第159話 次なるステージへ・・・

文字数 6,504文字

 エミルは椅子から徐ろに立ち上がりエリエ達の方に歩いて行くと、状況が全く飲み込めず不思議そうに首を傾げているミレイニの前で膝を折って微笑んだ。

「ごめんなさいね。ちょっと今後の話をしていただけなの」
「そんな事ならあたしも混ぜてほしいし!」

 仲間外れにされたと思ったのか、不満そうに頬を膨らませたミレイニに「もう終わっちゃったのよ」と笑みを返す。

 そう告げると更に頬を膨らませるミレイニの頭を、エミルは苦笑いしながら優しく撫でる。

 だが、その偽りの微笑みは、エリエには容易に見通すことができた。しかし、何を話していたのかをエミルに尋ねることはできなかった。いや、聞けなかったと言う方が正しい。尋ねなくても星絡みのことであることが容易に想像できたからだ――。

 そうでなければあれほど、ピリピリとした空気にはならないだろう。

 エミルはイシェルに声を掛けた。

「イシェ少し外に出てきたいのだけど、付き合ってもらえない?」
「うん。ええよ」

 イシェルは彼女の申し出を二つ返事で了承すると、揃ってリビングを後にする。
 エミル達が出ていくと、部屋に流れていた緊張感が一気に解き放たれ、カレンがほっとしたように息を吐いた。

 正直。このまま張り詰めた緊張感の中にいたら、心臓が飛び出しそうだった。まあ、現実には心臓が脈動している感覚があるだけで、心臓という機能はアバターに存在しないのだが――。

「……でも、いったいどうしたんだ? エミルさん」
「あんたがまた何かしたんでしょ?」

 透かさずエリエがにやにやしながら、カレンを挑発するように言い放つ。

「バカ言え! 俺は何もしてない! お前が何かしたんじゃないのか!?」
「誰が! あんたじゃないんだから!」

 いがみ合っていた2人は、次の瞬間に「ぷっ」と息を吹き出し、同時に笑みを漏らす。

 エリエとカレンは向かい合いながら微笑んだ。

「――無事で良かったわよ」
「――お前も元気そうじゃないか」 

 お互いの無事を確かめ合うように顔を見合わせていると、その間に頬を膨らませたミレイニが強引に割って入って2人を引き離す。

「ちょっと! あたしのエリエに馴れ馴れしくしないでほしいし!」

 ミレイニが不機嫌そうな顔で、鳩が豆鉄砲を食ったような顔でいるカレンを睨みつけているとその頬をエリエが引っ張った。

「はにふるの~! いはい。いはいひ~!」
「――いつから私があんたの物になったのかしら~? ミレイニ」
「はっひ、きすひたときはひ~」

 頬を引っ張られながら言ったミレイニの言葉を聞いて、カレンが血相を変えて声を荒らげて叫ぶ。

「お前! そんな子供にまでキスしたのか!!」 

 カレンの脳裏に、以前の無理やりされたエリエとの強引なキスシーンが鮮明に蘇る。
 まるでウブな乙女の様に頬を赤らめながら叫ぶカレンに、息を吐いてエリエは面倒くさそうに目を細めている。

 その後、エリエは軽くあしらうように告げた。

「そういう状況だったってだけよ」

 だがそれでVRと言えど初めてのキスをカレンが納得できるはずもなく。

「そういう状況ってどういう状況だ! 誤魔化すな!」

 カレンが叫ぶのも無理はないだろう。普通に考えて、日常でキスをしなければいけない状況など、恋人でもない限り想像できないことだ。

 だが、怒っているカレンに反論したのは、エリエではなくミレイニだった。 
 
 ミレイニはエリエの手を振り払うと、両頬を抑えて叫ぶ。

 徐にカレンの前に歩いて行くと、ミレイニはビシッと指差しながら言い放つ。

「あたしが好きだって告白したんだし! さっきからなんだし。エリエの恋人でもないならほっといてほしいし!」

 睨みながら指差しているミレイニを見て、カレンはただただぽかんと口を開けている。そんなカレンを気にかける様子もなく、ミレイニはエリエの腕に抱きついて満面の笑みを浮かべている。

 自分の腕に抱き付いてい嬉しそうにしているミレイニを、エリエは少し困ったような顔で見た。


               * * *


 激しい激痛に完全に気を失ってしまった星は、研究室の冷たい検査台の上で昔の夢を見ていた。そう。それは星の今まで生きてきた記憶の欠片とも言えるものだ――。

 膨大なデータとなった記憶が、星の脳裏に写真の様に次々に記憶を映し出している。
 映し出すというよりも、第三者となって過去の自分を後ろから見ているという方が正しいかもしれない。

 今、映し出されているのは幼稚園に通う前の時のことだ――小さな自分がガラスに張り付いている姿を自分が後ろから見ている。
 それは自分を自分が見ているようで、どうにも気持ちのいいものではない。だが、その頃のことは今でもはっきりと覚えている。小さい頃は保育園に預けられ、いつも帰るのは一番最後だった……。

 そこに白いエプロンを付けた年配の女性が近寄ってくる。

「星ちゃん。そんなところにいないで、こっちで先生とお菓子を食べましょう?」
「…………」

 幼い頃の星は首を横に振ってそれを拒否すると、再び外を眺めていた。
 その頃は自分の母親が仕事をしているなんてことは分からず。このまま、ずっと戻って来ないんじゃないか。と毎日が不安だったのを今でも鮮明に覚えている。

 瞳を潤ませながらずっと遠くを見つめている幼い自分に、それを見ていた星も感情移入してしまい。下を向いて思わず表情を曇らせた。

「……この頃は、お母さんにわがままばかり言ってた。いつも仕事に行かないでって、泣いてたっけ……」

 不思議とないはずの記憶なのにも関わらず、その時の心境が心に蘇ってくるのを感じた。その時の感傷に浸っていると、暗転してすぐに場面が切り替わる。  

 今度は幼稚園の入園式――。

 緊張した様子で入園式に望む自分の姿が映し出される。

(そういえば、その頃は友達ができるか不安だった。でも、それは心配だけですぐに友達がたくさんできたんだっけ……毎日が楽しくて幼稚園に行くのが楽しみで……)

 そして卒園式とまるでタイムトラベルをしている様に、目まぐるしく日々の場面が切り替わっていく。

 場面が変わるごとに、星はある重大なことに気が付いてしまう。
 成長するにつれて自分の表情が硬く、感情が薄れていく様なそんな感じがしていくのを感じ、それが胸の奥を締め付ける。

 そして何よりも、母親の表情がどこか重たく、自分を見るその顔がどんどん嫌いになっていく気がして辛かった。

 しかし、それ以上に自分のことが嫌いになっていくのを痛感していた。
 幼少期はいつも笑顔を見せていたが、小学校に上がった頃にはすっかり消極的な性格になってしまっていたからだ。

 星が母親に変わって家事を手伝うようになったのは、小学校2年生に上がった時からだった。

 初めは見様見真似で始めた家事だったが、最初は失敗ばかりの家事も慣れてくるにつれて、いつの間にか母親の居場所を奪っていることを気付かされた。
 最初は『お手伝いがしたい』という子供らしい感情が強かった家事も、いつの間にかやるのが当然になっていき。

 その頃から母親が急に冷たくなったのを、過去の自分を見ていて痛感した。
 結果的に母の母親としての居場所を奪ってしまった自分の失態だと気付き、どこにも吐き出しようのない感情が込み上げてくる。

 昔は微笑んだら微笑み返してくれた母親がいつの日からか、それすらもなくなっていたのだ。

 星は自分の後ろでその光景を目の当たりにして、ただただ拳を強く握り締めていた。

 子供は手の掛かる子ほど可愛いとはよく言ったものだ……しかし、逆を言えば手の掛からない子は、すでに子供ではない。
 精神が早く成長すると母親に甘えることもできなくなる。父親が居れば父親に甘えることもできただろうが、星にはその選択肢すらなかったのだ――。

 星は改めて自分を客観的に見ることで、自分自身を再確認することができた。

「……そうか、私ってこういう子だったんだ……こんなんじゃ、お母さんが私を嫌いになって当然だよね……」

 俯き加減に、星は今にも掻き消えそうな弱々しい声で呟く。

 とても悲しいことなのに、不思議と涙は溢れてこない。感情が既に自分にはないようでそれが一番辛かった。
 直後。星の最も見たくない記憶が蘇る。それは小学2年の夏、8月28日。星の誕生日の出来事だ――。

 星は誕生日だったこともあり、その日は上機嫌で家で母の帰りを待っていた自分がいた。

 その頃には始めたばかりの家事も何不自由なくこなせるほどに成長している自分へのご褒美に、いつもは切り分けられてあるケーキだけだったが、きっと今年は母親が夢にまで見たホールケーキを買ってきてくれて、ご馳走を用意してくれると……年に一度の自分の生まれた日を祝福してくれると、そう思って疑わなかった……。

 洗い物に掃除や洗濯。学校の宿題も終わらせ、万全の状態でリビングの2人にはテーブルをうきうきしながら拭いていた。
 普段なら寝る準備をしていなければ怒られるが、今日だけは例外だろう。今の星には母親が帰ってくるのが待ち遠しかった。

「ふふっ、もうすぐお母さんが帰ってくる時間だ」

 壁に掛けられた時計を見て、もうすぐ10時になるところを秒針が指そうとしている。いつもなら、そろそろ母親が帰ってくる時間だ。
 期待に胸を膨らませている少し前の自分――それとは対照的に表情を曇らせながら、そんな自分を見つめている今の自分。
  
 この後に起こることを誰が予想出来ただろう……いや、誰も予想できはしない。
 特に子供の頃は良い子であればあるほど、頑張れば褒めてもらえるという思いが強くなるのは自然なことなのだから……。

 だが、その日は母親の帰りが異常なほど遅かった。 
 過去の自分は暗い表情でリビングのテーブルの椅子に腰掛けたまま、徐に壁に掛かってる時計に目を向けた。

 時計の針は12時を回ろうとしていた。いつもなら、もうとっくに眠っている時間だ。

 だが、今日だけは寝るわけにはいかない。襲って来る空腹と眠気と必死で戦いながら重くなる瞼を何度も顔を洗って覚ますしていた。しかし、いつまで経っても玄関の扉が開く音が聞こえてこない。

 それには記憶の中の星も、先程までのテンションが嘘の様にしょげかえっていしまっていて。

「……お母さん。お仕事忙しいのかな……」
      
 俯きながらそう小さく呟いていると、突如として玄関のドアが開く。
 その音に表情を明るくさせると、星は椅子から勢い良く立って玄関まで駆けて母を出迎えに行った。

 もう。今までの沈んだ顔が嘘の様に満面の笑みで母親を向かい入れる。

「おかえりなさい!」

 元気に出迎える星に、母は疲れきった様子で答えた。

「……ただいま。遅くなってごめんなさいね」

 そう言って謝る母親のその手には、コンビニのお弁当が二個入ったビニール袋が握られていた。

 星は期待と違うとは思いながらも、疲れた様子の母の顔を見て反論したい気持ちを抑えた。
 少し落ち込んだ様子の星に、母はぎこちなく微笑む。

 リビングのテーブルに向かい合って座りながら、無言でお弁当を食べる。

(……なんかいつも通りで。お誕生日って感じじゃない……)
 
 朝は母親が作り置きしてくれているが、夜は自分でコンビニに行ってお弁当を買っていた。

 もちろん。コンビニのお弁当が嫌いな訳ではないが、今日に限ってはもっといい物が食べたいと思いながらも、仕事で疲れている母親を前にそんなわがままを言うわけにもいかなかった。

 残念そうに肩を落としながら、過去の自分はお弁当を食べ進めていく。

 この時のことは、記憶が曖昧になっている星も鮮明に覚えている。
 まあ、自分の誕生日にコンビニ弁当だけではさすがに忘れたくても忘れられない。それがまだ子供の時ならば尚の事だろう……。

 時折、母親の顔色を窺いながら、本当は今日が星の誕生日であることを忘れているのではないか……っと思っていると、一足先にお弁当を食べ終えた母が徐ろに口を開いた。

「――あのね。今日は星のお誕生日だけど……お父さんの命日でもあるの……」
「……えっ? 命日って?」
「……お父さんが亡くなった日よ」
「…………」

 それはまだ以前の星にとっては天地がひっくり返ったくらいの衝撃的だった――自分に父親が居ないのは分かっていたことだが。まさか、それが自分の生まれた日だとは知らされていなかったからだ。
 
 青い顔をしている自分を後ろで見いて、星は更に表情を曇らせる。

 目の前で困惑した表情のまま、あんぐりと口を開けている自分が不憫でしかたなかった。 
 楽しみにしていた誕生日の当日に、突然母親からそんな話を聞かされたのだ。悲しみよりも先に困惑が来るのは無理もない。

「――もう、あなたもある程度理解出来る年齢になったし。私としても、やっぱりお父さんの命日にお祝いをするのは気が引けるの。だから……」

 母は財布から一万円を取り出し、それを星の目の前にそっと差し出す。

 だが、星にはその意味が良く分からず、困惑した表情で母親の顔を見上げた。

「……お金?」
「そう。これからは、お誕生日の前の日にお金を渡すから、あなたの好きな物を買って来なさい」
「…………」

 星はテーブルに置かれた一万円札を見つめながらも、なかなかそれを受け取ろうとしない。
 目の前のお金を受け取ってしまったら、これから先。今までのような誕生日は送れなくなる。

 それに何よりも。一万円という大金を前にして、どうしたらいいのか分からなかった。
 沈黙する娘と一万円札を残し。母はゆっくりと椅子から立ち上がり、自室へと向かって歩き出した。

 リビングのテーブルにぽつんと1人残された星の瞳から涙が頬を伝う。

 その時のことを、後ろでその光景を眺めていた星も思い出す。

「……そうだ。この時から本当に、私の記憶の中にはお母さんとしたイベントなんてない……」

 この日を境に、星の記憶から誕生日もクリスマスやお正月と同じくただ単に曜日を消化するだけになった。

 自分の意思をもっと強く伝えれば変わったかもしれないことだが、星にはそれを伝えることができなかった……もしそれを伝えれば、唯一の肉親である母親にも捨てられそうな気がしたからだ。

 その後も次々と場面が変わり、星の記憶の抜けたピースを埋めていく。しかし、その殆どで、そんなにいい思い出などなかった気がする。

 学校でいじめられたり、1人で家で留守番をしている場面なんかは胸が締め付けられるような、辛い思いを何度もしなければならない。
       
 だが、記憶が曖昧になっている星の今の状況では、どんなに些細なことでも知りたい。
 今の星の記憶は簡単に説明すると、多くのピースを失ったパズルの様なもので、それがまた記憶がないことによって、乱雑に並べられているようなものなのだ。

 それは行動――過程――結果の順番が、場面によっては過程――結果――行動になったり、結果――行動――過程になったりと、場面なら分かるが、どうしてそうなったのか。この後どうなるのか。がすっぽり抜けてしまっているということなのだ。その為、どの記憶が先で後なのかが全く分からないのである。

 第三者目線で今までの記憶を映像として見て、脳内に残った微かな感情や記憶と結びつけているのだ。

 そして今見ているのは、ゲームを始めた直後のエミルとの様子だ。

 今は、街の側を徘徊しているラビットと戦っている自分の姿が見える。

 剣を振り回し、飛び掛ってきたラビットに震えながら目を瞑っている姿なんて、恥ずかしくて見れたものではない。
 もちろん。この時の自分は大真面目で、今もどうかは分からないが、傍から見ているととても見ていられない光景だったのが分かり赤面してしまう。

 だが、それと同じくしてなんだか、温かいものも心の奥底から湧き上がってくる感覚もある。
 全ての記憶をまるで物語でも見ているかのように見終わると、星はゆっくりと瞼を開けたそこにエミル達が居ることを信じて……。  

 
                  * * *
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