第252話 消えたマスター

文字数 4,249文字

 翌日、マスターの泊まっていたはずの部屋はもぬけの殻だった――。

「……マスター?」

 彼を起こしにきた紅蓮は小首を傾げながら部屋の中に入ると、辺りを注意深く見渡す。

 テーブルの上には日本酒の入っていた徳利とお猪口が置かれている。そして使用感のないベッドメイキングされたままになってきっちりとしている布団。

 それを見れば、晩酌している最中に……つまり。夜の内に何処かに出掛けたということの証しだ。だが、問題は彼が一体どこに消えたのかということだろう。

 部屋の窓は開け放ったままということは、ここから外へと出たのだろうが、この緊急時に仲間を見捨てて逃げ出すような人物ではないことは、紅蓮が最もよく知っていた。

 っとなると、マスターは一体どこに…………。

 紅蓮は顎の下に手を当てて考えていたが、すぐに大きなため息を吐き出して考えるのを止めた。

「はぁ……マスターの事です。きっと何か考えがあったのでしょう……そうですよね。マスター」

 紅蓮は開きっぱなしになった窓を見つめ、身を翻すとゆっくりとした足取りで部屋を後にした。
 マスターが何処かにいったことを確認した紅蓮の目の前に、裸のまま黒髪のシートヘヤーに猫耳のカチューシャーを付け、サーベルタイガーの様な生き物に乗った女の子が笑いながら廊下を駆けて行くのが見えた。

 自分の横を通過していくのを見送っていると、その後ろを遅れてピンク色のポニーテールの少女が結んだ髪を風でなびかせながら全速力で追いかけてくる。

「待ちなさいって言ってるでしょ! この。ミレイニ! せめて服を着なさーい!!」

 拳を振り上げ追いかけて行く。その後ろ姿を見つめていると、そこにデイビッドが部屋から出てきた。

 大きなあくびをして紅蓮の方にくるデイビッドの髪はボサボサで、全く整えられていない。おそらく。その様子を見ると今起きたのだろう……。

「おはよう。紅蓮さん」
「おはようございます。ですが、もう9時ですよ。10時に食堂で朝食なので、すみませんがあの2人に伝えておいて下さい。他の方を起こさないといけないので……」

 そう言ってその場を去ろうとする紅蓮を、デイビッドが呼び止める。 
 
「待って、俺達の方は俺が起こしにいくからもういいよ。君にそこまで迷惑はかけられないからね」

 しかし、紅蓮は視線だけを向けて「そうですか。なら、お願いします」と告げると歩いていってしまう。

 そんな彼女の反応に、ポカンと口を開けたまま、デイビッドはその場に立ち尽くしている。すると、彼の耳を何かがカプッと噛み付いた。

「――痛ッ!!」

 デイビッドが耳に噛み付いているモフモフしたぬいぐるみのようななにかを掴むと、顔の前に持ってくると、その手の中には白い毛並みのイタチが両手をブンブンと振っている。
 
 何かを訴えかけようとしているようだが、何を言おうとしているのかはさっぱり分からない。すると、真っ白なイタチがデイビッドの手を振り払って地面に着地すると、勢い良く走っていった。

 デイビッドもその鬼気迫るイタチの様子に後を追い駆けるように走り出す。
 っと曲がり角を曲がった直後、デイビッドの目の前に現れたのは今にもエリエを襲おうとしているサーベルタイガーの姿だった。

 出した鞘の付いた装備で、襲い掛かって来る迫り出した牙を何とか抑えたまま地面に倒れ込んでいる。
 始めはしつこいエリエにミレイニが命令したのかと思ったが、背中に乗ったミレイニが必死にサーベルタイガーの背中の毛を引っ張っているところを見ると、どうやらそういうわけでもないらしい。

 ――ガルルルルルルルルルルルルルルルッ!!

 唸り声を上げながら凄まじい形相で迫って来るシャルルの牙を、エリエは必死に押し返している。

「ちょ、なっ、なんなのよ! いったい!」
「シャルル止めるし! エリエは餌じゃないし~!」

 サーベルタイガーのシャルルは、主であるミレイニの言うことすら聞かない。

 いや、いつでもエリエが主人のミレイニのことをいじめているから守ろうとしているのだと思う。
 おそらく。シャルルから見れば、主人であるミレイニを襲う者は全て攻撃対象以外の何ものでもないのだろう。

 エリエも装飾品として装備できるだけの武器では戦うこともできない。抑えるので精一杯という感じだ――。

 足元で止めるようにジェスチャーしているギルガメシュに促されるままに、デイビッドが走り出した。
 っとその時、ミレイニの付けていた指輪が青く光を放ち。青い炎と共に一匹の青い炎の鬣を持ったライオンが姿を現す。

 大きく咆哮を上げると、今まで誰の言うことも聞かなかったシャルルが急に止まる。
 その後、ゆっくりとエリエから離れると、落ち込んだ様子でその場におすわりの状態で待機しているが、何やらバツが悪そうに項垂れている姿を見ると、獣同士でしか分からない何かをアレキサンダーに言われたのだろう。

 すっかり落ち着いた様子のシャルルにミレイニが指を突き立てて。

「もうシャルル、エリエは食べちゃダメだし!」

 そう告げる彼女にサーベルタイガーは「くぅーん」と鼻を鳴らして、まるで叱られた子猫のように俯く。
 悲しそうに足元を見つめるシャルルの頭を撫でて励ますミレイニ。

 エリエはほっとしたように胸を撫で下ろすと、そこにデイビッドがやってきた。彼に気付いたエリエは平静を装って立ち上がろうとしたのだが、途中でペタリともう一度座り込んでしまった。

 どうやら、さっきの出来事で完全に腰が抜けてしまったようだ――だが、そんな情けない姿をデイビッドに見られ羞恥心から顔を赤く染めた彼女がむっとしながらデイビッドの顔を見上げている。

 デイビッド刺すようなエリエの視線に慌てて視線を逸らすと、そっと手を差し出す。
 最初は躊躇したような素振りを見せたエリエだったが、腰に力が入らない以上自力で立ち上がることができず。仕方なくその手を掴むと、聞こえないほどの小さい声でぼそぼそっと呟く。

「なんだ? 聞こえないぞ?」
「……しゃがんで!」

 言われるままにしゃがみ込んだデイビッドの背中に、柔らかいものが当たる。

 咄嗟に顔を向けようとしたデイビッドの耳元で、エリエの低い声が響く。

「悪かったわね。そんなになくて……」
 
 デイビッドは首を横にブンブンと振ると、ゆっくりと立ち上がろうとしたその時、エリエが大きな声を上げる。

「ミレイニ! 今のうちに装備を再装備しなさい! いつまで裸でいるつもりなの!!」
「ひっ! わっ、分かったし!!」

 普段よりも凄みのあるエリエの声に、相当怒っていることを察したのか、言われるがままに装備欄から装備を一度外して再装備された。すると、ミレイニの服が黒猫を模したモフモフとした動物パジャマに変わった。猫耳のフードもだが、尻尾まで再現されている。

 装備は装備欄から外さない限り、そこに存在した状態になったまま維持される。装備を外す方法は実際に脱ぐか、装備欄から装備を外すかの2つ。
 装備欄から直接外せば装備はアイテム内に戻る。そして装備している物を一時的に脱ぐことにより、装備は保留状態になり。次に装備すれば、今まで装備していたものは例外なくアイテム内に戻るのだ――。

 これはアイテムを略奪されない為の防衛策であり。全ての装備は例外なく持ち主のインベントリに戻る仕様になっている。譲渡には直接インベントリからアイテムを直接取り出し手渡しで譲渡する。又はアイテムを出して譲渡相手専用に武器、防具などをクリックした時に出現するウィンドウに名前を設定しておく。の2種類がある。

 ミレイニはビシッと敬礼すると、エリエは静かに大きく頷くと、次の瞬間にはゆっくりエレベーターに向かって歩いていく。後ろ姿を見送ってほっと息を吐いた直後、頭の上に何か重い物が乗ってきた。

「全く。だからエリエを怒らせるなと言ったのじゃ」

 頭の上から声が聞こえ、ミレイニがゆっくりと頭の上のレイニールのレイニールを掴んで自分の前に持ってくる。

 逆さになっているレイニールをくるっと反転させると、レイニールが「よっ!」と手を上げた。

 ミレイニは目を細めると訝しげに「どうしてお前がここにいるし」と尋ねると、レイニールは少し考える様に項垂れ。

「まあ、色々あるのじゃ! 主が寝ている間はお前の頭の上を借りるのじゃ!」

 昨日の状態ではエミルの近くに居られないと考え、気を利かせて違う場所で寝ていたのだろう。だが、それを聞いたミレイニは大声で叫ぶ。

「冗談じゃないし!」
「キュキュー!!」

 抗議したのはミレイニ本人だけではなく、猫耳のフードの中から現れた白いイタチが全力で抗議する。

 すると、レイニールがニヤリと悪そうな笑みを浮かべた。

「そうか……だが、お前があの時に主の側を離れなければ、こんな事にはならなかったのではないのか?」
「うぅ……分かったし。でも、星が目を覚ますまでの間だけだし!」

 渋々頭に乗ることを了承すると、レイニールは嬉しそうに翼をはためかせてミレイニの頭の上に乗った。

 パシパシと頭を叩くと、ミレイニは迷惑そうな申し訳なさそうな複雑そうな顔をしている。
 確かにレイニールの言う通り。ミレイニが独断で持ち場を離れなければ少しは状況を持ち堪えられただろうが、結局は数の多い敵を排除しききれなかったのに変わりはない。

 本来なら、ミレイニが責任を感じることではないのだが、レイニールの口車にまんまと乗せられたと言ったところだろう。 
 それが証拠にレイニールは得意そうにミレイニの頭の上で笑みを浮かべている。まるでそこが最初から定位置であったかの様に――。
 
 エリエ達が去っていって10分……20分……30分と経ち、さすがにミレイニも焦りを見せていた。

 それはもしかしたら自分がこの場所に置いてけぼりにされたのではないかという不安からくるものだった。初めのうちはエリエが後で呼びにくると思っていた……しかし、30分経っても自分達を呼びに来る気配すらないのであれば、もう…………。

「もう。これは置いて置いていかれたな」

 頭の上のレイニールがパシパシと、ミレイニの頭を叩いて言った。 

 ミレイニはハッとした様に口を開くと、大声で叫ぶ。

「あたしを置いて行くなんて許さないし!!」

 突然走り出したミレイニの頭の上から、一度は振り落とされそうになりながらも、すぐに頭にしがみつくレイニール。

 その後に続くように、召喚された動物達も主の後を追って走り出す。
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