第382話 テディベア3

文字数 1,708文字

* * *


 書き置きだけ残していつまでも帰って来ない九條を部屋の中で待っている星の瞳は不安に満ちていた。
 部屋のソファーの上で膝を抱えながらただ一点を見つめている星の瞳は今にも泣き出しそうな綺麗な紫色の瞳がキラキラと輝いている。

「九條さん遅いなぁ……」

 静かな部屋の中で真っ直ぐ前を見ながら昔のことを思い出していたのかもしれない。そんな時、突如として部屋の中に玄関のチャイムの音が響く。

 その音を聞いた星はハッと飛び起きて慌てて玄関まで駆けていくと、表情を明るくさせてドアを開いた。

「九條さん。おかえりなさい!」

 だが、ドアを開けた場所には誰も居なかった。

 ただただ不思議に思った星は玄関から出て左右を確認する。するとそこに、壁に立て掛けて置くような形でピンク色のリボンでラッピングされた白い袋が置いてあるのを見つける。

「……なんだろうこれ」

 星が立て掛けてあるその袋を手に取ると、地面にぽとっと星がプリントされた綺麗な封筒が落ちる。
 地面に落ちた封筒を拾ってそれを開いた星は悲しそうな顔をして持っていた白い袋をギュッと握り締めた。

 その手紙の内容はこうだ――。

【突然の事で驚くかもしれないけど、急ぎの仕事が急遽入ってしまい星ちゃんの側にいることができなくなってしまいました。

 私も星ちゃんの側に居られなくて残念でなりません。でも、どんなに離れていても私は星ちゃんの事を思っています。短い間だったけど、貴女の事は本当の娘のように感じてました。

 少し早いけど私からの誕生日プレゼントを受け取って下さい。もうひとりの私だと思って可愛がってあげてね。辛い時や悲しい時もずっと側でこの子で見守っていてくれるから頑張って。】

 手紙を読み終えると、星は瞳に涙を浮かべ悲しそうな表情をしながら家の中に入っていった。
 リビングのテーブルに九條からもらったプレゼントを置くと、ゆっくりと椅子に腰を下ろしてテーブルの上に置いたラッピングされた白い袋を見つめたまま微動だにしない。

 しばらく、テーブルの上に置かれたピンク色のリボンでラッピングされた中央にテディベアのワンポイントの付いた白い袋を見つめた後、星はゆっくりとそれに手を伸ばして両手でしっかりと掴むと自分の方へゆっくりと持ってくると徐に封を開ける。

 封を解いた袋の中を前のめりになって覗き込むと茶色いくまのぬいぐるみが入っていた。それを見た星は微かに表情を明るくさせたが、すぐに悲しそうに眉をひそめてテディベアの入った袋をテーブルに戻して椅子に凭れ掛かるようにして深く座る。
 
 もちろん。九條からのプレゼントが嬉しくなかったわけではない。ただ、この嬉しいという気持ちをどう表現したらいいのか分からないだけなのだ……もし、この場所に九條が居ればきっと笑顔でお礼を言って彼女に抱き付くまでしていたかもしれない。ただ、それは九條がこの場にいればの話だ。

 今、この家には星一人だけしかいない。どんなに嬉しいことがあって飛び跳ねようとも、返ってくるのは静寂と虚しさだけなことを星は知っている。

 星の誕生日は朝起きると母がテーブルの上に一万円札を置いていて、それで食べたいものと自分へのプレゼントを買いにいくだけのイベントだ。
 母親から「おめでとう」という言葉を受けたのはもう相当昔のことに感じる。だからだろうか……星の綺麗な紫色の瞳から流れ出した滴が頬を伝って抑えきれなくなった感情が溢れ出す。

「――わたしは……わたしはただ九條さんと一緒にいられればそれで良かったのに……どうしてお母さんも九條さんもそんなに仕事が大事なんですか。どうして……どうしてわたしをひとりに……ひとりぼっちにするの? 仲良くなれたと思ったら、すぐにいなくなって……勝手過ぎます。こんなに悲しい気持ちになるなら、最初から……最初からひとりでいたかった……」

 俯いた瞳から溢れ出す涙が滴となって膝の上に重ねていた両手の甲を濡らし、震えた声で絞り出した星の体を小さく小刻みに揺らす。

 星は両腕をテーブルに置くとそこに顔を埋めて声を上げて泣き続けた。
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