として起こった不可解な状況に、星もただただ混乱するばかりだ。

 それもそうだ。星は間違いなくベッドに横になり眠りに就いていたはずなのだ。だが、不思議なことにふわふわと体が無重力状態の様に浮いている感覚はしっかりある。いや、あり過ぎて戸惑うくらいだ――。

 すると、辺りに立ち込める霧が濃くなり、視界が真っ白な霧で遮られていく。

「どうしてこんな事に……たしか……あれ? なんでだろう……思い出せない……」

 その不可解な現状に、星はだんだん不安になってきたのか、その表情はみるみるうちに硬くなっていく。
 もしかすると、またゲームに何らかの不具合が発生したのではないかと思った。いや、今までの出来事そのものが全てゲームの作り出した幻想だったのかもしれない。

 そう考える方が最もしっくりくる。幻想を理想を思い描いて作り出した幻の世界――それが、今までの日常だったのかもしれない。しかし、そうだとしても。今は心の中に雲がかかった様にもやもやとするこの感覚だ。

(……どうしたんだろう。1人は慣れてるはずなのに……全然落ち着かない。今までこんな事なかったのに……)

 今までの自分の抱いていた感情とのギャップに、更に表情が曇っていく。
 それもそうだろう。星にとって今まで頼れるのは母親だけだった。いや、母親にも頼れていなかったのかもしれない。

 そんな星にとって毎日が常に孤独との戦いだった。
 問題が起きても頼れる人がいない為、いつでも自分一人で対処しなければならず。忘れ物をした時も、友達から借りるということができない分、翌日の用意する時に何度も持ち物を確認して、決して問題が起きないようにと心掛けているくらい用心深くなっていたのだ。

 だが、現実世界を離れ。ゲームの世界では予想外の出来事の全てを、星はエミル達に頼ってきた。

『困った時は周りに助けを求める』

 本来はそれが正しいことなのだが、長い間1人でいる時間が長かった星にとっては、人に頼ることはいけないこと、という間違った思い込みができてしまっていたのかもしれない。

 この時も『もし困った時に人を頼る事が身に付いてしまえば、現実の生活に戻った時に大変な事になる!』と星は本気でそう考えていた。

「――ダメだ。このくらいの事でおどおどしてたら……私は一人なんだ。私が、私がしっかりしないと!」

 星は目を瞑り大きく息を吸って「ふぅー」とゆっくり息を吐くと目を開く。すると今度は、学校の椅子に腰掛けている自分がいた。

 動揺を隠しきれず、星は目の前の机に倒れ込む様にして顔を伏せる。

(……なに? いったいどうなってるの!?)

 星は混乱する頭を抱え、その場に伏せると『夢だ、これは夢なんだ』と強く念じて再び顔を上げ辺りを見渡す。

 しかし、その光景は消えず、そこにはいつも通りのクラスメイトの冷ややかな視線が星に向けられていた。久しぶりに味わう圧倒的劣等感に、胸が締め付けられるように痛む――。

(この痛み……夢じゃない! 胸が苦しい……皆の視線が怖い……これは紛れもなく――現実だ!!)

 その時間は丁度、自習だったのだろう。
 唯一助けを求められる大人である先生は教卓に立っていなかった。

 こういう時はなるべく他の生徒と目が合わない様にと、常に本をランドセルの中に忍ばせていた。
 それで周りの視線や自分を悪く言う話し声が消えることはないが、本を読んでその世界に入り込むことで多少は気が紛らわせたのである。

 星はランドセルの中を物色するが、いつも必ず入っているはずの本がどこにも見当たらない。

(なんで!? どうしてないの? いつも読んだらランドセルの中にしまって……)

 なおも必死にランドセルの中を探すが結果は同じ――いつもそこに入っているはずの本がない。

 だが、クラスメイトに隠された可能性は低い。星にとって本は大事な物、以前にも隠されたことがあったのだが、その時は迷わず先生に報告した。その経験からクラスメイトも担任の教師に言いつけられるのを恐れ、本だけには手を出さなくなったのだ。

 その時、星はフリーダムをする前のことを思い返す。
 あの日は学校をずる休みしてブレスレットを貰らった。しかし、本は取り出してはいないはず――。

 本来ならそこにあるはずの物が忽然と姿を消したのだ。
 不思議に思いながらも星はひたすら俯いたまま、授業終了を告げるチャイムが鳴るのを待った。

 教室内に授業終了のチャイムが鳴り響くと、すぐに教室を出て図書室へと向かう。
 それは図書室にはいつも先生がいる上に、静かにしなければいけないという決まりがあり、星にとっては学校で一番落ち着ける場所だったからだ。

 もちろん。同じクラスの子や前の学年で一緒だった子なども利用する為、たまに悪口が聞こえてくることもあるものの。本を読んでいればそれほど気にならなかった。

 休み時間終了のチャイムが鳴り教室に戻ると、すぐにランドセルの中を確認する。

 なぜなら――。

「あっ……やっぱり……」

 星はそう呟くと、ランドセルの奥の方に入れていた手を引き抜いた。
 そこには丸められたパンの入っていた袋をぐしゃぐしゃに丸められたゴミと、同じようにぐしゃぐしゃに丸められたノートの切れ端が入っていた。

 その紙を広げるとそこには『俺の死界に入るな!』と、ご丁寧にびっくりマーク付きで書いてあった。だが、その紙に書かれた文字は、明らかに不可解な文章になっている。

(死角って言いたかったのかな? 視界って言いたかったのかな? どっちなんだろう……)

 星はその言葉の意味を考え首を傾げながらも、それを持ってゴミ箱に捨てると、再び席に戻り体を小さく丸める。

 給食の後の授業の時は、いつでも決まってランドセルの中に何か入っていた。
 まあ、いつも無理に漢字を使って誤字がある為、特定の人物なのだろうが。それを気にするのも疲れるし、なにか危害を加えてくるわけでもないので放置していた。

 掃除の時間はクラスメイトはいるものの。同じ班の生徒はただ話してるだけで、いつも星1人で一生懸命に掃除をしていた。
 普通なら先生が来て怒るのだが、それ対策なのか掃除用具はいつでもしっかりと手に持っていて、先生が来た時だけ掃除をしているフリをして居なくなるとすぐにまたサボりだすという巧妙な手口を使う為バレないのだ――。

「おいっ!! 夜根暗!!」

 その中の体格の良い男子が突然叫ぶと、持っていた箒の先で地面を叩いた。

 星は怯えたようにびくっと体を震わせると、恐る恐る目を向ける。

「……な、なに?」 
「なにじゃねぇよ。お前が掃除遅いから先生来ちまっただろ! さっさと終わらせろよ。グズ!」
「あ……はい。ごめんなさい……」

 謝ると俯き加減にせっせと箒を持っている手を動かす。

 男子生徒の言う『夜根暗』という呼び方は、苗字の夜空と根暗をかけた呼び方で、いつの間にか一部の男子の中で広がったものらしい。
 
 星は急いで箒を動かし、教室を掃いている星の耳にはくすくすと笑う女子に他の男子は……。

「あいつ、勉強できるくせに効率悪いよな」「頭のどこかおかしいんじゃねえの?」「いや、勉強しかできないんだろバカ過ぎて」

 など、男子達の悪口が聞こえてきた。

 星はそれを聞き流す為に、一心不乱に箒を動かして掃除に打ち込む。

 机を並べ終え、最後のゴミをちり取りで掬い上げると、それをゴミ箱に入れる。
 いっぱいになったゴミ箱を持ち上げ、1階のゴミ捨て場に向かう為、教室を出ようとしたその時。星の足に何かが引っかかりバランスを崩した。

 星の体は前屈みになり。

「――わっ! きゃっ!!」

 星は小さな悲鳴を上げてその場に倒れ込む。はっとして辺りを見渡すと、思った通り目の前にはゴミ箱の中身が散乱していた。

「……あっ」

 その光景に言葉を失いながら振り返ると、そこには箒が転がっている。

 すぐ近くには、さっきの体格のいい男子が立っていて星のことを見下ろしていた。

「あーあ、夜空どうすんだよ。せっかく掃除したのに、廊下にまでゴミぶちまけちまってよー!」

 わざとらしく大きな声で騒ぐ彼に、さすがに我慢の限界だった星はその場で俯き加減に小さく反論した。

「でも……これは武くんが箒で私の足を……引っ掛けたからで……きゃっ!」

 話をしている途中で倒れていた星の背中にちり取りが当たって星が小さく悲鳴を上げると、そこには箒を手に星を鋭く睨みつけている彼の姿があった。

「……ほら、責任持って片付けろよ!」
「……う、うん。ごめんなさい」
 
 その冷たい声に星は危機感を感じ、徐ろに立ち上がると近くの箒を手に取って、無言のまま散らばったゴミをゴミ箱へと戻し、何事もなかったかのようにゴミ捨て場へと向かって歩き出した。

 そして放課後になり、星は図書室で本を読みながら下校のチャイムが鳴るのを待っていた。
 本を読んでいた星は急に表情を曇らせると、読んでいた本を机に置いてぼそっと呟いた。

「――武くん。昔はもっと優しくしてくれたのに……なにか悪い事したかな、私……」

 さっきの体格のいい男子は星とは1、2年生の時に同じクラスで、昔はノートを運ぶのを手伝ってくれたり、運動が苦手な星に体育の時に色々教えてくれたりしたのだが、4年生で再び同じクラスになってから態度が急変し。あからさまに嫌がらせをしてくるようになった。

 しかし、星にはどうしてこんなに嫌われたのか思い当たる節がない。
 他にも廊下の雑巾がけをしている時に突然蹴飛ばされたり、ノートを運んでいる最中に後ろから背中を押されたりしたこともある。

 とにかく彼は、学校での星の天敵と言ったところだろか……。

 星は考えを振り払うように首を左右に振ると、別の本を取りに席を立った。

 っとは言ってももう3年近く、事ある毎に図書室に篭っている星にとって、図書室で自分の興味のある本は殆ど読んでしまっていて、今はその中でも内容の良かった本を読み返しているだけなのだ。

 それからしばらく集中して本を読んでいると、肩をトントンっと叩かれた星は慌てて振り向く。

 そこには図書室の女の先生が星の顔を見て微笑んでいる。

「……な、なんでしょうか?」
「夜空さん? もう下校時刻をとっくに過ぎてるけど、後は帰って読んだらどう? 先生が貸出帳には書いておいてあげるから」
「えっ? いえ、もう一度読んだ本なので……」

 そう言った星は手に持っていた本をパタンと閉じると、元あった場所に本を戻した。

「一度読んでるのにそんなに集中して読めるなんて凄いわねー。他の子も夜空さんを見習って欲しいものね」
「いえ、そんな。見習うなんて、そんな……」

 星はそう言われ頬を赤らめると、慌てて横に置いていたランドセルを背負う。

 照れ隠しなのか、星は早歩きで扉の前までいくと。

「そ、それじゃー。先生、さようならー」
「はい、さようなら。気を付けて帰るのよー?」

 星は返事をするようにペコリと頭を下げると、そのまま走って家まで急いで帰った。


 家に着くと首から下げた鍵を取り出し、扉の鍵を開けると扉に手を掛けた。

「入ったらまず。お掃除して、お洗濯して終わったら……またゲームしちゃおうかな……」
 
 星はそう呟きドアを開けてゆっくりと家の中へ入ろうとした直後、視界が眩い光に包まれた。
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