第145話 敵城の主5

文字数 6,622文字

 一瞬真っ白になったエリエの視界に飛び込んできたのは、さっき居たはずの部屋ではなく、どこかの機関の研究室の様な場所だった。

 部屋の壁には大きなモニターがあり、その下には操作盤や機材が数多く並んでいる。
 至る場所に触ってはいけないと思われるコードや様々な配色の配線が繋がれた機械が設置されてもいた。

 辺りを見渡したエリエが、横に居たライラに尋ねた。

「……ライ姉。ここは?」
「…………」

 ライラはその質問に答えることなく、無言のまま部屋に付いている大きなモニターへと向かう。

 慣れた手つきで操作盤を操ると、モニターに『X』という大きな文字が表示された。


「ミスター。予定通り彼女への投薬は完了し。能力の発動を確認。しかし、相手方に何か薬品を投与されたらしく、彼女の記憶が……」

 淡々と状況を報告していたライラの表情が曇る。

 それ以上言葉を続けられなくなったライラに向かって、画面から柔らかい声音の男性の声が聞こえてきた。

「そうか……いや、ご苦労だったね。後は私に任せなさい」
「はい」

 その優しい声音で、悪い人間ではないということはエリエも直感的に感じ取っていた。

 だが、悪い人間ではないからと言って初対面のしかも顔すら見せない人物に心を許せるはずもなく。

「――ライラ君。星ちゃんをカプセルに移動させてくれるかな? 後はこちらで調べてみる」

 その言葉の直後、地面が開きそこから緑色のカプセルがゆっくりと現れた。
 カプセルの周りにも何やらたくさんのコードやモニターなどの機器がカプセルにまとわり付くようにして並んでいる。

 ライラはエリエの元に戻ってくると、星をそのカプセルに入れるように促すのだが、エリエは警戒しているのか、星を強く抱きしめたままその場に座り込んで、一向に離れようとしない。

 困ったようにため息を漏らすライラに、再びモニターから声が発せられた。

「初めて見るものだ。警戒するのも無理はないよ。ライラ君、論より証拠だ。まずは君が入ってくれ」
「えっ? ええ、分かりました」

 ライラはカプセルの前にいくと、反応したカプセルが音を立てて開く。
 全く躊躇することなく。ライラはそのカプセルの中に入ると、カプセルの扉がゆっくりと閉まる。

 そして横に備え付けられた小さなモニターがピピッと音を立てて起動する。すると、今度は大きなモニターの方にライラの体のデータが次々に表示されていく。

 身長や体重などの3サイズは勿論。他にも英語と数字が多く表示されている。
 それから少ししてカプセルが開き、中から何事もなかったように、星を抱きかかえたライラが出てきた。

「ほら、大丈夫よ。ただゲーム内の体のシステムを見るだけだから」
「うん。それなら」

 エリエは微笑んでいるライラに、抱きかかえていた眠っている星を引き渡す。
 システムの筋力補正がある為、その数値によって人の体くらいはある程度のレベルを超えれば、子供の星でも大人を抱きかかえることができるのだ。

 人体といえどこの世界ではデータで構成された物に過ぎない。つまり、その重量の数値は公平を期する為に一定値で固定されている。
 男女構わず筋力値が一緒なのと同じである。もちろん、レベル制のゲームである以上は、キャラクターのレベルが高い者が有利になるのは致し方ないのだが……。

 エリエから星を借り受けると、先程のライラ同様に星の体を詳しく調べる。すると、モニターの中から男の驚愕する声が聞こえてきた。

「なっ……外部からウィルスによって脳波を弄ったのか……全ての、主に記憶を司る部分の侵食が酷い。対抗プログラムで多少残っているが……こんなこと、やっていい事じゃない! このままでは、この子はリアルに戻っても。記憶どころか、下手をすれば言語障害も起こりかねない…………早急に手を打たなければ!」
「――ッ!?」
(……記憶が消えているッ!?)
 
 驚きを隠せず驚愕したエリエの表情は次第に青ざめていき、モニターからカプセルの中の星の方に視線を移す。
 それもそうだろう。記憶障害だけではなく言語障害まで起きるかもしれないと言われれば、星のことを本当の妹の様に思っているエリエだ――驚くのも無理もない。

 エリエは思い詰めたように両手で頭を抱えた。

「……私のせいだ……」

 その後、崩れ落ちる様にエリエはゆっくりとその場にうずくまる。

「こんな……こんなことって……こんなのってない!」

 思い切り地面を叩くと、両手を地面に突いたエリエの瞳から涙が止めどなく溢れ出す。
 彼女が落胆するのも無理はない。自分の目の前で星を誘拐されてしまったエリエにとって、無事に星を取り戻すことが全てだった。

 しかし、結果的に自分のことを覚えていない星が元に戻ってきた。このままでは、本当の意味で星を取り戻したことにはならない。
 自分達との日々の記憶を失って戻ってきたということは、既にそれは表面上は同一人物でも、すでに別人と言ってもいいものだからだ。

「……エリエ」

 表情を曇らせながら、ライラは泣き続けるエリエを励ます為に伸ばそうとした手を引き戻し、その後、モニターの男に向かって叫ぶ。

「ミスター! なんとかならないの!? このゲームはミスターが開発したものなのに!!」

 その声に少しの沈黙の後、モニターの男から意外な言葉が返ってきた。

「……方法はあにはある。だが、ゲームプログラムを通してからのシステム侵食なら何の問題もないが、外部からの接触によって始まった侵食を食い止めるのはリスクがある」
「リスク?」
「ああ、今彼女の体を侵しているウィルスを食らうウィルスを体に入れる。抑えてはいても、内部を侵食しているウィルスが消えたわけじゃない。それを完全に消しされれば、ここのプレイヤーにあるシステムバックアップを利用して復旧する事もできなくはないだろう。だが、そうすると途轍もない高熱が彼女を襲う事になる。当然だ、内部でウィルス同士の争いが起こるのだから……大人でも精神が持たないほどの苦痛を、一時的とはいえ与える事になってしまう。この子に耐えられるかどうか……」

 モニターの声はそこまで告げると沈黙した。

 だが、それ以上はライラもエリエも聞き返せなかった。何故なら、大体の予想がついていたからだ――。

 ブレスレット型のハードから脳波に光信号と電気信号を送ることで、一時的な催眠状態を作り出し、仮想世界を体験することができるシステム。それがVRMMORPG【FREEDOM】の正体である。

 それは星の父親の脳科学者としての技術を使って開発したのは、もはや言うまでもない。そしてモニター越しの男はおそらく、ゲーム開発元のエンジニアだ。

 それがゲーム内のウィルスで現実世界に戻ってから『記憶障害が残る』と言っているのだ。
 っということは『精神が持たない』それはつまり。人としての生活ができなくなるかもしれないということを意味していた。

 本来ならば精神的に強いダメージを与えかねない危険な状況では、気絶や強制ログアウトと言った防衛プログラムによって、人体に影響がある危険行動は二重の安全装置を使用して限りなくゼロへと近付けている。しかし、今はそのログアウトシステムを改変されてしまって、強制退出できない。

 つまり、気絶意外に防衛プログラムがないのだ――しかも、気絶は精神を守る為の処置であり。キャラクターを守る為に次の強制ログアウトという工程を経て初めて意味のあるものへとなる。
 それは気絶して一時的に精神を保護しても、システム上では次の強制ログアウトという工程ができない為、本来は現実世界で起こるはずの第三の工程である覚醒という動作に移行してしまう。

 気絶――強制ログアウト――リアルでの覚醒が。気絶――ログアウト不可――ゲーム世界での強制覚醒へと変わる。
 
 つまり、気絶の後になおも精神、肉体に攻撃を受ける場合は強制覚醒という工程のバグが発生してしまうのだ。
 今回の処置はこの気絶から強制覚醒を永遠と繰り返すという、最悪の場合は精神を破壊しかねない行為であり。廃人にしかねないとても危険なものなのだ……。
  
 正直、過去の記憶がなくても人は生きていられる。ただ、これまでの思い出が消えるだけで、これからの思い出が消えることはない。
 しかし、精神を失ってしまったら。人はもう普通に生きていくことはできないだろう。そんな星の人生を左右する物事を、エリエ一人に決めろと言うのはとても酷な話だ――。

 エリエは星をちらっと横目で見ると、モニターの男に尋ねた。

「その決断は今じゃないとダメなの? もう少し後でもいいなら、皆と話して決めたいんだけど……」
「いや、問題ないよ。もうウィルスによる侵食は抑えられている。この子の事は君達に任せる」

 エリエはその言葉に、覚悟に満ちた面持ちで頷く。

 3人はもう一度、城の部屋に戻ると、負傷を負ったサラザ達を連れて部屋を出ようと歩き出すが。

 エリエは思い出したように部屋に繋がれていた居た少女達のところにいって首にはめられていた首輪を外してやると、少女達は嬉しそうに笑顔を浮かべると、何度も「ありがとう」と頭を下げてエリエ達にお礼を言った。

 男は完全に心が折れているのか、手出しをすることはなく。あっさりと少女達を解放する。その後、ライラの固有スキルによって遠くの荒野に移動する。

 ライラの固有スキル『テレポート』によって、次々と王座のあった部屋から移動させられてくる。

 逸早く星と来ていたエリエの元に、人間状態のレイニールとミレイニが送られてきた。

 レイニールはエリエの腕の中で眠っている星の元に駆け寄ってくる。

「あるじ~!!」

 長い金髪のツインテールを揺らしながら、エリエから星を奪い取るようにして抱きつく。だが、眠っている為、肝心の星からの反応はない。

 レイニールは地面に星の体をゆっくりと寝かせる。その直後、レイニールの体が輝き小さいドラゴンの姿に戻って、パタパタと翼を動かして星の顔付近に降り立つ。

「――主、目を覚ますのじゃ! 早く起きるのじゃ!」

 号泣しながら、瞳を閉じて眠っている星の顔をぺちぺちっと叩いている。

 エリエはそんなレイニールを止めると、何が起きたのか出来事の一部始終を話す。 
 
 このまま、もし星が目を覚ましてしまったら、記憶を失った星が防衛本能のまま、自分を含めた周りの者達を虐殺してしまうかもしれない。
 そんなことを記憶が戻った彼女が喜ぶわけがない『星が記憶を失った』という話を聞いたレイニールは取り乱す様に「そんなの嘘じゃ!」と大声で叫ぶと、どこかに飛んで行ってしまう。

 エリエはそれを止めることもできずに、その後ろ姿を見送るしかなかった。
 飛び出したレイニールをエリエに止められるはずがない。襲撃を受けるあの日、あの場所で一緒に楽しい時間を共有し、それがいつまでも続くと思って疑わなかった。

 それがまさかレイニールとベテランプレイヤーのエリエが居たにも関わらず。攫われ、戻ってきて自分の記憶を失ってしまっているのだ――現実を受け入れられなくても無理はない。

 しかも、星によって生み出されたレイニールにとって、星は特別な存在なのはエリエも重々承知している。
 城への侵入の際も上空からダメージを受けることを承知で、城壁を突き破り突入したのだ――おそらく。誰よりも今のレイニールの気持ちを理解できるのはエリエだったのだろう。

 ミレイニは急な展開に不安そうな表情で、辺りをきょろきょろと見ている。

「……あたし。これからどうなるし……」

 肩を落としながらそう呟くミレイニ。

 確かにミレイニは元々敵側の人間だ。星を無事に救出できれば違かっただろうが、星がこんな状況で戻って来た以上、見せしめとして非難が集中してもおかしくはない。

 正直言って、半強制的に連れて来られたミレイニは、今まで縛られたり頬を引っ張られたりとあまりいい扱いを受けていないのだから、このことで彼女が警戒するのは無理もないと言えるだろう。

 そこにエリエが優しく声を掛ける。

「どうしたの? ミレイニ」
「えっ? あ、うん。その……あたしどうなのかなって……」

 落ち込んだ様に俯くミレイニの顔を、しゃがみ込んでエリエが見上げニヤリと笑う。

「……ん? どうしてほしいの?」
「……えっ!? どうしてほしいってどうしてほしいって……なんだし?」

 エリエのその切り返しに、不信感いっぱいの顔でエリエを見た。
 それもそうだろう。すでにエリエは手をわきわきさせながら笑みを浮かべている。

 ミレイニは小刻みに震え怯えた様な瞳を向けた。

「なっ、なにするつもりだし……」
「ふふふふっ、なにをするんだろうねぇ~」
「ちょっ! なんで……急に抱きつかないでほしいし!!」

 頬を引っ張られると確信していたミレイニが、抱きしめられたまま暴れている手足をバタつかせながらミレイニは叫ぶ。

 そんなミレイニを抱きしめながら、涙を流していたエリエ。

「……ごめん。ちょっとだけこのままでいさせて、ミレイニ……」
「――あっ……う、うん。べつに少しならいいし……」

 すすり泣くエリエに身を任せながら、ミレイニは瞼を閉じた。
 小刻みに震えているエリエの体に、ミレイニは声を掛けることもできないまま、抱きつかれ続けるしかない。

 2人が抱き合いながらしんみりとした雰囲気になっていると、突然ライラが戻ってきた。それと一緒に戻って来たサラザ、ガーベラ、孔雀マツザカ、カルビが現れた。

 ライラはニヤニヤしながら「あら~」と頬を染めて口を押さえている。
 それに気付いたミレイニの顔が一瞬で真っ赤に染まり、慌ててエリエの体を引き離しにかかる。

 しかし、エリエは一向に離れようとしない。
 
「2人でお楽しみだったのね。ふふふっ……私も混ぜてぇ~♪」

 楽しそうに手をわきわきさせながら、ライラがミレイニの方にゆっくりと近付いて来る。

 その企みを浮かべた顔でにやにやしながら手を伸ばして近づいて来るライラに、ミレイニの表情は引き攣っていく。

「……なっ、なんだし。その手はなんだし!!」
「ふふふっ、怖がらなくても大丈夫。始めてでも優しくしてあげるから……」
「べ、別に優しくとかいいから。近づかないでほしいし!」
「優しくなくて、いいなら激しくいくわよ~」
「ひぃぃぃぃっ!」

 ライラはエリエに抱きつかれ、身動きを取れないミレイニの後ろから手を回し、蛇の様に腕を忍び込ませるとその慎ましやかな胸を鷲掴みにした。

 小さく悲鳴を上げたミレイニが両手をバタバタと振り回す。

「うわ~。今は小ぶりだけど。これはなかなか……」
「――きゃっ!! やめ……やめてほしいし~」

 突然のセクハラ行為に、ミレイニが首を左右に振って拒絶する。
 
「うふふっ、口では嫌がってても……体は正直よねぇ~」
「ちょっ! しょう……じき……じゃ、ないしっ!」
 
 いやらしい手付きで胸を揉みしだくライラがニヤつきながら、嫌がるミレイニの反応を楽しんでいる様にしか見えない。
 それからしばらくライラに揉みくちゃにされ、ミレイニは荒い息を繰り返しながらライラを睨みつけた。

 彼女の暴挙に耐え兼ねたミレイニが叫び声を上げた。

「どうしてなの! どうして初対面の人にあたしの繊細な胸を揉まれなきゃならないんだし!」
「ふふっ、なぁ~に? もっと揉んでほしいの? それに別に大きくなるんだから良いと思うけどなぁ~」

 全く悪びれる様子もないライラに、頭から湯気を上げそうな勢いでミレイニが激昂する。

「いいわけないし! 大体あたしより年上なのに、常識がなってないし! こんな事をしたらダメなんだし!」
「……ふ~ん。なら、もっと大人っぽいことならして良いってことかしら?」

 瞳を輝かせながら涎を垂らして、手をわきわきさせるライラにミレイニは、身の危険を感じて強引にエリエを引き剥がすと、慌てて距離を取ってまるで猫の様に「フシャー」とライラを威嚇する。その直後、目の前にいたはずのライラがスッと消えた。 

 彼女の姿が見えなくなり、ホッとしたように胸を撫で下ろすミレイニ。 
   
 すると、今度のミレイニの耳元でライラがそっとささやく。

「――お姉さんが、大人の世界を見せてあげましょうか?」
「――きゃああああああああッ!!」

 再び胸を鷲掴みにされ、ミレイニの悲鳴が何もない荒野の夜空に響いた。
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